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Vol.053 病院の外で学ぶ;(2)ホームとアウェイ

医療ガバナンス学会 (2019年3月25日 06:00)


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永井雅巳

2019年3月25日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

昨年の広島東洋カープはマツダスタジアムで45勝25敗と無類の強さを誇りセリーグを制した(阪神タイガースが甲子園で27勝42敗だったのとエライ違いや)。カープの選手にとって、マツダスタジアムは間違いなくホームだったに違いない。

病院で提供される医療と在宅医療の違いは、このホームとアウェイの関係に似ている。病院医療は、医療スタッフがホームで、患者はアウェイである。患者は諸々の病院のルールに従わなくてはいけないし、ホームのルールに従わなければ退場を命じられる(事もある)。家族や愛猫(あるいは愛犬)と一緒に居たくても無理である。治療の選択肢(あればの話だが)は医療スタッフから提示されるが、アウェイの患者の選択権はほとんどない。往々にして、主導権を握って“エライ”のは病院側である。“患者様のための・・”“患者目線の・・”といった病院理念を掲げても、やはり、患者にとって病院はアウェイなのだ。一方、在宅医療の場合、患者・その家族がホームで、訪問する医療スタッフはアウェイである。その家のルールを尊重し、患者の望むサービスを提供できなければ、もう来なくて良いと宣告される場合もある。

病院の場合は、一般に種々のガイドラインやエビデンスに基づいた医療が提供されるが、在宅医療の場合、医療スタッフの考えを押しつけるのではなく、法や倫理に反しない限り、患者・家族の望む医療をサービスすることが大切である。何しろ、ホームでは家族とずっと過ごせるし、愛猫とも戯れられる。病院医療では、「こうすべきだ」「こうしなくてはならない」といった医療界の価値観・思い込みが優先されるが、様々な歴史・文化・経済状態、また価値観の異なる在宅医療では、可能な範囲で、患者・その家族の望む生活の支援が主となる。主役・アクターはあくまで患者(ホーム側)であり、医療スタッフは相談役である。アウトカム評価は、生存期間でなく、トータルな患者・家族満足度にフォーカスする。

一方、在宅医療・特に看取りを含めた場合には、本人・家族に強い想いと覚悟が必要条件となる。“こうしたい、こうしてあげたい”という想い、最後は医療従事者に囲まれるのではなく、自分達が手を取って看取るという覚悟である。自分たち自身で決断できる力も重要だ。したがって、想い、覚悟に乏しく、医療に対して依存度の高い患者や家族は在宅看取りにはなじまない。そういう患者・家族には、判断は医療スタッフが行い、資源の圧倒的に豊富な病院医療が適する。また、想いと覚悟があっても、介護力が乏しいと、残念だが、やはり在宅医療になじまない。介護力とは、パワーと六感と介護者数のトータルだ。介護は瞬発力、持続力を要し、五感プラス思いの六感を、何人が持ち寄れるかが大切である。想いと覚悟はあっても、老々介護、認々介護のように介護力が乏しいと、介護する側の家族がもたなくなる。ただし、この国では、高齢者の半数以上が独居あるいは老夫婦二人暮らし、介護力・経済力も乏しいので、大変だ。

さきほど、在宅医療は生活を支援する医療と述べた。生活とは、食べる事、排泄する事、眠ること、歩けることなどだ。したがって、在宅医療の主たるところは、嚥下・栄養、排尿・排便コントロール、慢性の痛み・痒み対策、これらに歩ける人には転倒対策、歩けない人には褥瘡対策、それに認知症への関りができれば、ほぼ100%だ。大学ではあまり教えてくれなかった、教えなかった領域、コモンな症状が主だ。病院の外来であれば、医師はほぼ薬を出すしかできないが(だから、親切な先生はたくさん薬を出してくれる)、幸い、在宅医療では、薬を出すこと以外に、その人が生活している現場をみることができる。患者に触れること以外に、室温・湿度を感じ、ベッドの硬さを体感し、動線は問題ないか体験することができる。実際に介護者が食事介助をしている様やふだんの食形態を見ることもできる。

病院の外、アウェイの現場には、まだまだ教えられること、面白いことがたくさんある。自分が関われる領域が広がってくる。

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