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Vol.082 一口100円、「愛の十万人運動」 【連載レポート】強制不妊(8)

医療ガバナンス学会 (2018年4月17日 15:00)


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http://www.wasedachronicle.org/articles/importance-of-life/d11/

この原稿はワセダクロニクル(2018年3月14日配信からの転載です。)

2018年4月17日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

http://expres.umin.jp/mric/funin8-1.pdf

「優生手術の徹底」を掲げる宮城県精神薄弱児福祉協会の副会長、岩本正樹はNHK経営委員を務めていた。第6話で報じた通りだ。

その岩本とは、どんな人物だったのか。

JR仙台駅から北西に10分ほど歩くと(*1)、片側3車線の市道の両端と中央分離帯に、美しい大銀杏が並ぶ。銀杏坂と呼ばれ市民から親しまれている。仙台市のシンボルだ。その通り沿いに、聖パウロ書院という書店があった。カトリック元寺小路教会と同じ敷地にある書店だ。書店の窓ガラスにマザー・テレサの写真が貼ってあった。A4の紙に彼女の言葉が添えられている。

〈あなたは この世に望まれて生まれてきた たいせつな人〉

岩本は、この教会の向かい側で「岩本病院」を開く外科医だった。東北帝国大学医学部の出身(*2)。医院は戦災に遭い、戦後に新しく開院した(*3)。500坪の鉄筋コンクリート建てで、ベッド100床の大きな病院だった(*4)。

岩本は「教会近くの病院の偉い先生」として有名だったという。教会に通う80代の信者がそう教えてくれた(*5)。彼女は岩本と同じく、東北大医学部の出身で、今は引退している。幼少時、岩本にけがの治療をしてもらったこともあるという。「先生は社会のためにずいぶんと奉仕をしてらっしゃいました」

岩本は、宮城県肢体不自由児協会の会長や、仙台ユネスコ協会の会長も務めた。

仙台ユネスコ協会の元事務局長、小松郁雄は、ユネスコ協会の記念誌の中で岩本のことをこう語る。

「岩本先生は人一倍、次代をになう子供達を愛された方でした。平和のとりでは先づ子供達の心の中に築いていかなければならないとの強い信念をもっておられました」(*6)

ユネスコ協会の活動拠点となる建物を作るため、岩本は総工費の大半を出した。残りは、国連本部や岩本を応援する人たちからの寄付だった(*7)。

宮城刑務所で交流があった死刑囚から寄付が届いたこともあった。岩本は悔悟師でもあった。手紙が添えられてあった。「先生の大事業のほんの片隅の石コロ代にでも使って下さい」(*8)

岩本は、宮城で「善行の人」として知られていた(*9)。

仏教にも通じた人物だった。1956年、「余りに人間的な」という手記の中でこう書いている。

「六十五歳の今日、相変わらず私は聖人の前に泣いておわびをせなければならない、善人顔をして世をいつわってのみ今日迄過して来た私である」(*10)

この翌年、岩本は「優生手術の徹底」を掲げた協会の副会長を引き受けた。

岩本だけではない。宮城県精神薄弱児福祉協会には、障がい者の福祉や教育に熱心な団体の役員が多数参加していた。

当時の事情を知る人を訪ねた。宮城県柴田町内で暮らす庄司憲夫(94)だ(*11)。

庄司は1948年に県内で初めて「特殊学級」を開き「特殊教育の祖」といわれる人物だ。当時の福祉協会の役員の多くを知っている。「特殊教育」は今、学校教育法の改正で、特別支援教育と呼ばれている(*12)。

「どんな子も学校教育から外れないようにしたい」(*13)。この思いが庄司の原点だ。

庄司によると、福祉協会で役員を務めた小川芳雄は、宮城県中央児童相談所長。皇晃之は東北大学の教授だった。小川は児相所長として福祉協会の参与兼幹事になり、皇は宮城県特殊教育研究会長として理事になっていた(*14)。

小川と皇は「特殊教育」の分野で一緒に活動した。小川はその研究会に講師としてよく招かれていた。敗戦の焼け跡で戦災孤児を助けて回っていた人でもあった(*15)。庄司は、特殊教育研究会のメンバーでもあった。自分の受け持つ児童の相談によく乗ってもらっていた。

「優生手術の徹底」を掲げた福祉協会の活動趣意書を庄司に見せた。庄司は当時、自分にもそれが配られたことを記憶していた。

「優生手術の徹底」を訴えるページを改めて読み直してもらった。

障がいがある子どもたちに幸せになってもらおう。そういう運動なのに、なぜ「民族再建のために手術を推進する」という目的が掲げられているのかーー。

庄司は「これはあの……」と言葉に詰まった。「私は全然関心を持たなかったんです、これには」といった。「これ」とは強制不妊手術のことだ。

「優生手術とか関心なかったです。それは別問題でして。論じたこともないです」

「そういう子が増えると犯罪が増えるとか経済的に負担だといわれていて。そういう子がいない方がいいんじゃないかなと考える人がいたんでしょうね」

庄司は「特殊教育」に自身の生涯を捧げた。庄司は以前、「優生思想は目の前にしている子どもたちを否定することだ。そんな考えはつゆほども持ったことがない」「特殊教育の分野で、優生思想のことを考えた人は誰もいなかったはずだ」と語っていた(*16)。

だが、庄司が尊敬していた皇や小川が役員として参加していた福祉協会は「優生手術の徹底」を掲げたていた。庄司はいう。

「皇先生から優生の話は聞いたことがない」

「戦後は、国力が疲弊して、障がいを持っている子をどうしたらいいかなんて、考えるのは大変だった。今考えると、なんたらことしたんだと怒りがこみ上げますけど、(強制不妊手術を是認する)そういう社会的背景があった」(*17)

強制不妊手術の「徹底」に向けた、この大掛かりな装置。それを動かしていたのは、いったい誰だったのか。

(敬称略)

[おことわり] 文中には「精神薄弱」など差別的な言葉が含まれているが、当時の状況を示すために原文資料で使用されている言葉をそのまま使用した。

=つづく

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