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Vol.002 浪人生や女子の点数差別から、大学の教育機関としての視点の欠如を考える ~ひとりひとりが最大限に能力を伸ばすことができるような医学教育への願いを込めて~

医療ガバナンス学会 (2019年1月4日 09:00)


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染川友理江

2019年1月4日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

医学部入試で、浪人生や女子差別があった事が問題となっており、自分の浪人時代を思いだす様々な立場の人がいるだろう。私もその中の1人である。2浪で女子だったかつての私も、沢山受けた医学部のどこかで、きっと点数を引かれていたのだろう、と思う。当時から、予備校などの資料を見ると、浪人生の割合は、レベルが同じ位の大学であっても、大学によって大きく異なり、浪人生や女子を許容する大学、許容しない大学がある事は容易に想像がついた。

個人的に2浪をした経験からすると、1浪目と2浪目では、プレッシャーが大きく異なった。医学部を目指して何年も浪人するというのは、本気で医学部を目指していれば、多くの人にとって辛く苦しい事だと思う。受かるという保証はなく、浪人した事による今後の就職や人生計画への影響が頭をよぎる。女性である場合は、「そこまでして良い大学に進む必要はない。将来の結婚の事なども考えると、浪人は悪影響だから、とにかくどこかの大学に入れ」という周囲からの圧力にも打ち勝たねばならない。また、医学部受験での面接の際にも、「医師をずっと続ける気があるのか、妊娠や出産をして、医師をやめるつもりではないか」というような質問を多くされた。憲法14条で男女の平等について保証されているが、医学部を受験し受かるという一地点を切り取っても、平等という言葉は本当に難しい。

浪人していた事により、さらに女子であった事により点数が引かれたとの報道を聞き、心にもやもやとした不快感を感じた。その不快感は、浪人生、女子というレッテルを貼られ、大事な試験で、個人を評価されるよりもそのレッテルにより点数が付けられていた事から来る。女性は医師になっても、出産や育児などで離職率が高く、大学の医局への貢献度が低いかもしれない。また、多浪生は留年率が高く、医師国家試験の合格率が低いというような傾向が大学ごとにはあり、それが入学試験に傾斜をかける事に繋がったのかもしれない。しかしそもそも大学ごとによって医師国家試験合格率や、女性の離職率も異なり、すべては複合要素である。
なぜ大学の都合によって、このような点数調整が行われるのか、原因の1つに、医学生を育てる立場にいる人間の、教育への情熱の欠如があげられると思う。医学生を教育する立場の人間の多くに、ひとりひとりを大切に育てるぞ、という意気込みがあった場合、このような小手先の対策が蔓延するだろうか。例えば、医師国家試験に受かる医師、組織の為に働く医師が欲しい、というメッセージを、今までの短い医師人生の中で、私も何度もうけた事があったが、最終的な教育目標をこのように位置付ける意思決定に、本当の意味で日本の医療界を担う医学生や医師を教育しようという視点は存在するのだろうか。組織のメリット、もっとひどい場合個人のメリットにならないと思ったら、不必要というレッテルを貼り、切り捨てたり攻撃したりする。どのような社会でもこのような事はあるとは思うが、少なくともこれは教育機関では決して行われてはならないはずだ。

学校という名のつく場所は、教育を行う義務があり、それは教育者側の都合によるものでなく、教育される側の為のものでなければならないと思う。でないと、生徒は能力を開花するよりむしろ自分を押し殺す事を覚え、結果的には学校の損失、社会の損失につながっていく。例えば、医師国家試験で良い点数を取り、将来医局や組織の為に働く医師を育成する事が目標となり、それに従う事をよしとするような教育がこのまま行われ続けた場合、どのような弊害があるだろうか。まずそのような教育を受ける立場の者は、そのように振る舞うことが、自分が受け入れられる上で重要である事を感じ、とりあえずそれに従おうと試みるだろう。そして同時に、大切なのは、自分個人ではなく組織や上の立場の人間であるという事を受け入れる。それは決して精神衛生的に良い事ではない。自分がその組織の駒であり、理想どおりに降る舞う事が重要な事だと学生が思ってしまったら、どのような人間が育つだろうか。まず、組織の理想どおりに働く、器用な人間が確かに増えるだろう。
しかし自分で考え行動しようという動機付けは起こらない。個人として大切にされているという感覚がないゆえ、組織への本当の忠誠心は育たない。結果的に、器用で従順、だが自分で物を考えることのない操り人形のような医師が増える。そして前述の行き場のない鬱憤は、組織にじわじわと悪影響を及ぼしていく。個人的な見解だが、教育者側が型やルールを作成し、そのとおりに教育される側を当てはめていくような教育は反対だ。教育をしたいなら、どうすれば良いか考え、形を変えていかなければならないのは、教育者側ではないか。そのような教育は、型やルールをあらかじめ決めそれに従い行うような教育より、教育する側、される側、双方に大きなメリットがあるように思える。医学生が特別とは思わないが、厳しい受験戦争を勝ち抜いてきて、次世代の医療や日本を担う大事な存在のはずだ。そのような医学生、医学生の卵をひとりひとり大切にしようという意識を、一連の入試の不正問題を聞いて感じ取れない。

誰の為の教育か、誰の為の入試か。学生が、大学の都合によって自分が振り回されていると感じながらそこにいたのでは、良い教育環境であるとは言えない。またこのような入試の不正は、医学部以外の学部や、大学受験以外でも行なわれているという話を聞く事もある。学生の教育の重要性、それが社会に与える影響についての認識が、弱まってきているのかもしれない。

ウルグアイの元大統領、ホセ・ムヒカの、「本当のリーダーとは多くの事柄を成し遂げる人ではなく、自分をはるかに超えるような人財を残す人だ」という言葉に衝撃を受けた事がある。この言葉の通り、現日本のリーダーによる、現在未来の医学教育も、ひとりひとりの能力を最大化するような、次世代の優れたリーダーを沢山生み出す為のものであって欲しいと切に願う。

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