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vol 69 公衆衛生学の夜明けをどれだけ待てばよいのだろうか

医療ガバナンス学会 (2010年2月25日 08:00)


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厚生労働省

医系技官

木村盛世

2010年2月25日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

学習を伴わない行動は致命的である。行動を伴わない学習は無益である。
-メリー・ビアード-

ワクチンは何を目的に使われるのか理解しているのか、日本はワクチンを使う気があるのか。厚労省の対応を見ていると、そう質問したくなる。この根本的な議論をしないまま、文明開化で牛鍋を食べ始めたごとく、ワクチンを使い始めたのが日本であろう。
ワクチンは感染症の予防手段として生まれた。効果の度合いはワクチンによってまちまちである。共通していることは、副反応を伴うことである。副反応の頻度、重症度もワクチンにより異なるが、重篤な副反応の発生は通常、交通事故にあうよりは稀である。このリスクを理解して、国民全体の感染症被害を最小限にとどめる目的で導入するのがワクチン対策の基本である。言い換えれば公衆衛生学的ツールそのものだ。
100%効果のあるワクチンは、ワクチンだけで当該疾患を根絶できる。代表例は天然痘である。実際ワクチンの効果を調べるのは容易ではないが、効くワクチンは的確に使用すれば、病気の広がりを抑えることが出来る。
新型インフルエンザワクチンの効果については、新しい感染症なので誰にも本当の事はわからない。言えることは、インフルエンザのワクチンの予防効果は100%ではないということだ。また、ワクチンそのものの予防能力に加えて、複数の型が同時並行して流行することが稀ではないので、H1N1豚ワクチンの効果は本来の能力低くなる。
ワクチンとは十分な予防効果のあるものでなければ使用する必要があるが、効果が未知数であっても導入すべき場合もある。それが今回の新型ワクチンである。何故ならインフルエンザである以上、100%確実な予防法も治療法もないため、既存のツールを組み合わせて使うことが必要であり、ワクチンはその中で重要な位置を占めるからだ。
この基本路線に従えば、新型ワクチンを国民総数分そろえる事は政府が取るべき道である。もちろん最初は数が十分にそろわないため優先順位をつけて打ち始めるのは理解できる。しかし、予想していたよりもワクチン接種を希望する人が少なかった等の理由から、余剰分が出る現在に至っても、未だ優先順位を徹底し、希望者がいても摂取することができないという状況への厚労省の対応は、全く理解ができない。
新型インフルエンザが発生してから8カ月が経過した。先日WHOも最悪のパンデミック段階は終わったと声明を出したところだ。この間、我が国は何を学んだのだろうか。メディアがこぞって報道してきたものは、効果の限りなく薄い水際対策を繰り広げる検疫官の姿にはじまり、ワクチンの無駄は税金の無駄遣い、といった類のものばかりだ。しかし、本当に目を向けなければならないのはこんなことではない。
日本と欧米の対応を比較することが多いが、日本と他先進国との決定的な違いを知ることが必要だ。ワクチンの意義を理解していない厚労省の政策では、副反応に対する補償を含めた法的インフラがゼロに近い。これは他先進国との大きな違いである。これを見て、日本と欧米が同等の公衆衛生レベルを持っていると言えるだろうか?
副反応というリスクが伴うものに対して、「リスクはない」と言い続けるのは、国が訴えられることを回避するため、被害に対する補償を低く抑えるためであるが、重篤な副反応が起こった際に国や製薬会社を訴えることでしか問題解決が出来ないことがおかしいのである。なぜこんな話になるのかといえば、そもそも厚労省がワクチンの基本を理解していないからであろう。
基本がしっかりしていなければ応用はない。それは私たちが子供のころから学校で言われ続けていたことではあるまいか。九九ができない小学生に微積分の問題が解けないのと同じことである。
かつて根絶された天然痘のような古い感染症のみならず、まだ見ぬ未知の感染症は新たな脅威として私たちの前に立ちはだかっている。ハンセン病、薬害エイズ、肝炎など、厚労省は感染症対策で誤った道を歩んできた。今回の新型騒動は、我が国の厚生行政の基本土台がないことを改めて知らしめたわけだが、ここで己の無知を認識しなければ、国民が再び犠牲になる。第二、第三の薬害被害を生むことにもなりかねない。
「専門家の意見を聞いて今後に役立てたい」、というセリフが厚労省から発せられるのが常であるが、それは無駄である。何故なら、本当の公衆衛生の専門家は海外に流出しているからである。公衆衛生の要と呼べる疫学調査には莫大なお金と手間をかけたデータが必要だが、そのデータも医系技官が握って外に出さない現状を考えれば、研究者は食べていかれるわけがない。日本に公衆衛生の専門家がいないのはこのことが大きな理由である。
ゼロからの出発となる公衆衛生学を日本に根付かせるためには、海外からの専門家と共に教育システムの導入が必須である。毎年、ハーバード大学やホプキンズ大学といった世界のトップレベルの公衆衛生大学院に医系技官が留学する。彼らたちは能力があるから留学生として厚労省に選ばれるわけではない。国内ポリティクスの勝者だからだ。これでは日本の公衆衛生導入はいつまでたっても足踏み状態である。
彼らたちに多額の税金を費やすならば、いっそ欧米大学院を誘致してはどうだろうか。明治維新以来といわれる政権交代がなされたのだから、海外の公衆衛生大学院分校の設立などそう難しいことではあるまい。新政権下における、厚労省と文科省の初めての共同作業が、縦割り行政打開の大きな一歩となることは間違いないはずである。これこそ新政権がスローガンとして掲げている「脱官僚」ではあるまいか。

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