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Vol.027 エネルギーという悪魔:(1)いわき小川郷の白鳥

医療ガバナンス学会 (2019年2月12日 06:00)


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浜通り 永井雅巳

2019年2月12日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

去年の5月末に買ってもらった軽四の愛車ミント号の総走行距離は、まもなく5万5千㎞を超える。福島に来たら行きたいと思っていた会津の街や白河の関、郡山の風力発電所、また仙台の奥港・石巻には行けておらず、訪問診療の原則、クリニックから16km以内を走り回った結果だ。
地図上でクリニックから北へ16㎞ほどコンパスを回すと小川地区があり、ここには郡山に向かう磐越東線の小川郷駅がある。大正4年築の古い駅舎が今もひっそりと残っている。「るんるん、るるんぶ るるんぶ るるん・・」の草野心平の生家が駅の近くにある。生家と反対の猫鳴山(ねこなきやま)・屹兎屋山(きっとやさん)が並ぶ方向に向かって少し歩くと、夏井川の嫋やかな流れにぶつかる。夏井川は阿武隈山地最高峰の大滝根山を水源とし、南東にその速さを増して流れ、小川の町に至り、平藤間にて太平洋に注ぐ。中ほどの夏井川渓谷と呼ばれる景勝地からは鋭い岩峰が天を衝く二つ箭山(ふたつやさん)を望むことができ、草野心平が名付けたという背戸峨廊(せとがろう)では渓谷を落ちる大小の滝も見ることができる。

夏長く山裾を彩った槿(ムクゲ)、百日紅(サルスベリ)、凌霄花(ノウゼンカズラ)が漸くその役目を終えるころになると、待っていたかのようにイロハカエデやアカヤシオが錦をなす。秋麗の日は良いが、さらに素風が冷たく音を立て始めると、山の中腹では樹齢何百年にも達するであろう欅(ケヤキ)が、ジャコメッティの彫るヒトのように卒然と立つ。

この冬隣の候となると、小川の街付近の夏井川では、毎年、シベリアから白鳥が飛来する。白鳥としては体の小さいコハクチョウだ。昨年11月は比較的暖かい日々が続いたが、去年ときっかり同じ頃、まず20羽ほどの先発隊がやってきた。その数が数百羽になる頃、急に街は寥とした寒さを迎えた。

2018年3月現在東日本大震災による死亡者数は直接死1万5,895人、行方不明者2,539人と報告されている。直接死の原因は、がれきによる圧死・損傷死も含めると、ほとんどが津波によるものと考えられている。一方、復興庁によると震災関連死者数は2018年9月現在3,701人(うち福島県2,250人)である。復興庁は2012年3月震災関連死が1,632人の時点で解析を行い、結果を8月に「東日本大震災における震災関連死に関する報告」として公表している。それによると、大きく6つに分けられた原因のカテゴリーのうち、医療提供体制に関連するもの21%、避難所等への移動中の肉体・精神的疲労21%、避難所等における生活の肉体・精神的疲労33%、地震・津波のストレスによる肉体・精神的疲労8%、原発事故による肉体・精神的疲労2%、救助・救護活動等の激務0.1%。その他11%となっている。また、“福島県は他県に比べ、震災関連死者数が多く、その内訳は、避難所等への移動中の肉体的・精神的疲労380人と、岩手県、宮城県に比べ多い。これは、原子力発電事故に伴う避難などによる影響が大きいと考えらえる。”と言及している。また、“震災関連死は75歳以上の高齢者が多く災害弱者である。高齢者が十分なケアをうけられなかった”と報告している。

この報告以降、現在まで新たに2,069人(福島県1,489人)の、少なくとも、関連死として認定された人達がいるが、それについては解析がなされていない。このことを遺憾として、平成30年8月日本弁護士連合会は国に、「災害関連死の事例の集積、分析、公表を求める意見書」を提出している。まさに適切な対応と思う。推測してみるに、2012年以降の関連死の原因として、医療体制に関連するものは、ほとんどないであろうし、この間も福島県での関連死者数が圧倒的に多い事から、その原因は、復興庁が言う「原子力発電事故による避難の影響が大きい」と考える。

2015年内閣府(防災担当)は、「東日本大震災における原子力発電所事故に伴う避難に関する実態調査」を行い12月に結果を公表している。それによると、避難に当たって困ったこととして、住民の2割が障害や持病を持つ家族がいた事、1割が要介護者がいたことと答えている。また避難民の2割が平成23年3月11日~4月30日の50日間に避難所を5か所以上転々としており、4割の家族は分散を余儀なくされている。強制避難者総数約14万6千人であり、周辺の自主避難者も含めると、約18万6千人の人が移動した。

津波は、避難指示地域から南に向かう幹線の国道6号線(ロッコク)を超えてきたので、避難指示を受けた住民の多くは、混乱と渋滞と余震と汚染と原発爆発の恐怖の中、可能な道路を求めて西へ南へ北へと迷走した。前述の調査によると、平常30分ぐらいの行程が、5~7時間かかったという浪江町の消防隊員の証言がある。津波により通れなくなったロッコクの代わりにいわき市平と広野・楢葉・富岡・大熊・双葉・浪江町をつなぐ県道35号を通って、何とか四倉まで南下できれば、国道399号に入り福島市に行ける。水戸・東京に向かおうと思えば、四倉IC から常磐道に乗ればよい。いわきJCTで磐越道に乗り換えれば、田村市、郡山、会津若松を経由して新潟まで行ける。ただ直後、磐越道の渋滞をきらった避難者は、夏井川と並走する県道41号を走り、小川を通って郡山、あるいはここで国道399号に乗って福島市に向かった方もいると聞く。付近を車で通るたびに、小川で避難者はどのような想いで故郷に帰る白鳥をみたのかと考える。

現在、いわき市内には避難指示区域(浪江町、双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町など)から避難した高齢者を優先的に受け入れる介護施設がいくつかある。多くの入所者は、ここに至るまでに、県外から県内の会津、中通りの施設を何か所も経て、ようやく浜通りに帰ってきた方が多い。その7年の間に彼らの多くは、生活自立能力と認知能力と、一緒に暮らす家族を失くしてきた。
前述した2012年の復興庁の調査によると、“避難者は環境の変わり目で自殺のリスクが高まる傾向にある”としたうえで、有識者の意見として、“マスコミはまるで「心のケア対策」なる明確なものが存在し、それを行えば様々な被災者の心の問題が解決すると報道する傾向にある。しかし、本来は、地域経済・職業・健康状態の改善等、いわゆる生活再建をして、はじめて被災者の心の健康が回復していくものである。生活不安が解消しない状態では心のケアは万能ではないことを知るべきである”と付記している。
2014年4月の田村市から避難指示の解除がなされ、漸次、川内村、楢葉町、葛尾村、南相馬市と解除が進み、昨年春には飯館村、川俣町、浪江町・富岡町が解除となった。今年元旦のNHKニュースウェブによると、原発が立地する大熊町でも4月に避難解除がなされる方向で検討されているそうだ。生まれ育った故郷への道が開けることは、とても良い事だが、一方、朝日新聞の青木美希氏のレポートによると、この飯館村、川俣町、浪江町・富岡町の対象者3万1501人のち、帰還した人はわずか1364人(4.3%)。街はかっての街でなく、帰りたくても、帰れないのだそうだ。復興庁によると、2018年1月の避難生活者は約7万5千人。7回目の正月となった今もまだまだ被災者の生活不安は解消していない。権力・権威者が解除・帰還を早めることにより、原発避難者の消滅とこの大きな問題の終焉を図ろうとしているとするなら、国民は騙されてはならない。

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