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Vol.120 学びの実感が私にもたらした変化

医療ガバナンス学会 (2018年6月13日 06:00)


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看護師 栗原あゆみ

2018年6月13日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

はじめに

看護師として長く病院勤務をしてから、親の介護で初めての離職を経て復職に悩んだ私が出した結論は、非常勤助手として看護学生の実習指導をしながら通信制大学院で看護教育を学ぶことでした。2016年4月にその舵を切った私は、2018年3月に修士(教育学)号をいただくことができました。入学前には数々の迷いがあり、ようやく勢いをつけて飛び込んだ大学院という高い壁を、2年かけて少しずつ登っていったように思います。大学院入学に当たり、「看護師としての自分を見つめ直すためには勉強が必要だ」「私自身ももっと勉強して彼ら(看護学生)が学ぶ助けをしたい」「学生にとって満足できる実習にするための援助を考えられれば」「私が主体的に学ぶことで家族にも、看護師仲間にも、いい変化が生み出せるのではと期待」といった抱負1)を示しました(http://medg.jp/mt/?p=6785:MRIC, Vol.137, 2016.)。
当時の私は2年間の学びに3つの期待を寄せていたことがわかります。それは、【1】看護師としての自分のこれまでを整理し、今後の方向性を見出すこと、【2】自分が行う学生指導に大学院での学びを還元してそれを進化させること、【3】自分が学ぶことが周囲に与える影響を知ること、でした。ここでは、この3つについて大学院を修了した立場から順に振り返ってみたいと思います。

1. 看護師としてのこれまでの整理と今後の方向性を見出すこと

まず、1つ目の期待です。私は、親の介護を理由に看護師を辞めましたが、親が亡くなり、介護をする相手がいなくなっても、仕事の再開を具体化できない自分に苛立っていました。私にとっての看護という仕事は、病や障害で困難を抱えた方々を支えるためのものでした。そして、社会的な意味でも経済的な意味でも看護は私が生きる上で大切なものでした。そのためか、離職の直接の理由であった親の介護を終えると、自ら看護という仕事を手放したことへの罪悪感が重くのしかかってきたのでしたその状況を打破するべく、進学先を探し、星槎大学大学院にたどり着きました。
さらにさかのぼると、私は短期大学を卒業して看護師として大学病院で数年勤務してから大学の科目履修生として必要単位を取得し、卒業論文を書き、学士(看護学)号を得ました。私にとってこの初めて「働きながら学ぶ」経験では、学ぶことが本業であった学生時代より、現実社会で経験していることに結びつけながら主体的な学びの楽しさを実感しました。そして、いつか修士課程に進んでみたいと思っていました。
それから、結婚、出産といったライフイベントを経験しましたが、当時の私は、仕事は継続するものと考えていたため看護師を辞めることは想像もしていませんでした。それでも育児をしながらの就業はとてもハードで、毎日のことをこなすのに精一杯でした。学びを深めたいと思う余裕もないままに親の介護が必要になり、さらに状況は悪くなっていきました。これまで私の仕事と育児の両立を支えてくれた親への罪悪感が次第に強くなっていき、私は離職を選びました。

辞めてからも、仕事がつらかったのか、辞めなければいけなかったのか、辞めるという決断は正しかったのか、と自問自答の日々が続きました。私の心の中にあるモヤモヤは親が他界してからも消えることはありませんでした。親の介護ができたことには満足していたのですが、「離職を選んだこと」への罪悪感が強く、その後の再就業に踏み切れない自分に苦しんでいました。その状況から、半ば飛び込む形で進んだのが大学院でした。

入学前には、非常勤助手として看護学生の実習指導をしていたので、これまでの私の小児科勤務経験を生かして学生指導に役立つ研究をしようと思っていました。そして、入学して仲間ができ、一緒に学ぶ機会が増えていくと、研究テーマに悩み始めました。自分が進んで知りたいと思うことは何ですか?という問いになかなか答えられなかったからです。それでも仲間や指導教員と相談をしていると、いつの間にか私の研究テーマの軌道が変わっていきました。自分の離職という選択が間違っていたのか、自分の中の罪悪感の原因は何なのか、その答えに近づきたくて大学院に入学したと述べましたが、果たしてそれがそのまま研究テーマに発展していきました。

その研究テーマは、「中高年看護師が離職をポジティブに捉え直すプロセス」でした。離職経験のある中高年看護師5名に、仕事を辞めようと思った経緯、その間の葛藤、離職中に考えたこと、復職を決めた経緯、復職した今の状況などをインタビューして質的分析を進めていきました。協力してくださった看護師の皆さんに看護師という仕事についてインタビューをしていましたが、語られる内容には皆さん一人一人の人生そのものが表れていることがわかってきました。家庭と仕事のバランスをとるために様々な工夫をこらし、様々な選択をしてきたけれど、それでも解決には至らず離職を選択していたことがはっきりと語られていました。
仕事を辞めようと決めた時点で、辞めること自体が次のステップへの準備段階だと意識している方はいませんでしたが、皆さんが離職は「してよかった」ものと振り返っていました。「もうここにはいられない、ここでは自分の価値が見いだせない」と消極的に離職を選択した方と、「ここでないどこかなら、価値を見出せるかもしれない」と積極的に離職を選択した方に二分され、後者では再就業後に充実した生活を送っていることがわかりました。このインタビューを私自身にしたらどうなのだろうと、研究内容をまとめながら自分を重ね合わせてみました。私は、親の介護のために離職しましたが、介護を全うし満足し、仕事もしながら刺激を受け、そしていつかやりたいと思っていた大学院進学を果たし、修了できたことで、離職という選択は「よかった」ものだと思えるようになったのです。それから、あんなに大切だった仕事を辞めた罪悪感は徐々に小さくなっていきました。

2年間で修士論文を完成できたのは、本当に私が知りたいことは何なのか、という問いに答えられるテーマで研究を進められたからだと思います。キャリアや離職に関してどのような研究がこれまで行われてきたのか、今の趨勢はどのようなものなのか、たくさんの書籍や資料を集め読み漁りました。人生で最も文字を読み、関心事にアンテナを張り巡らせていたこの時期には、幸福感さえ感じることもあり、それと同時に今まで知ろうとせずに来た自分を恨めしく思うこともありました。
そして、この研究をどうやって周囲に示していくのがいいかと考え、時間とお金が許す限り質的研究法の勉強会やワークショップ、そして学会など、様々なものに参加しました。自分一人でそういった機会に飛び込むことに抵抗があった私にとって信じられないくらいの行動力でした。大学院での講義でも、自分の研究領域と直接的に関係しないと思っていた内容やそこで紹介された書籍2-4)が、実は私の研究内容に大きなつながりを持っていたと気づいたこともありました。
そういったたくさんの刺激と学びから、自分の知識や考えの広がりや深まりを感じ、次第に充実感や自信が出てきました。また、こういう展開こそ「内発的動機づけ」だということもあとでわかりました。そして何よりも、否定的に思われがちな「離職」のイメージがポジティブに変容する過程をじっくり考えられたことが大学院での最大の収穫でした。

離職をして「よかった」と思えるかどうかは、その後の人生が充実しているといえるだけの努力をしてきたかどうかによるものだと私は感じています。こうして、これまでの私のキャリアを整理できたという点では、1つ目の期待は十分に達成できたと思います(今後の方向性については次項で触れます)。

2. 自分の学生指導に大学院での学びを還元してそれを進化させること

そして2つ目の期待です。大学院で学びながら、看護学生に対する私の気づきがいくつもあり、教え方への変化につながっていきました。
これまで私は、実習病院(小児科)に同行し、1週間という限られた実習を充実させるために、学生にはできるだけ考え学習してから疾患や障害を持った子どもにかかわってほしいと思っていました。しかし、最近は、実習開始時に患者さんのベッドサイドに行って学生が感じたことや思ったことをもとに、1週間の実習を通して学生本人が自分の変化に気付けるように、学生を「支援する」スタイルに変えました。
それは、様々な講義や書籍から、教えること、学ぶこととは何かを考え、それまでのやり方では、教えなければいけない、学ばせなければいけない、という教える側としての気負いが強すぎたと私自身が気づいたからです。後に学生の実習満足度が昨年度よりも上がったと聞き、教える側が勝手に学びのゴールを決めるのではなく、学生の気づきを支える大切さを実感しています。また、それまでの私は先輩看護者としてのスキルや思考過程に重きを置いて指導していましたが、学生との会話から、先輩看護者としての私の生活や人生の選択にまで興味を持ってくれているのだと気づきました。

自分のロールモデルを探すべく実習指導者の様子に視線をぶつける学生を見て、彼らがどんなことを求めて、どんなものを見ているのかということに強く興味を持ち始めました。今では、学生がこれからの人生で様々な選択をする時の助けになるように、人としての豊かさや多様性を少しでも伝えたいと思うようになりました。この今見ている学生がどんな発達の過程3)にいるのか、生涯発達心理学で学んだことを反芻しながら実習指導に当たっています。さらに、私自身の大学院や実生活での様々な学びを、看護というツールで学生に還元しながら、その学生の反応を見て私が刺激され、教えられているということに気づきました。それが、学生の実習指導での私の自信につながっているように思います。
看護学生を指導することに加えて、後輩看護師からのキャリア相談をいくつも受けてきて、「私は看護学生や後進の看護職のキャリアに関わっていきたい」のだと考えるようになってきました。こうして、上述の1つ目の期待と本項の2つ目の期待はほぼ達成できたように思います。

3. 自分が学ぶことが周囲に与える影響を知ること

3つ目の期待です。自分が学ぶことが周囲にどんな影響を与えているのかと考えてみました。この2年間は、大学院生という立場、家庭での母や妻としての立場、そして仕事での学生指導者としての立場、この3つの立場で過ごしてきました。そういう私を自分で俯瞰することで、傲っていた自分にも気づき、自分に不足している部分やそれを補う手立てを考え、私なりの生涯発達を感じられたのだと思います。そもそも私は、何でも自分でやることを善とし、人に頼って助けてもらうことを悪と考えてきました。
最近ではその私が、できないときにできないと声をあげることも時には悪でないこと、多くのことは自分だけでは達成できないことを強く自覚して、人の弱さや脆さも共感できるように感じています。そう考えると、この2年間では周囲に影響を与えたというよりも、周囲の影響を受けて変化した自分を確認できたと言えます。一方で、この2年間で私が周囲に与えた影響を考えると、私が大学院で学んでいる楽しさを伝えることで何人かの後輩看護師が大学編入を目指し始めたことだと思います。その好影響を見ると、「自分の人生を自分でデザインする」ためのキャリア教育の重要性5,6)をあらためて感じ、自分もその一端を担っていきたいと考えています。こうして、3つ目の期待もある程度達成できたと思います。

4. おわりに

ここまで大学院での2年間を振り返ると、自分の不足は周りが補足してくれており、自分が社会に助けられていることを感じられた貴重な時間だったと思います。そして、私の中の学びの実感が私自身にもたらした変化がいくつもあることがわかりました。自分が役に立てる場所、自分を活かせる場面を見つけ、今回の研究で得た知識や結果を現場に還元して、私のように離職への罪悪感で苦しむ後輩看護師が一人でも減るように、自分で選択した人生を謳歌するための手助け7)をしていきたいと新たな希望を膨らませています。

【参考文献】
1) 栗原あゆみ. 看護・育児・介護を通して見える「学ぶ」意味. MRIC. 2016.06.14.

http://medg.jp/mt/?p=6785(2018.3.7閲覧)

2) 池田光穂. 看護人類学入門. 文化書房博文社. 2010.
3) 二宮克美、大野木裕明、宮沢秀次.生涯発達心理学. ナカニシヤ出版. 2012.
4) 安田裕子、サトウタツヤ. TEMでひろがる社会実装. 誠信書房. 2017.
5) 児美川孝一郎. 権利としてのキャリア教育. 明石書店. 2009.
6) 金井壽宏. 働く人のためのキャリアデザイン. PHP 新書. 2008.
7) 高橋俊介.スローキャリア. PHP 新書. 2006.

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