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Vol.015 医師の流入は宮城のみ 北海道・東北の事情

医療ガバナンス学会 (2019年1月23日 06:00)


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本稿はエムスリー(m3.com)で2018年11月8日に配信された記事の転載です。

https://www.m3.com/lifestyle/638472

内科医師 谷本哲也

2019年1月23日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

私たちのグループは、医学部卒業後に医師がどの程度の割合で、出身大学の所在地から移動して他の都道府県で勤務しているのか、1995年から2014年にわたる20年間のデータをまとめ、日本全国で推計した英語医学論文を発表しました。第1回では、その論文の概要、解析方法をお示ししましたが、シリーズ第2回以降では地域ごとにデータの詳細を取り上げて行きます。今回は北海道・東北地方編です。

【論文の原文はこちら】

https://journals.lww.com/md-journal/fulltext/2018/06010/A_model_based_estimation_of_inter_prefectural.33.aspx

【vol.1はこちら】

https://www.m3.com/lifestyle/630138

医師の移動は、歴史・地理的背景とも無縁ではありません。データを読み解く上で、地域の歴史や医学部設立の背景なども頭に入れておくと、より深く理解ができると思います。本シリーズでは、そのような背景のうんちくも多少交えながら、論文のデータなどをご紹介させて頂きます。

北海道の医学部

蝦夷地、蝦夷ケ島などの古来の名称から、探検家の松浦武四郎(1818-1888)によって1869年(明治2年)に北海道に改称されました。アイヌはお互いを「カイナー(カイ:この国に生まれた者、ナー:尊称)」と呼ぶことから、「カイ」の音を盛り込んだとも言われています。ちなみにアイヌ文化は野田サトルの「ゴールデンカムイ」において活写され、最近注目を集めているところです。1882年から4年間、一時的に函館県、札幌県、根室県の3つが設置されましたが、混乱もあり一つの行政単位に戻され現在に至っています。明治政府にとって北海道開拓は重要課題であり、元佐賀藩主の鍋島直正(1815-1871)や、薩摩藩下級武士出身の黒田清隆(1840-1900)らを筆頭に、九州出身者が尽力した歴史があります。
改めて考えるとその面積は実に広大で8万3千平方キロメートル以上、九州、中国地方、徳島を除いた四国3県の面積を合計すると北海道とほぼ等しくなるほどです。人口は約532万人(総務省統計局、平成29年10月1日現在)で、減少傾向にあるとされています。

北海道には3つの医学部(国立2、公立1)があります。1918年(大正7年)に北海道帝国大学が創設、1919年に医学部が設置され、1949年に北海道大学医学部となります。札幌医科大学は旧道立女子医学専門学校を母体に、戦後の新制医科大学、通称新八医大の一つとして1950年(昭和25年)に、旭川医科大学は新設医科大学の一つとして、1973年(昭和49年)に設置されました。

東北地方の医学部

東北6県の面積は、約6万7千平方キロメートル、900万人を超える人口を擁していましたが、人口減少の局面に入って900万人割れし、平成29年10月1日現在の推計値では約884万人とされています。東北は関東や甲信越と人の往来も多く、戦後の急激な首都圏の人口増、医師不足に大きな影響を受けてきたと考えられます。

東北地方には7つの医学部(国立4、公立1、私立2)があります。
青森県(人口128万人)には弘前大学医学部があり、青森医学専門学校(1944年設置)と弘前医科大学(1948年設置)を前身として1949年(昭和24年)に新八医大の一つとして設置されました。「アイアムアヒーロー」などで知られる花沢健吾が青森県の出身ですし、作家では何と言っても太宰治でしょう(「人間失格」を伊藤潤二が漫画化)。岩手県(人口126万人)では、1897年(明治30年)に創設された私立岩手病院医学講習所に端を発し、岩手医学専門学校を経て、1947年に私立の岩手医科大学が設置されました。岩手病院は宮沢賢治が晩年の病床で書いた詩の題材にもなっています。岩手県は村上もとかの「六三四の剣」、浅田次郎の「壬生義士伝」(ながやす巧により漫画化)の舞台でも知られています。

秋田県(人口100万人)では、1945年(昭和20年)に設置された秋田県立女子医学専門学校を母体に、1970年(昭和45年)に秋田大学医学部が設置、山形県(人口110万人)では1949年(昭和24年)に開学した山形大学に1973年(昭和48年)に医学部が設置され、いずれも田中角栄内閣の一県一医大構想の新設医大の一群です。秋田県は「釣りキチ三平」の矢口高雄、山形県は「HUNTER X HUNTER」の冨樫義博で有名です。福島県(人口188万人)の福島県立医科大学は、1944年(昭和19年)設置の福島県立女子医学専門学校を母体として、1947年(昭和22年)に設置されています。福島県では、相馬氏の祖である平将門の軍事訓練に由来すると言われ、一千年以上の歴史を誇る相馬野馬追が文化遺産として名高く、原発事故の影響を乗り越え受け継がれています。また、私が勤務するいわき市は、海棲爬虫類のフタバスズキリュウ(Futabasaurus suzukii)が発見されたことで知られています。

宮城県(人口232万人)では、まず東北大学は、仙台藩明倫養賢堂に起源を持つ1817年(文化14年)の仙台藩医学校開設から、宮城県立医学所、仙台医学専門学校を経て、1912年(明治45年)の東北帝国大学医学専門部から1919年(大正8年)に東北帝国大学医学部、1949年に東北大医学部となりました。また、今回の私たちの論文には関係しませんが、2016年新設の私立東北医科薬科大学も宮城県にあります。なお、荒木飛呂彦の「ジョジョリオン」などで登場する杜王町は、仙台市がモデルとなっています。

流入増は宮城県のみ 論文データに基づく北海道・東北地方の医師移動

それでは、私たちの論文データで、北海道・東北地方を抜粋してみてみましょう。
この地域で一見して分かるのは、宮城県のみが医師流入(+31.2%)しており、北海道ではほぼ均衡(-4.3%)、他の県は医師流出(-17.3〜-54.2%)となっていることです。

表. 医師流出入関連データ(1995-2014年)

http://expres.umin.jp/mric/mric_2019_015-1.pdf

旧帝大系の医学部の特徴は、現在でも比較的医局の力が強いことにあるようです。北海道大学の卒業生は、「フリーという人は聞いたことがなく、大学院入学の年も自分で決められない」と言います。歴史ある旧帝大の医局は関連病院も多く、北海道と宮城県での医師流出が少ない一因になっている可能性も考えられます。特に宮城県の医師流入率が突出しているのが目立ちますが、意外にも人口あたり医師数はそれほど多くありません。九州で同じような立ち位置にある福岡県は、医師流入率は22.8%、人口あたり新規医師免許取得者数6.0といずれも宮城県を下回るものの、10万人あたり医師数は307.6人と大幅に上回っており、1995年より以前の元々の医師数の違いが大きく影響しているようです。

北海道・宮城以外は、10万人あたり医師数も平均以下

人口10万人あたりの医師数は、北海道、宮城県でほぼ全国レベル、他はどこも全国を下回っているのも、この地域の特徴で、九州など西日本の地域と好対照をなしていると言えるでしょう。特に福島県の人口10万人あたり医師数は200人を下回っており、人口10万人あたりの新規医師免許取得者数も、他県に比べて突出して少ない、つまり人口あたりの医学部入学枠も少ないことが特徴です。私は福島県でも勤務していますが、浜通り、県立医大のある中通り、会津と3つの歴史的・文化的背景が異なる地域が統合されて県が成り立っており、浜通りは原発事故後の長期的復興の問題も抱えることから、医師不足対策は一筋縄ではいかないと考えられます。

北海道の田舎は公的病院で主に運営されていることが特徴で、人口当たりの医師数は全体では一定数いますが、面積がとにかく広いため田舎では専門医が不足しており、外科医が透析を行ったり、消化器科医が血液腫瘍の化学療法を行ったりするような光景もしばしばあるそうです。また、厚生労働省などの統計数字にはありませんが、都内などで勤務し週末出張で勤務する医師も、それなりに地域医療の維持に貢献していると考えられます。西日本出身で北海道勤務の経験がある医師は、北海道のスケールの大きさは道外の人には理解しにくく、医療も少し独自に発展している雰囲気も感じられるという感想を述べていました。

やはり北海道は本州とは異なる魅力があり、北海道が好きで他地域からやって来る医師も少なくないようです。実際に、医療ガバナンス研究所で行った村田雄基医師(現南相馬市立総合病院)の分析で、旧帝大の北海道大学、東北大学の合格者出身高校の比較図をみるとその特徴が分かります(図参照)。

http://expres.umin.jp/mric/mric_2019_015-2.pdf

北海道大学合格者(2015年度、医学部以外も含む)は地元出身者が38%を占めますが、関東の他、関西や北信越地域、西日本からも合格者がそれなりに出ており、出身地域が全国に広く分布していることが分かります。富山県からの合格者が多いのは、もしかしたら北前船の西廻り航路があった伝統が影響しているのかもしれません。2018年の北海道大学医学部合格者数を見ても、出身高校所在地は、北海道48名(46%)、関東20名(19%)に続いて、関西14名(13%)、中部9名(9%)、九州7名(7%)、東北5名(5%)、中四国1名(1%)という風に分布しています(慶應義塾大学医学部生、西村洸一郎君による)。

一方、東北大学合格者数(2016年度、医学部以外も含む)は東北出身者が39%を占め、ほとんど関東に偏った合格者の分布を示しています(図参照)。上記と同じく2018年の東北大学医学部合格者を見ると、関東47名(39%)、東北43名(36%)、中部18名(15%)、関西5名(4%)、北海道3名(3%)、中四国2名(1%)、九州2名(1%)という結果でした。私たちの論文では、医師の出身地がどのように医師移動へ影響を与えたかの解析できませんでしたが、実際には勤務地選択に大きな影響を与えていることは想像に難くないでしょう。

http://expres.umin.jp/mric/mric_2019_015-3.pdf

地域枠に新設医学部…数々の施策の影響は

旧帝大以外の大学では、医師の勤務地選択に地域枠の影響があることも見過ごせないでしょう。近年では、旭川医科大学、札幌医科大学、弘前大学など、地域枠が入学者の半数程度を占める大学もあり、「医学部が高校の同窓会のようになっている」という話も聞きます。また、例えば山形大学の話を聞くと、同大の出身者の3割程度が大学医局に残り、他から来る医師はほとんどおらず、卒業生の多くは出身の地元に残るか、研修制度を含め待遇の良い病院を選択する傾向があるようです。一般人口の移動調査では、東北出身者の関東への移動が多いことも報告されています(2016年社会保障・人口問題基本調査、第8回人口移動調査)。医師でも同様に東北出身者の関東への移動は珍しくないでしょうし、関東出身の学生が地元に戻る動きも当然一定程度あることが予想されます。さらに新専門医制度も、これからの医師移動に大きく影響する可能性があります。齋藤宏章医師(仙台厚生病院)が行った分析では、導入前の同年代の専門医取得者数に比較し、導入後では北海道、宮城県、福島県で新制度に進んだ医師が増加しているものの、他の県ではほとんど変化がないという変化が認められています(論文投稿中)。

人口減少、高齢化が進む中、福島県での原発事故の記憶も世間一般では次第に薄れつつありますが、地域枠や新専門医制度の導入が医師の分布に今後どう影響するのか、東北医科薬科大学の新設により東北地方の医師不足がどの程度解消されるのか注目されると思います。

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