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Vol.074 必要なのは、誤った古い体質を引き継ぐアカデミズムへの矜持である

医療ガバナンス学会 (2018年4月6日 06:00)


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浜通り 竹林貞吉記念クリニック
永井雅巳

2018年4月6日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

MRIC Vol.057(OriginalはJBPRESS 2018年2月6日配信)で配信された森田先生の趣旨に賛成です。医師は若い研修期間中に多くの経験をし、その裾野を広げることが、畢竟、将来の専門性を高める上でも大切のように思います。一方、これからも確かな一層の高齢化社会の到来に向けて、医療の枠組みが今までの病院から地域全体(在宅・施設)に広がる中で、現場では、臓器分野に拘らず、医療一般、整形(慢性疼痛・骨折・リハビリ)、泌尿器(排尿障害)、皮膚(褥瘡・スキンケア)、精神(認知症)、耳鼻科(嚥下)等々についても幅広い知識と技術を有する医師が望まれている事も感じています。そして、必要な場合には、高度(高額)な医療機器を有し、専門医のいる急性期病院へとトリアージできる知識とバランス感覚を持った医師が多く求められているように思います。

ただ、森田先生と視点がずれるのは、「“厚労省”のいいなりで大丈夫か」という点です。
勿論、制度自体をオーソライズしているのは行政機関としての厚労省で、彼らの責任は重いと思いますが、本制度の主導は、学会あるいは大学(所謂、アカデミズム)ではないでしょうか。専門医制度自体は、厚労省がめざす今後の地域包括ケアとその一旦を担う“求められる医師の姿”と明らかに矛盾するモノですし、賢明な厚生官僚の本心を代弁すれば、イヤイヤつきあっているような気もします。厚生官僚を唯一動かしているとすれば、政治家の介入です。大学医学部・アカデミズムと深く親好のある文教族あるいは厚生族といわれる政治家の存在が気になります。それでも繰り返しますが、主導は、あくまで学会や大学のように思います(付け加えますが、為政者はアカデミズムによる権威付けが大好きです)。

振り返れば、初期臨床研修制度の見直しも同様です。初期臨床研修制度の導入(平成16年度)は、本当の意味(違う意味は、専門医制度の導入が地域医療の質をあげるという間違った説)で、わが国の地域医療の質をあげるため画期的かつ重要な制度と思っていますが、残念ながら、大学からの“初期臨床研修制度の導入により地域医療が崩壊した“という誤った風説を広く一般病院も受け入れる結果(やはり大学の影響は大きい・・)となり後退(平成21年度)を余儀なくされました。これも、主導はアカデミズム、後押しは一部の政治家(元宰相)、厚労省は形作りをしただけで、残念ながら、彼ら(私たちも含めて)本質、誰がこの国を動かしているのかを理解していなかったようです。

さらに遡れば、以前は(今もあるのでしょうか・・少なくとも私の時代は、)医学部を卒業し、医師になったからには、全員、医学博士号を取らなくてはならないといった慣習がありました(他の学部はどうだったのでしょうか・・)。医師にとって、研究志向、リサーチマインドの醸成は、極めて重要ですし、医学は私達が思っているほど、進んだモノではない、そういう意味での医学や医療に関わる研究を否定するつもりは毛頭ありませんが、博士号という資格が、以前は一部で、実態を伴わないまま、その本来の目的から外れ、一部の権力を持っている方(教授など)の権益に変質したような気もします。現在では、幸い、賢明な若い医学徒の中には、それに気づき、博士号取得のためにアカデミズムにぶら下がるのを辞めたような方々が増えたのは、ある意味、健全なように思いますが、穿った見方をすれば、今、アカデミズムの中枢にある方々は、巧みに、その次の手として、医学博士号の代わりに(その権益を守るために)専門医制度の導入を企てているような気もします(杞憂でしょうか・・)。

普通に考えれば、病理専門医や深く心カテ専門医、脳動脈瘤クリッピング専門医などは理解できます。専門という言葉が包含するのは、狭いけど深いと言った印象を受けますし、狭いかつ重要な領域を病む患者さんには担保が、施す側には知識と経験、そしてそれに見合う責任が求められるでしょう。では、内科専門医、外科専門医は必要でしょうか。内科や外科は自らメジャーと呼んで居るように、幅広い分野を診ることに価値観の一端を有するモノです。もう一歩、踏み込んで、循環器専門医、呼吸器専門医、消化器専門医は必要でしょうか。恰も、その領域以外は診ない、診れないと言った担保を与えているようで、残念な気がします。

確かに現場で、近年、「患者さんから、先生のご専門はと聞かれることも多い。また、わが国で、専門が一般より高級感のある文化が存するのは否定しませんが、それでも、これからのこの国に求められ、必要なのは、狭い領域しか診ない・診れないspecialistより幅広い領域をカバーする能力を持ったgeneralist がメジャーなような気もします。また、専門とはフォーカスを置き、高い技術と専門性を持った医師ですから、そんなに多く必要とは思えません。ひょっとして、専門医を必要としているのは、そこを食いものにしようとしている権威集団(学会)のような気もします。

すれ違いの始りは、医学と医療の認識のズレのような気がします。日本で始めて近代医学部が創設されたのは1877年。今からたった150年ほど前のことです。当時は医学と医療の関係はきわめて近いモノがあり、それが、その中枢にある方々、あるいはそれをめざす方々の間では今も延々続いている・・そのような気もします。一方、今や医学と医療との距離感は、アカデミズムの中枢にある方々が思うより、実際、遙かに遠くある。コモンな病気は地域の医療機関で学ぶ方が効率的・合理的なのに、その地域医療機関は医師不足で苦しんでいるのが現状です。さらに、今後、専門医としての資格を得た若い医師達が地域に入り、専門性から離れたコモンな病気と対峙するインセンティブが働くか、甚だ疑問です。

専門医機構も今回の専門医制度の導入に強い反発があったのは意外だったのではないでしょうか。医学も医療も自分の支配下に在り、当然、すんなり制度導入が叶うと思った尊大さがあったのではないでしょうか。思いの外、強い反発があったので、一方の権威集団である医師会にすり寄り、兎に角、まとめ上げようとしているのではないでしょうか。それでも、本質は違うように思います。やがては、自壊する制度とは想いますが、長く続けるのは国民に取って、(多くは知らされていないように思いますが・・)甚だ不利益です。

大学医学部の、医学のみならず、国民生活一般に関わる医療に対するヘゲモニーは、この国の未来に向けて良好ではありません。それにすり寄る為政者の想いも時代錯誤です。この国の大学医学部には医学を推進する力はあっても、医療に関わるつもりは少ししかないのは、現在のところ明らかです。

行政機関としての厚労省は、今後の制度設計の中で、国民のために、少なくとも必要なgeneralist、各分野における必要なspecialist の人数を試算する必要があり、これに基づいて、これからの医療・介護全体の制度設計を見直す責務があります。自己保身のために無謀な制度の導入をめざすアカデミズムに対しては、国民のためにそれを正しくリードする責務が行政府としてあります。一方、若い医学徒は、アカデミズム主導のポピュリズムに暴走することなく、自分の選んだ医師としての誇り、遣り甲斐とともに、次世代へと続くミッションに対してその責任を放棄してはいけません。

われわれが乗り越えなくてはならないのは、あくまで陳腐な行政機関としての厚労省ではなく、わが国で最も古い体質をもつ医学界に対する矜持です。森田先生が言うように、本来、医療の原場に求められているのは、資格や年齢などではなく。現場における実績です。ただ、必ずしもそれが容易ではないことを、年寄りの医師は認識、かつ心配しています。この国には、そう簡単にはいかない風土や文化もあります。それでも今の体質を引きづっていては、未来の世代にとって良いとは思えません。この閉塞感を打ち破れる気概を持った勇気ある若い医学徒の待望を期待するところです。

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