医療ガバナンス学会 (2018年12月11日 06:00)
南相馬市立総合病院
澤野豊明
2018年12月11日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
2018年10月から11月初めにかけて、南相馬市議である大山弘一氏が「原発事故前に比べ、成人甲状腺がん29倍、白血病10.8倍、肺がん4.2倍」という内容のチラシを市民に配布しました。これは当院の医事会計システムのデータを明らかに誤った解釈し作られたものです。その内容はSNSなどでも拡散され、市民にも影響が出ています。実際に外来などでも市民から「甲状腺がんが増えたと聞いたが大丈夫なのか」という声を頂き、現場で働く一医師としては心苦しい限りです。
実際のところ、この医事会計システムのデータ(表参照)からは、がんなどの病気が増えているとは全くもって言えません。これは当院の医事会計システムにおいてH22年からH29年の間に当院を受診された、それぞれの主傷病名をもつ患者数をカウントしたものでした。このシステムでは、例えば患者が初めて来院し大腸がんと診断されると、大腸がんのカウントが1増えます。その後手術を行い、定期的に外来にかかっていただくと、治癒・転院・死亡など、当院に今後来院しないことになればカウントから除外されますが、その患者は大腸がんとして毎年カウントされ続けます。つまりこれは、毎年その病名を持った患者を繰り返しカウントしたデータであり、ある疾患の発症率の議論はできません。
またこの医事会計システムは、医療費のためのシステムであり、カルテ内容とも正確には一致しません。例えば、このデータのH29年度の成人甲状腺がんは29人で、H28年の21人から8人増えています。実際に診療録を確認するとH29年度に9人の患者さんに新しく甲状腺がんの病名がつけられ、その内訳は、5人が今回初めて当院で診断された甲状腺がん、4人が他病院で以前から治療をうけ、H29年に当院に紹介となった患者さんでした。つまり、H29年に初めて当院で診断された方は29人中5人であり、甲状腺がんが29倍に増えたと書くことがいかに誤解を招く表現であるかがお分かりいただけると思います。
加えて、H22年とH29年の数を単純に比較することもできません。それは市内の医療機関の開設状況と赴任している医師が変わったからです。H22年に市内で精神科を除く入院ができる施設は6つありました。しかしH29年においては、人口抗減少してはいますが、入院可能施設は4つに減少しています。もう一つは診療科の変化です。例えば、当院の診療科(どの科の医師が赴任しているか)も変わりました。呼吸器内科については震災後に呼吸器内科専門医が当院に赴任したため、肺がんの患者さんがより当院に集まる形となり、市内の患者数は変わらなくても、当院への受診数は増える状況です。血液内科(白血病など)も同様です。
また外科も医師が交代し、震災前にはほとんど手術することがなかった、乳がんや甲状腺がんの患者さんへの手術も当院で行える様になりました。つまり、大人の甲状腺がんを例にとると、H 22年に患者が1人なのに対して、H29年は29人というのは、甲状腺がんを診療できる医師が赴任したためです。このデータでもって、市内に甲状腺がんの方が増えているかもしれないと主張されるのはやはり誤りです。そもそもこれまでも、がんなどの診断がなされると仙台や福島に治療のため通われる方も大勢いました。1医療機関データだけで、市内である病気が増えた減ったと議論するべきではありません。
このデータをチラシで市民に配布した大山弘一市議ですが、そもそもこのデータを持って議会で「現在南相馬市はこのような状況にある」と質問をし、議長から注意を受けました。それにも関わらず、訂正や謝罪はいまだにありません。加えて、あろうことかこのデータを弁護士・井戸謙一氏に渡し、誤った解釈をSNSで発信し、市民の不安を煽りました。
しかし、南相馬市はいまだにこの情報に関する公式見解を公表できていません。本来は、このデータを市議に提供した市立病院および市がデータの正しい解釈を公表する責任が社会的に生じると考え、働きかけを続けていました。しかし、データが公表されてから1ヶ月以上過ぎても一向に公式見解の公表がなされませんでした。そういった状況の中、現場で市民の方から不安の言葉を聞くたび、なんとかならないものかと考え、この場で説明することとしました。この文章を読んで、一人でも多くの市民・国民の方が不安を軽減できることを願っています。
市議が現地で暮らす人たちを不安に陥れる誤った解釈を拡散することにも強い違和感を覚えますが、何よりも正しい情報が市民に行き渡らずもどかしい思いです。私たちの今までの研究やICRP・UNSCEARの公式発表では、福島第一原発事故による放射線の体への影響は十分に低く、例えばがんの要因としては喫煙や生活習慣に比べて影響があまりにも小さく、放射線によるがんかどうかの区別は困難なほどと言われています。
市民の皆さんが正しい知識を持っていただき、一刻も早く安心して暮らせるように今後も正しい知識の啓蒙を行なっていきたいと思います。
http://expres.umin.jp/mric/mric_2018_258.pdf