医療ガバナンス学会 (2019年2月18日 06:00)
戦後登山ブームは何回かありました。直近では1990年代後半からほぼ現在まで続いています。今回のブームの最大の特徴の一つは中高年の登山が増えたことです。中高年は体力、筋力やバランス感覚の低下等もあり怪我等のリスクも高いのです。2017年は山岳遭難年間3000人以上と統計の残る中では最高、死者・行方不明者も350人に達しています
私も若いころ山登りをしていたわけではなく、40歳くらいから低山歩きを始めました。そんなある夏の日谷川岳の西黒尾根というルートを歩きました。ここは楽天の三木谷会長以下幹部が年1回登っていることでも有名ですが、途中に水場もなく岩からの照り返しも強いルートです。そこで私自身が脱水症を経験したことで山の恐ろしさを痛感したのが、山での医療に興味を持った始まりです。その後日本登山医学会を知り入会、一通りのトレーニングを受けて晴れて1年半前に資格を取ることができました。
日本登山医学会
http://www.jsmmed.org/about_us.html
は1981年に設立された日本唯一の登山医学の専門家団体であり、世界で初めて「登山医学(Mountain Medicine)」を名乗った団体です。当初は高山病や高地トレーニング等の科学的解明に重点が置かれていたようです。その一方世界の趨勢として1990年後半頃から山岳救助の実践・救急治療のアルゴリズムの整備等、現場での医療自体も発展してきました。これらを受けて、日本登山医学会も2011年より救助などの実践を含めた山岳医学全般に対する専門家として山岳医、その後山岳看護師を認定しはじめました。このあたりの経緯は
http://www.jsmmed.org/_userdata/2010dimm_report.pdf
に詳しく述べてあります。このコースへの参加者は年々増え現在ではあわせて120人程度の山岳医・山岳看護師が誕生しています。
山で起きうる事態としては滑落、道迷い、雪崩、火山ガスへの暴露、動物・昆虫に襲われる等様々なものがありその結果として、医学的には高山病のほか外傷、低体温症、凍傷、熱中症、脱水、窒息、アナフィラキシー、中毒等々の事態になります。しかも山に行く人は比較的無自覚な人が多いのです。例えば東京にある高尾山は年間300万人と世界で最も登られている山で、道も整備されていますがそれでも滑落死の報告があります。さらには、中高年の登山者の増加に伴い心筋梗塞等の疾患による病死も日本各地で増えています。
こういった犠牲者をどうやって減らすかの具体的な意見としては山岳医の中でも重点の置き方に差があります。例えば上記で述べたようなヘリドクターや現場救助者の養成に力を置きたい方、登山前の健診に重点を置くことでリスクを減らしたい方、一般への教育によって遭難者の減少や現場での応急処置等の充実に力を置きたい方等です。それぞれ一理ありこういった活動が合わさってやがて山がより安全に、より楽しくなるといいかなと個人的には思っております。
中でも山岳医・山岳看護師のトレーニングを受けている人の中には、山の医療にかかわって生きていきたいという若い医師・看護師が多くいます。現在山岳救助を担っているのは、警察の山岳警備隊、消防の山岳救助隊、自衛隊の航空救難団、地元の山岳会等ですが医療行為が可能な我々が現場に直行し可能な治療を行えば助かる命が増えるはずだという考え方です。
実際スイスではREGAという有名な救助組織があります。ヘリコプターにドクターも乗り込んで国内どこでも駆け付け、必要に応じて医療をしながら遭難者を病院に運ぶことで高い実績を上げています。
ところが日本では医療法の関係上、山岳救助の現場で医師が医療はできません。また北アルプスを中心に夏には夏山診療所が開かれていますが、これもボランティアで行われているのが現状です。つまり現在「山の医療」で食べていける医者はほとんどいません。これはせっかく身につけた知識や技術を生かすうえでも、最終ゴールである山での犠牲者を減らすうえでももったいないことだと思います。
私自身は年齢のことや本格的な登山の経験もないため、山中での大きな活動ができるとは思っていないのですが、こうやって山岳医の事務所を開き、付き添い登山や、講演などを行うことで少しでも山岳医療の実践に貢献するとともに志ある後進の道を開ければと思っています。
ところで最近は登山ブームも一段落し、ボルダリングやトレイルランニングに人気が集まっている感じです。
最近私が個人的に懸念を持っているのはトレイルランニングの大会です。トレイルランニングの大会は距離が長いほうが人気が高くなるともいわれ、あきる野市で行われる72kmを24時間以内で踏破する日本山岳耐久レース(ハセツネカップ)は約2500人の出場枠が数分で埋まるほどです。
危険性という点でマラソンと比較してみます。例えば今度第13回を迎える東京マラソンでは2017年までに8人の心肺停止者が出ていますが、周囲に観客がいること、AEDをもった自転車部隊やランニングドクターという医師ランナーを配備することで全員救命できています。ところが山岳レースの場合、それだけの人員を配備することは無理ですので心肺停止になった場合救命は難しいと考えられます。さらには、滑落、道迷いといった山固有のリスクがありますし、夜間ヘリコプターが呼べず人力で下山させるしかないため救急病院まで運ぶのに数時間かかる場合もありえます。実際この大会に限らず他の大会でも死者やけが人、低体温症患者などは多く出ています。山登りよりさらにカジュアル化の進んでいるトレイルランニングは今後リスク管理が問われると思っております。今後そういったところででも医学的知識を持つ我々が活躍できる機会が増えればと思っております。
なお以上はすべて神田橋の私見であり、日本登山医学会ならびに認定山岳医・山岳看護師全体の意見とは関係ないことを強調して筆をおきます