医療ガバナンス学会 (2018年5月18日 06:00)
私が訪れた時は、高野山ではちょうど桜が咲き、そのあとにすぐ石楠花が見ごろとなった。観光客がとりわけ多い時期であり、高野のお寺や店はどこも繁忙期を迎える。そんな中での宿坊の業務は、食器洗いから始まり、宿泊客の夕食の用意、客室の清掃、次の日の朝食の用意、そして厨房の掃除など、立ち仕事に明け暮れる。慣れていない身にはかなり体力を消耗するので、最初の1週間は、仕事が終わるとへとへとになっていた。
それと同時に、ここへ来て、最初に期待していたのと何かが違う、という感覚があった。何が違うと思わせるのか。
高野山は、2004年に世界遺産に登録された。真言宗の総本山である金剛峯寺をはじめとする貴重な仏教建築と、壮大な高野杉の森を行く巡礼路、そして美しい山々の風景は、世界中の観光客を惹きつける。
澄んだ空気と下界の喧騒から離れた静かな環境を求めて、そして少し、神秘的な雰囲気を期待して私は高野山へ来た。ここへ来る多くの人が、そうではないだろうか。菜食主義をはじめとする、仏教の教えの根付いた生活がしたいという気持ちもあった。
しかし、お寺の中で働いてみて、私が目にしたのは、「宿坊」という伝統ある地域の事業を維持するため、支えあって働く地元の人々が織りなす、高野町という小さな町の普段の姿であった。そこに、厳格な仏教の教えや神秘的な色合いは、あまりない。つまり、私が思っていたより、高野山は「ふつう」の場所である、ということが、何か期待外れであったのだ。
僧侶たちだって、お寺に勤めているということを除けば、案外普通の人たちである。たとえば、彼らは毎日精進料理を食べているわけではない。普段の食事には肉、魚、卵も特に禁止されてはいない。寺の従業員に出されるまかないは、いたって普通の家庭料理だ。カレーやシチュー、サイコロステーキなど、男性が多い職場らしく、ボリュームのあるものがたくさん出される。これには少し驚かされた。私は、お坊さんは菜食が基本なのではないですか、と一人の僧侶に聞いた。すると、菜食は修行の中の一部であるという答えであった。ここにいる僧侶の多くは、高野山にある僧侶の学校で1年間住み込みで修業をする。食事が厳しく制限されるのは、そこにいる間の数か月間であるという。その後は、また違った様々の修行を行うのだそうだ。もちろん個人によるが、修行期間が終わると、必ずしも菜食主義の生活をしなければいけないわけではないようだ。
次に、私がここへ来て強く感じたのは、宿坊というものが、僧侶たちだけではなく、地元の女性達に大い支えられているということだ。お寺の厨房で料理をするのはもちろんのこと、客室の支度や、その他の細かなハウスキーピングは、近所から働きに来る主婦の方々が担っていることが多い。彼女達の中には、高野町に住んでいる人もいれば、「高野下」と呼ばれる、山の麓の地域から車でやってくる人もいる。長年寺の厨房で勤めてきた人もいれば、老人介護施設の調理をしていた人、温泉旅館に勤めていた人など経歴も様々だ。
女性たちは厨房と客室の間を駆け回り、料理の仕込み、部屋の畳の掃除と布団の用意、寺の従業員たちの朝・昼・晩のまかないの用意、そして盛り付けと、縦横無尽に仕事をこなしていく。広い寺の中を行き来してこれらの業務をするのは、体力的にとてもタフだ。でも、そんな仕事をお互いに励ましあいながら元気にやっている。私も働いている間、「ぼちぼちしいよ(休みながらやりなさいよ)」と何度も声をかけてもらった。
彼女たちの作る精進料理は、厳密には修行の食事とは違うが、自然豊かな高野山の季節の移り変わりを取り入れた、美しくて愛のこもった料理である。春は、自分の家の裏山などで山菜やハーブを採ってきて「お客さんが喜ぶやろ」と言って料理に沿えたりする。そうして、彼女たちは宿泊客が発った後から次の客が到着するまでの段取りをし、厨房で事の成り行きを見守っている。宿坊客の案内、料理の配膳などは、作務衣を着た僧侶たちが担当する。だから、宿坊客が彼女たちの仕事ぶりを見ることはあまりないだろう。縁の下の力持ちなのである。
お寺の中で、もう一つ、大きな役割を果たしていたのは、お寺に住み込み、手伝いをしながら学校に通う、「寺生」たちの存在だ。実家である遠方の寺から、宗教科が設置されている高野山高等学校へ通うためやってくる子が多い。彼らの一日は早朝の本堂でのお勤めの手伝いから始まり、宿泊客がいるときは朝食の配膳、食器下げをしてから、作務衣から制服に着替えて学校へ行き、帰ってきたら夕食の配膳と多忙な毎日だ。GWなどの行楽シーズンは、学校は休みだが宿坊の業務は休みというわけにはいかない。むしろ客が増えて、忙しくなる。ちなみにこれはアルバイトではなく、彼らはあくまでも修行の一環として手伝いをしている。彼らは肉親ではない大人たちに囲まれて共同生活をする。朝ごはんに起きてこなければ、厨房の女性達からは母親のように怒られることもあるし、客への対応をしている時に理不尽な思いをすることもある。外国人の客も少なくないため、英語を学ぼうと一生懸命になる子もいる。そうやっていろいろなことを学び取っている彼らの横顔は、あどけない部分もあるが、ふつうの高校生よりもずっと頼もしく大人びている時がある。決して楽ではないが、こんな風に高校生が成長する環境というのは、他にあまりないと思う。
そうして、お寺の中で働く人々の姿を見ているうちに、荘厳で神秘的なイメージだった高野山の、もう一つの顔が見えてきた。お寺の住職一家を中心に、住み込みで働く寺生や近隣から働きに来る人びとが、支えあって、時には忙しいと愚痴を言いながらも宿坊という業務を回している、高野町の普段の姿だ。
最初に私が期待していたものとは、確かに違う。しかし、お寺だから、お坊さんだから、何か厳格で、特別な生活をしなければいけないわけではないと、この町の姿が語っているように思った。日本には、結婚して家庭をもっている僧侶も多い。ある僧侶によれば、「結婚や家庭の問題は、多くの人が持つ悩みで、そういった人々から相談を受ける身としては、それについて全く知らないのではアドバイスができない」という理由で、僧侶の結婚は悪いことでないという。宗派の違いなどもあるが、菜食主義を貫く僧侶が多く、僧侶の結婚が禁止される他のアジアの仏教国と比べてみると、お坊さんとふつうの人々の境界があまりないのは、日本らしい仏教文化といえるのかもしれない。
高野山の宿坊は、近年人気が高まっている一方、人手不足に悩まされている。高野町には働き手となる若者が少ないし、寺生の数も以前から減ってきているそうだ。そんな背景があって、私のように遠方からアルバイトの人材を受け入れるようになってきているのだ。町が栄えるのは良いことだが、すっかり商業的な観光地になってしまっては、宿坊業務もますます顧客本位に変わっていきはしないかと、私はついお寺で働く人たちのことを考えてしまう。閑静な高野山のお寺での、静かで贅沢な宿坊でのひと時の裏側に、ひたむきに働く人々の姿があることを、訪れた人には少し思い浮かべてほしい。