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Vol.255 らい予防法廃止と憲法改正

医療ガバナンス学会 (2018年12月6日 06:00)


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医療制度研究会 中澤堅次

2018年12月6日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

ハンセン病は、特効薬プロミンの開発以後、皮膚科領域以外では希な病気になりつつある。末梢神経が侵されるこの病気は、知覚神経の麻痺により、目・耳・鼻・口などが傷を受けても気づかれずに放置され、化膿を繰り返するうちに瘢痕化し容貌が著しく侵される。治療法がない昔は不治の病として恐れられ、忌み嫌われ、社会からも追われ、悲劇的な生活を強いられていた。文明国の仲間入りが大きな目標だった日本では、明治・大正・昭和と国を挙げての対策が取られ、国立療養所を中心に大規模な隔離政策が行われた。終戦後の新憲法下においてもこの方針は変わらず、昭和28年にはらい予防法の改正により、規制強化とさらなる適用範囲拡大が行われ、以後43年間多くの人権問題を内蔵したまま継続された。この間特効薬の普及により、抗菌剤で治る病気と認識を変えた国際らい学会や、ローマ法王からも、患者の人権侵害の事例として名指しで勧告を受けたが、学会や政府の反応は鈍く、改訂および廃止の議論は盛り上がらなかった。

らい予防を目的とした法律は明治時代に始まり、最初は、社会から拒絶され浮浪する感染者を救済する色彩が強かったが、次第にすべての感染者を終生にわたり隔離し、国立療養所でで死亡することをもって病気の根絶を狙う、病人に対する懲罰色の強いものに変わっていった。ハンセン病と診断されると、医師は警察に届け出て、役人は住まいを消毒し、患者移送中と書かれた車両を使うなどして、療養所に収容した。療養所では脱走を防ぐ為に、所持金のすべてを療養所内でしか通用しない園券に交換させ、衆目前の全身消毒など、病気の認識を持たせ、拘束を徹底させる手口で処遇された。
収容所内での結婚は断種手術が条件となり、療養所が手術を行った。子供を産ませないことで遺伝や感染を防ぎ、病気の撲滅を早める施策だった。脱走した場合は、罪科を裁判で決める必要があったが、感染を裁判官が恐れるため、療養所の長に懲戒検束権を与え、園長の権限で監房への収容や、院内刑務所の建設も行われた。これは、危険な感染症から国を守るという公共の利益を、病人の人権に優先させた結果だった。

終戦後の昭和22年、新憲法が公布され日本は基本的人権に基づく近代国家としてスタートした。当時は既に特効薬プロミンの治療効果が確認され、当然各地の療養所で待遇改善とともに解放を求める運動が盛んになった。全国ハンセン病患者協議会が発足したのもこのころだった。一方戦後の混乱で一時機能を停止していた国は、療養所を大幅に増床し、すべてのハンセン病患者を収容する規制強化と違反者の罰則強化を目的に、らい予防法の改正を計画した。国会証言では、国立療養所園長の医師3人が、隔離の必要性と規制の強化を求め、これを知った全患協は座り込みも含めて、国会外の運動を展開したが、S28年国会は改正らい予防法を可決した。その10年後再び全患協は、厚生労働大臣あてに請願書を出したが無視され、実に43年を経た平成8年に法律が廃止されるまで、らい予防法は改定されなかった。

この間、治療法の変化を受けて国際学会や、ローマ法王が日本を名指で勧告したが、国も医学界もその重要性が分からず、何の反応も示さなかった。なぜ民主主義国家において患者の人権侵害が放置されたか、今にして思えば、国立療養所という閉鎖環境にある医療専門職が病人の権利を理解せず、公共の利益に従順な国民性は、国が行うべき公共の福祉という憲法の理念に思いが至らなかったことが挙げられる。

今日、国会審議の基となる自民党憲法改正草案は「公共の福祉」をわざわざ「公益および公の秩序」に書き換え、基本的人権に制限を加えることを狙っている。これは人権について再び逆の方向性を与える重大な変革であり、改訂されればらい予防法が侵した過ちは過ちではないことになる。

らい予防法の廃止、この奇跡ともいえる、人権上重大な出来事には、元厚生省医務局長大谷藤郎氏が大きな働きをしている。彼は旧制中学時代に、京都大学皮膚科特別研究室助教授小笠原登氏の診療を見学し、癩患者の置かれた悲惨な状況を見ている。小笠原氏は日本皮膚科学会においてただ一人ハンセン病の感染率の低さと隔離政策の非を主張し、異端として排斥された経歴を持つ人物であり、この経験はその後の氏の活動に大きな影響力をもった。
また氏は結核を患い療養生活の中で、病人の思いを自ら体験している。その後厚生労働省に入省し頭角を現し、血清肝炎予防のため全血オーストラリア抗原検査の実施、精神衛生法改正など、公共の福祉が関係する重大な問題に中心的な役割を果たしている。大谷氏のハンセン病に対する思いは退職後にも続き、高松宮ハンセン病資料館の建設に引き続いて、ハンセン病支援組織藤風協会理事長、厚労省委託ハンセン病予防事業対策調査委員会の座長となり、この問題についての調査と提言を行うキーポジションにあった。また、キリスト教信仰への理解も深く、WHOのフェローとして活躍した経験もあり、人権に関する理解も深い。医療問題への専門的関与、病人の権利に係わる健全な人権意識、全患協との絶大な信頼関係、さらに国の方針を決める行政官としてのキャリアなど、この問題を解決するのに必要な、知識と理解、正しい認識と実務能力を兼ね備えた人物だった。

氏の活動は学会も注目し、第67回日本らい学会盛岡大会の特別講演において、らい予防法に関する学会の社会的責任について言及する記念すべき講演を行った。即日毎日新聞がこれを取り上げ、社会が注目することとなり、日本らい学会は、翌年の横浜大会において学会の公式見解を発表し、予防法への反省と廃止を述べた。それらを踏まえ、氏は公式に予防対策調査検討会中間報告を厚生労働大臣に提出、直ちに厚生省はらい予防法見直し検討委員会を設置し座長に氏を任命した。そして平成8年1月ついに菅直人厚生労働大臣の謝罪を経て、3月27日「らい予防法の廃止に関する法律」が国会を通過した。

行政官で在り医師であり人権の擁護者である大谷氏がいなかったら、国と医師と国民共に、病人の権利に関心の薄い当時の状況では、らい予防法の廃止は起こりえなかったと思う。

らい予防法廃止はなぜ実現したか?という疑問の答えにもう一つ、科学の進歩を私は考える。予防という公益のために、日本は病人の人権を制限した。しかし時間が示す結果から見れば、この政策は全く役に立たず、多くの人権と国費を損っただけと言わざるを得ない。一方、病人の救済を目的に行われる公共の福祉は、病気の国民を利するだけでなく、科学の進歩も促したと思う。プロミンの開発もおそらくその精神が原動力になり、人類全体に富をもたらしたと考える。

憲法論議が行われる今、「公共の福祉」を排し、「公共の利益」と「公共の秩序」を重視する自由民党試案は、公共という名のもとに国民の権利を制限する、偏狭で危険な国家観に基づくもので有り、大きな損失と人権の侵害をもたらすと認識しなければならない。民主国家においては、公共の福祉(Public Welfare)は常に変わらぬ国の目標であり厚生労働省の役割のひとつである。一方、公益や公的秩序は時代とともに解釈が変わる。もし許されるとすれば、それらは国民の福祉のためだけに限定されるものである。

参考文献: 「らい予防法廃止の歴史」 愛は打ち克ち 城壁は崩れ落ちぬ
大谷藤郎(おおたにふじお)勁草書房 1996
「現代のスティグマ」ハンセン病・精神病・エイズ・難病の艱難
大谷藤郎(おおたにふじお)勁草書房 1993
「日本国憲法改正草案」自由民主党 平成24年 2012年

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