医療ガバナンス学会 (2018年4月9日 06:00)
日本呼吸器学会形態機能学術部会プログラム委員
北岡裕子(株式会社JSOL学術顧問)
2018年4月9日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
筆者は呼吸器内科医としての臨床経験の後に機械工学の大学院に入学し、計算科学的な手法を用いて、呼吸器の形態機能に関する研究を続けている者である1)。当初から、従来の呼吸生理学には重大な欠陥があることを、主に理論的な観点から主張してきた。2014年春に国内外の学会で、肺気腫患者の気管と主気管支(正確には縦隔内気道)の後壁(=膜様部)が最大努力呼気時に内側に陥入し、内腔が極度に狭小化することを4DCT画像で示した(図1、文献2 のサイトで動画が閲覧できる) 2)。
http://expres.umin.jp/mric/mric_2018_075-1.pdf
図1.最大努力呼気中のダイナミックCT画像
高速の呼気流が気管を通過することで内部が負圧になり、過膨張した肺によって圧迫されている気管膜様部が内側に引き込まれて虚脱する。気道壁が外から圧迫されるだけでは虚脱は起こらず、内部を乱流が通過することが必須条件である。呼吸停止下で撮影される静的な胸部CTでは、気流がないのでこの現象は観察されない。健常者では過膨張肺による圧迫はないので、気道内部が負圧になっても壁組織の支持力によって形状が維持される。
この画像によって、「呼気流制限は末梢気道閉塞が原因」とするCOPDの中心教条が瓦解したのであるが、実は、この現象はすでに、1960年代にシネ気管支造影像で観察されていた3)。しかし、後年、CT検査が導入されると気管支造影は行われなくなり、呼吸中の気道の動態を観察する機会が失われた。肺気腫の気管虚脱現象が学界から姿を消したのは、そのためと思われる。
COPDの末梢気道閉塞仮説は、1960年代後半に、窒素洗い出し曲線の第4相(クロージングボリューム)の解釈をめぐって提唱された。健常者においては、残気量位(=最小肺気量)近くになると荷重部の末梢気道が閉塞することが第4相の原因であり、肺気腫や喫煙者においてはより早期に末梢気道が閉塞することで、クロージングボリュームが増加するという解釈である。しかし、呼息中の末梢気道閉塞を直接示した実験事実は今日に至るまで全くない。実は、閉じるのは細気管支ではなく肺胞口であることが、1970年代の実験論文に掲載された写真に示されている(論文の著者はその所見に気づいてはいないが)4)。つまり、末梢気道閉塞仮説は、肺胞の現象を細気管支の現象と勘違いした誤謬の産物なのである。
COPDとは、結局のところ「慢性1秒率低下症」であり、中核をなす疾患は「肺気腫」である。しかし、COPDの疾患概念では、肺胞壁の弾性力低下が呼気流制限を引き起こすメカニズムを明確に説明できないため、「肺気腫」という疾患名を用いるのが避けられてきた。事実は、肺胞の弾性力低下が肺の過膨張を招き、縦隔内気道の呼気時動的虚脱を引き起こす、というきわめて明解な力学現象である。心筋の収縮力の低下が心拡大を招き、心不全の症状を引き起こすのと同じである。
わざわざCOPDと言い換えなくとも、「肺気腫」が最も適切な疾患名なのである。肺の過膨張を来す疾患として、肺気腫の他に慢性の気道病変(慢性気管支炎、気管支喘息の慢性化、細気管支炎など)がある。肺内気道の器質的狭窄によって、呼気時のチェックバルブが起こるために肺の過膨張を来たし、肺気腫と類似の症状を呈する。
以上の筆者の見解は、呼吸管理を扱う日本麻酔学会の準機関紙や日本流体力学会の会誌にも特集論文として掲載されている4,5)。しかし、呼吸器学会の今回のガイドラインは全く言及していない。
2013年にスタートした厚生労働省のプロジェクト「第2次健康日本21」の中に「COPDの認知度の向上」という項目が掲げられている。2012年の認知度28%から2023年には80%まで引き上げるのが目標である。GOLD(Global Initiative for Chronic Obstructive Lung Disease)日本委員会が毎年12月に行なっている統計調査6)によると、プロジェクト初年度の2013年には認知度が30.5%に上昇したが、それ以降は低下に転じ、2015年以降はプロジェクト開始の前年(2012年、28%)を下まわっている。中間目標として掲げられた「2018年に50%」が達成される見込みはない。
検診の受診率や禁煙率といった評価尺度が向上するためには、対象者の積極的な行動変容が必要であるが、認知度の場合は、メディアや医療機関が情報を提供することで向上可能のはずである。COPD認知度向上プロジェクトの不振は、プロジェクト運営の当事者自身が、決して公言されないものの、COPDの疾患概念の破綻を認識していることの表われである。
http://expres.umin.jp/mric/mric_2018_075-2.pdf
図2.COPD認知度の推移(文献6より転載)
図1の4DCT画像を発表して以降、国内外の研究グループから同様の報告が続き、閉塞性肺疾患の病態解明が前進するであろうと筆者は期待していた。特に、日本は世界一のCT大国で、呼吸器の4DCT研究を行なっている大学が5か所以上あるからである。ところが、案に相違して、筆者の知る限り、2014年以降、国内外の呼吸器関連の学会や学術雑誌での発表は皆無である。
呼吸器CT画像研究を担ってきた研究者のほとんどが、COPDの従来学説の支持者である。彼らにとっては、真理の探究よりも従来学説を維持して体面を保つことの方が、重要なのであろう。1秒率低下例で大気道の虚脱が起こらない症例こそ、「末梢気道閉塞」の強力な根拠になるはずであるが、報告がないということは、とりもなおさず、そのような症例は存在しないことを表している。
肺気腫の呼気流制限部位が大気道であることが判明した今、呼吸器学会がなすべきことは、これまでの治療法の見直しである。末梢気道拡張効果のないLAMA(長時間作用型抗コリン剤)が1秒量を改善するのは、大気道虚脱を防止するからである。一方、全気道拡張効果のあるLABA(長時間作用型β2刺激剤)には、軽度の低酸素血症という換気障害の治療薬としては望ましくない副作用があることが知られているが7)、これはLABAの末梢気道の拡張効果が原因と考えられる1)。
肺容量減量術が短期間にせよ有効であるのは、過膨張肺による縦隔の圧迫が軽減されるからであり、効果が長期間持続する術式の開発が期待できる。また、近年肺気腫に対する長期使用の有用性が認められつつあるネーザルハイフローの効果も、呼気中も鼻腔内に流入するハイフローが気道内圧を上昇させ、気管膜様部の呼気時虚脱を防止することで説明できる8)。
COPDの疾患概念が破綻していることを認識しながら、従来通りのガイドラインを発刊するのは、臨床現場の医療スタッフと患者さんに対する背信行為である。呼吸器学会の猛省を望む。
1.北岡裕子.コペルニクスな呼吸生理.克誠堂出版、東京、2015.
2.北岡裕子.慢性閉塞性肺疾患(1) 機能異常のメカニズム.断層映像研究会雑誌、41: 77-83, 2014.(www.jat-jrs.jp/journal_a/41-2-7783kitaoka7.pdf)
3.Rainer W.G., et al. Major airway collapsibility in the patho- genesis of obstructive emphysema, J.Thorac Cardiovasc. Surg., 46: 559-567, 1963.
4.北岡裕子、平田陽彦、木島貴志.麻酔診療に深く関わる生理学:呼吸―換気力学.麻酔、65: 452-460、2016.
5.北岡裕子.流体力学にもとづいた呼吸生理学再構築.ながれ 36: 257-262, 2017.
6.www.gold-jac.jp/copd_facts_in_japan/copd_degree_of_recognition.html
7.日本呼吸器学会COPDガイドライン作成委員会編.COPD診断と治療のためのガイドライン第4版.メディカルレビュー社、東京、2013.
8.北岡裕子.コペルニクスなガス交換.克誠堂出版、東京(印刷中).
北岡裕子:
株式会社JSOLエンジニアリングビジネス事業部学術顧問。医学博士、工学博士。
1980年東北大学医学部卒業、呼吸器内科医として診療に従事した後、1996年東京農工大学大学院工学系研究科後期博士課程入学、1999年同修了。アイオワ大学、大阪大学、理化学研究所を経て、2008年より現職。研究分野:計算呼吸器学