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Vol.073 単身赴任のススメ

医療ガバナンス学会 (2019年4月23日 06:00)


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ときわ会常磐病院血液内科
森 甚一

2019年4月23日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

『大迷惑』は、 単身赴任のサラリーマンの悲哀を歌った、平成元年リリースのユニコーンのヒット曲である。
サビの歌詞「この悲しみをどうすりゃいいの誰が僕を救ってくれるの」から滲み出ているように、当時の世相として、単身赴任で地方へ転勤を命ぜられることは不幸の代名詞のような趣があった。
小学生だった私も子供心に「サラリーマンってかわいそうだから父を見習って医者になろう。」と、思ったように記憶している。
時は流れて平成28年の春、卒後10年目の医師となっていた私は、ある重大な決断をすることになる。妻と子二人を東京に置いての、福島県いわき市への単身赴任だ。

私は実家が代々東京の土着の農家であったため、小中高を東京で過ごした。その後卒業した大学も、初期・後期研修先の市中病院も、学位を取った大学院も全て都内だった。
大学院時代、とある縁から福島県いわき市の常磐病院でアルバイトをすることになり、そこではじめて東京以外の医療を経験することになり衝撃を受けた。

まず圧倒的に医者が足りない。80代の医師が現役で勤務しているし、病院によっては人手不足から当直もこなしている。
専門医へのアクセスの悪さも深刻だった。
私は白血病などを診療する血液内科が専門だが、内科非常勤として外来をやっている中で、致死的な血液疾患が診断されずに放置されている現状を何度も目の当たりにした。
なんとかしたいという思いが強くなり、大学院修了後常磐病院へ赴任し血液内科を立ち上げることを選んだ。

当時の私の決断に対して、東京の人たちの反応は冷ややかだった。
「一人で行って潰れてしまわないか」「研究の道は捨てるのか」「家族はどうするのか」「放射線は大丈夫なのか」

否定的なことを言われる度に逆に闘志に火がついた。それに、周囲からは無謀に見えたのかもしれないが、自分としては、ここならやれるという勝算があった。

原発事故の影響が相対的に小さかったいわき市は、帰宅困難となった周辺地域の住人が押し寄せたため、福島県内で震災後唯一人口が増加した市となった。
一方で元々少なかった医療従事者は、震災によってさらに減少し、特に病院勤務医の少なさは深刻だった。
そうした中、常磐病院は震災前8人であった常勤医師数が、震災後透析センターの開設に伴い15人まで増加、私が赴任した平成28年度には22人になり、平成31年現在26人まで増加している。

実は当院は院長を含めおよそ半数の医師が単身赴任者だ。家族を東京などに起きつつ平日の4日から5日をいわきで働く。こうした勤務スタイルを法人が全面的にサポートすることで、常勤医の確保に成功しているのである。
病院の裏に宿舎があり、毎日掃除が入って、新しい白衣が用意され、使用していればシーツも交換される。そこを住居とすることもできるが、別途家を借りて、忙しいときは宿舎、リラックスしたいときは家というように使い分けも可能だ。
平日も土日も単身赴任者用にビュッフェ形式の朝食と夕食が準備されており、暖かくておいしい食事をいつでも食べることができる。
極め付けは病院の最上階に設置された職員用の温泉で、源泉を引きつつ、温度は一定に管理されており、清掃の時間帯を除いていつでも入ることができる。非常勤時代から私はこの温泉が大好きで、仕事終わりに入浴して疲れを癒すことが日課になっている。
このように充実した福利厚生のおかげで単身赴任でも生活に困ることは全くなく、むしろエンジョイできている。そして普通の感覚ならば、これだけやってもらっている以上しっかり働かなくては、という気持ちが醸成されるのである。

医師不足の地域なので、診療は忙しい。
血液内科専門医として地域での役割も3年かけて確立し、いわき市のみならず浜通り地区と呼ばれる福島県の沿岸部全域と茨城県の北部からも患者を受け入れている。
血液疾患診療の他にも、地域のニーズを考えて一般内科の診療や当直帯での救急要請も可能な限り断らない。
昨年度内科部長を拝命し、院内の複数の委員会の長も兼務しているため、選手であると同時に監督としての役割も大きくなってきた。
仕事が終わった後の時間は自由だが、私の場合は余剰の時間のほとんどを研究活動に当てている。これは一般市中病院としては極めて異例なことなのだが、私の入職年にとある著名な研究者の主導の下、院内に基礎研究を行う研究室が立ち上がった。立ち上げ当初は私を含め3人だった研究室メンバーも、公的な予算を獲得したことにより8人まで増え、今年は大学院生の医師も一名受け入れている。嬉しいことに、私自身もここで行っている研究が今年度の厚労省の科研費に採択された。
さらに研究室とは独立したプロジェクトとして、昨年より数理系のエンジニアと共同して血液細胞画像の人工知能の研究も開始している。
これらの研究活動を終業後に行っているため、毎日の帰宅は深夜に及ぶ。研究は好きでやっているのでなんら苦ではないのだが、家族と住んでいたら、きっとこのような生活はできない。

その一方で、週末はほぼ欠かさず東京の自宅に帰っている。
東京で働いている頃は、常に病院から徒歩圏内に住み、土日平日昼夜問わない呼び出しに対応していたものだが、現在土日はいわきを離れてしまっているので、病院から呼び出されても行くことができない。土曜は非常勤の血液内科医師に任せて、日曜は電話で対応している。患者さんとしては24時間365日主治医に直接対応してもらいたいだろうが、そのような働き方を勤務医に強いては、医師不足の地域において持続可能な医療を享受することは不可能だ。
土日休みがしっかり取れることで、東京勤務時代よりいわきに来てからの方がむしろ家族と過ごす時間は増えた。

家族ごと移住するとなると非常にハードルが高いが、単身赴任ならば条件次第で私のように喜んで赴任する医師もいるだろう。
『大迷惑』の時代から30年経った現在、交通、物流、ITが発達したため
生粋の都会っ子を自認する私でも、地方での生活や仕事になんら不便を感じていない。
片道2時間半の都内といわきの電車移動はwifiを繋いでPCで仕事をしたり、スマホで本を読んだりしているし、欲しいものがあればネット通販で宛先を病院宛にすれば受け取りも問題ない。研究で遠方の人とミーティングをするときもWEB会議で事足りる。
「東京でしかできないこと」はこの10年で急速に減り、
あったとしても私の生活には必要ないことに離れてみて気がついた。

これからも古い枠組みにとらわれることなく、柔軟に、ハードに働くことにより地域医療を支え、自分自身の業績も積み上げていく。
「無謀な」チャレンジは現在進行形だ。

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