医療ガバナンス学会 (2018年7月25日 15:00)
この原稿は月刊集中7月末日発売予定号からの転載です。
井上法律事務所 弁護士
井上清成
2018年7月25日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
2.医師法21条の現状
警察庁の統計によれば、「医療事故関係届出等件数」のうち、医師法21条による異状死体の届出を中心とした警察への「医療関係者等の届出等」の件数は、2000年より以前はずっと年間10~20件で推移していた。ところが、2000年に突然、年間80件に激増し、その後もさらに100件台に増えて推移し、2004年には199件にまで達し、2011年までは100件台が続く。その後は少し落ち着いて2012年からは80件台に減ったが、もう一つであった。それが、2015年・2016年には年間47件・45件にまで一気に激減し、遂に、2017年には26件となって、2000年以前の水準に戻ったのである。
これは、2015年当時の厚労省医政局総務課医療安全推進室の担当室長による「外表異状」という初のネーミング(それまでは「外表面説」と言われていた。)と、やはり当時の医政局医事課による「死亡診断書(死体検案書)記入マニュアル」の改定に基づく成果であった。こうして、「医師法21条の猛威」は完全に去ったのである。
この点を再確認すべく、平成30年3月9日には「全国医学部長病院長会議 大学病院の医療事故対策委員会」が「病院に勤務する医師の皆様にご理解いただきたいこと」という文書を公表した。そこでは「外表異状」の正当化根拠が述べられると共に、「院外心停止で搬入されるなど死因が分からない症例は、外表の異状を認めなければ医師法21条で定義される届出義務は存在しない。」との結論も明瞭に示されている。
3.刑法211条の現状
現在、医療事故等への業務上過失致死傷罪の適用については、比較的落ち着いた運用がなされているように思う。有罪となる件数は理想である0件までには至らないものの、検察による起訴・不起訴の取扱いはかなりそれに近付き、そこそこ手堅い運用になりつつある。
そのような中、厚労省医政局医事課によって、「医療行為と刑事責任に関する研究会」が開催された。裁判例などの分析・研究取りまとめ業務を行う研究会である。「未熟性」(診断が正しくできなかったりするなど、医師等としての能力が影響しているケース)」と「軽率性(患者の取り違えなど)」という要素に着眼した議論が進んでいるらしい。しかし、「未熟性」と「軽率性」とはそもそも必ずしも明確に区分できないところもあり、さらには、当該医療機関の管理運営面(システム)と関わることも多い。しかも、もともと法原理的に、「未熟さを過失犯として処罰してはならない」はずでもある。このように考えると、「未熟性」と「軽率性」の考え方を十分に成熟させて、しかも、明確に線引きできるようになるまでの間は、軽々に研究会報告書などにまとめるべきではない。「仮に曖昧なまま、考え方等を明らかにすれば、該当事例が刑事事件化しやすくなるなど、医療界に悪影響を及ぼす懸念もある」(平成30年4月4日付けm3「医療維新」)からである。
かつて第三次試案や医療安全調査委員会設置法案(仮称)大綱案に対して、「標準的な医療から逸脱した医療」などという医学的評価をして刑事事件化の後押しをしようとしたため、厳しい非難が浴びせられた。今回の研究会報告書も、一歩間違えばかえって同様の事態に陥りかねないので、特段の注意を要しよう。
4.医療事故調の現状
平成27年10月からスタートした医療事故調査制度の運用も、現状は手堅く推移していると評してよい。それまでも意識が高かった特定機能病院や大きな病院に限らず、無床診療所も歯科医療機関も含めて、日本全国すべての医療機関に広く医療安全を網羅させて行こうとするのが、医療事故調査制度の最大の趣旨であった。特に大きな制度的欠陥も露呈せずに全国的に堅実に推移していることからして、現時点をもって、制度の導入は成功であったと評価できるところであろう。
さらに、医療事故報告の件数も2年8ヶ月間の時点で合計997件であり、月間平均約31件と堅調である。制度発足当初は、特定機能病院などでハイリスクの医療を多く実施しているケースを基礎に医療事故報告件数を机上で推計せざるを得なかったので、件数見積りが少し高目になってしまったのはやむをえないことだったであろう。また、それまでの「医療事故」の定義であった「予期しなかった死亡」または「医療に起因した死亡」というものではなく、「医療事故」を「予期しなかった死亡」かつ「医療に起因した死亡」のみにしぼって明確に定義し直したことも、先例がなく、件数を推計しにくかったゆえんの一つであった。したがって今後は逆に、この2年8ヶ月間で明らかになった客観的な数値に基づく実勢を尊重しつつ、次のステップとして、堅実な医療事故調査の手法が徐々に確立されていくことが期待されよう。
最後に付け加えれば、残念なことに、現状ではまだ、医療事故調査の基本ルールが守られていないケースも散見された。たとえば、当該医療従事者から十分な事情聴取もせずして、いわば上から目線で診療経過を事実認定してしまうケースもあった。また、前医と後医との連携の問題もあるが、その点は前述の全国医学部長病院長会議の文書を引用して、しめくくりとしたい。「大学病院など地域の中核的な病院において、(紹介された患者について)前医の行為が死亡の原因と考えられた場合には、医療事故としてどう扱うか(医療安全調査機構への報告など)を含めて前医とともに検討を進めることが求められる。医師法21条に関する従前の解釈によるなどして警察署への届出を盲目的に行ってはならない。」