医療ガバナンス学会 (2019年3月18日 06:00)
内閣府による高齢者白書(平成29年版)によると、全世帯の約半数(47.1%)に高齢者がおり、高齢者の約4分の1(26.4%)が一人暮らし、約3分の1(32.5%)が老夫婦二人暮らしだそうだ。すなわち、高齢者の6割近くが高齢者だけで生活している。田舎ではもっと多いに違いない。因みに私が大学を卒業した昭和55年は三世代同居が全世帯の半数(50.1%)であった。たいてい、親は長男夫婦と同居し、盆暮れに孫達に小遣いを与える偉い存在であった。残りの半分は次男以下の世帯であったのだろう。
しかし、この三世代同居世帯は平成27年には11%となる。言うまでもないが、次男以下が増えたわけではない。因みに平成21年からこの三世代同居世帯を上回るようになったのが、親と未婚の子のみの世帯で平成27年には全体の約20%を占めるようになる。この中には山田昌弘氏の言うパラサイトシングルが含まれ、親は年金受給者として価値を持つことになる。この国では、40年の間に、高齢者の多くが一族からリスペクトされる存在から、寂しく生かされているだけの存在となってしまった。地方で訪問診療するとよくわかる。
この原因には少子化・核家族化という国民文化の変遷に加えて、この間の医療の進歩、介護提供体制の充実が供した役割が大きい。1964年Sanders らにより示され、最近注目されているものに健康寿命という概念がある。わが国では、1974年に国民生活審議会調査部会が平均健康余命として計算したものに始まる。引用が長くなるが、国立社会保障・人口問題研究所の林玲子氏の報告(平成25年度厚労科学研究費補助金「グローバルエイジングへの国境なき挑戦」分担研究報告書)によると、1974年国民健康調査で健康指標として「就床状況」が取り上げられ、それが1978年厚生行政基礎調査で「寝たきり」として追加された。いわゆる寝たきり老人の社会問題化に呼応する。
さらに、1986年の同調査では介護の要否が聞かれるようになる。すなわち、寝たきりではないが、介護を要する高齢者が増えてきたということだ。そして2000年には介護保険制度が開始となる。林氏はこれらの公的統計を用いた集計表より健康寿命と平均寿命の関係を分析した。結果、男女とも1970年代から2010年までの期間、非就床寿命、非寝たきり寿命は、平均寿命の延びに並行して伸長したが、介護不要寿命は2000年以降伸びが止まり停滞しているそうだ。すなわち、21世紀になり、この国の平均寿命の伸びは、介護を受けながら生活する人の伸びを示している。このことは、高齢になり、日常生活が不自由になっても、さらに生き続けることができるように、この国の医療や介護制度が充実していることの証であり、それはそれで結構なことのようだが、現場では、何となくしっくりこないと感じることもある。「なんで迎えがこないのか」という切ない言葉を聞く機会が少なからずあるからだ。技術・制度の進歩・充実以外に、この国では、何か大切なものを時代の中で忘れてきてしまったに違いない。
深沢七郎の「楢山節考」は1956年(昭和31年)の作品であるが、このギタリストであり放浪作家が、山梨県の山深い部落の棄老伝承を題材に描いた作品は、再読すると、形や表現を変えて、現代における“生き死に”の在り方、受け継がれる世代の関係を、改めて問うものである。多くの高齢者は、子や孫とも接する機会が少なくなり、幼く若い世代は、じいちゃん、ばあちゃんに会う機会はほとんどない。リスペクトとサンクスを受けられない、生きている意味を失った切ない気持ちの高齢者が多くあることを、病院の外では学ぶことができる。