医療ガバナンス学会 (2019年5月28日 06:00)
NPO法人医療制度研究会・理事
元・血液内科医 平岡 諦
2019年5月28日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
●世界医師会(WMA)、日本医師会の設立から現在まで:
WMAは1947年に設立された。その目的は「医師の自律の擁護;to ensure the independence of physicians」、そして「そのような医師による、倫理行動および医療における国際的水準を出来得る限り高める;to work for the highest possible standards of ethical behaviour and care by physicians」ことである。
「医師の自律;the independence of physicians」の例を挙げる。ジュネーブ宣言の次の誓いだ。「I will not use my medical knowledge to violate human rights and civil liberties, even under threat.(日医訳)私は、たとえ脅迫の下にあっても、自分の医学的知識を使って、人権や国民の自由を侵害することはしない」。すなわち、「人権や国民の自由を侵害すること」を命じるような国法(悪法)が施行されても、そのような悪法への不服従を誓っているのだ。これが、国法(悪法)からの「医師の自律」である。
「悪法も法である。だから従った」、そしてナチスの医師たちのような失敗を犯した。その反省の下、「悪法も法である。しかし従ってはいけない」と謳っているのがWMAの「医の倫理」だ。そのような「自律した医師」を擁護することがWMA設立目的の第一ということだ。WMAは各国の医師会にも同様の姿勢を求めている。日医はこの求めに応じていない。
ジュネーブ宣言は1948年、WMAが最初に採択した文章である。現代版『ヒポクラテスの誓い;Hippocratic Oath』と呼ばれているが最も重要なことは、「合法」として行われた第二次世界大戦中のドイツ・ナチス政権下の医師による非人道的な人体実験、それへの反省に基づいて「自律した医師」(WMAはclinical autonomyと呼んでいる)を「医の倫理」の基本としたことだ。WMAはその後も ヘルシンキ宣言(1964)、リスボン宣言(1981)、マドリッド宣言(1987)などを採択し、戦後世界の「医の倫理」をリードしてきた。
日医は1947年、日本医学会を内包する新制社団法人として再出発した。1951年、WMAへの加入が認められ、これまでに武見太郎(1975)、坪井栄孝(2000)、横倉義武(2017)の日医会長がWMA会長に就任している。しかし、日本医学会は戦時下の731部隊での非人道的な人体実験を反省しておらず、そのため、日本医学会を内包する日医の「医の倫理」はゆがめられ、世界の非常識となっている(3)。日医はWMAの求めに応じることなく、その姿勢は決して「医師の自律を擁護」するものではない。
●ジュネーブ宣言(2017年改定)のアウトライン:
WMA 2017 Annual Reportにある「The Declaration of Geneva is a true successor the Hippocratic Oath」 を参考に、今回の改定の要点を述べる。第一に「The Physician’s Pledge」のタイトルをつけ、「Oath;神への誓い」から「Pledge;社会への誓い」であることを明らかにした。第二に対象を拡大し、なりたての医師(At the time of being admitted as a member of the medical profession)をすべての医師(As a member of the medical profession)とした。第三に以下の4点の誓いを追加した。第1点が患者の自律(patient autonomy)への敬意、第2点が医学知識共有の義務、第3点が恩師、同僚、学生へのしかるべき敬意、そして第4点が「医師の働き方」に関する誓いである。第4点につき、もう少し詳しく述べる。
その誓いは「I will attend to my own health, well-being, and abilities in order to provide care of the highest standard. (日医訳)私は、最高水準の医療を提供するために、私自身の健康、安寧および能力に専心する」である。意訳すると、「私は、最高水準の医療を提供するために、(もちろん医療ミスを起こさないために、そして過労死・過労自死から身を守るために、)私自身の身体的、精神的健康、および診療能力に注意を払う」となる。すなわち、「医師の働き方」に対する医師自身の主体的な取り組み(「医師の自律」)を、「医の倫理」に追加したということだ。
●「応召義務」との関係:
戦時下、「合法」とされた医師による非人道的な人体実験、これに対する反省を直接的に述べているのが、先に述べたジュネーブ宣言の次の誓いである。「I will not use my medical knowledge to violate human rights and civil liberties, even under threat. (日医訳)私は、たとえ脅迫の下にあっても、自分の医学的知識を使って、人権や国民の自由を侵害することはしない」。これをより一般的に、肯定文として言い換えると次のようになる。国法(悪法)という第三者の意向を優先させたため、戦時下の医師による非人道的な人体実験が起きた。そこでWMAは、第三者の意向より何より「患者第一;To put the patient first」を「医の倫理」の大原則としたのだ。
1948年に採択されたオリジナルのジュネーブ宣言は次のように述べている。「The health of my patient will be my first consideration.(日医訳)私の患者の健康を第一に考慮します」。2017年改正では次のようになった。「The health and well-being of my patient will be my first consideration.(日医訳)私の患者の健康と安寧が、私の第一に考慮すべきことである」。「患者第一」であることの基本は変わっていない。
この誓いは一見、「応召義務」を後押ししているように見える。しかし実際は逆である。もう少し「応召義務」との関係を見てみよう。「医の倫理」の大原則は「患者第一」である。しかし、過労によって医療ミスを起こしては本末転倒である。「過労死ラインを越えて、医療安全は守れない」のだ。医師の過労死・過労自死につながれば社会的な損失でもある。患者の安全、医師の過労死・過労自死を考えると、「医師自身が過労にあると判断すれば、応召義務に応えてはいけない、たとえ悪法によって脅迫されても」、と言うことになる。
「応召義務」を免れる「正当な理由」は、「医師の不在又は病気等により事実上診療が不可能な場合」に限られている。ここでの診療が「過労状態での危険な診療」であってはならない。「First, do no harm;まずは、患者を害するな」が大前提だから当然だろう。したがって、過労だ、との医師自身の判断が「正当な理由」になるのだ。
もう一度繰り返す。ジュネーブ宣言(2017改定)の意味は、「過労と判断する主体が医師自身である」、そのことを医師に誓わせたのだ。そのような「自律した医師を擁護する」とWMAは謳い、各国医師会にも同様の姿勢を求めている。それにも拘らず日医は勤務医を見捨てたのだ。
●日医の弁護士と日医の姿勢:
日医は、そのHp「医の倫理の基礎知識」に、2018年8月31日付けで「ジュネーブ宣言」を掲載した。2017年改定を含めた、日医参与・畔柳達雄弁護士による解説である。まず1948年採択ジュネーブ宣言を次のように解説している。「この宣言の特徴は、1948年という採択当時の医師・患者関係を反映して、患者は治療の対象・客体であり、全ての決定権は医師にあることが前提とされている。医療は男性の仕事と考えられ、医師専門集団の『教(恩)師』を父親、『弟子』を子ども、『同僚』を兄弟(のちに兄弟姉妹と表現)に見立てた、家父長型組織を考えている。宣言第3項、第6項は、その表れで、ヒポクラテスの誓いの強い影響下にある」。
次に2017年改定についての解説である(DoGはDeclaration of Genevaの略)。「これに対して今回の2017年改定DoGは、患者を客体から主体に改めて『patient autonomy』の概念を正面に据えた点および医師専門集団につきヒポクラテス以来の家父長型集団観を全面的に排除し医師集団の民主化を徹底して、現代的な人間関係を回復した点の二点で、まさにコペルニクス的な大転換を成し遂げた21世紀の大改定と評することができる」。
畔柳弁護士の解説は全く、731部隊による非人道的人体実験はもちろん、ドイツ・ナチスにおける非人道的人体実験についても触れていない。それらの反省に基づく誓いについての解説も、もちろん無い。畔柳弁護士は、WMAが次のように述べていることを知っているはずだ。「(日医訳)倫理は法よりも高い基準の行為を要求し、ときには、医師に非倫理的行為を求める法には従わないことを要求します」(4)。
そもそも弁護士の職務は何か、「かれの職務とするところは、たんに現行法を適用することで、現行法そのものが改善の必要が無いかどうかを探求することではない」(5)のだ。その弁護士が、「法への不服従」を説く「医の倫理」を解説することは不可能だろう。畔柳弁護士は、「I will not use my medical knowledge to violate, human rights and civil liberties, even under threat. (日医訳)私は、たとえ脅迫の下にあっても、自分の医学的知識を使って、人権や国民の自由を侵害することはしない」についてどのように解説するのか、出来ないだろう。さらに加えて畔柳弁護士は、「医師の働き方」における「医師の自律」についての誓いが追加されたこと、これについても解説していない。これは無知ではなく、厚顔無恥と言うべきだろう。
横倉・日医会長のWMA会長就任が2017年のシカゴ総会である。この総会で、2006年以来の改定、そして初めてのジュネーブ宣言の大幅改定が採択された。横倉会長がその改定内容を知らないはずがない。また、畔柳弁護士が日医のHpに掲載している解説の内容を知らないはずがない。その上で、病院管理者である横倉会長は、「医師の働き方改革」では病院管理者を優先させて、勤務医を見捨てたのだ。これも無知ではなく、厚顔無恥と言うべきだろう。
●勤務医が、今からでも出来る運動、しなければならない運動:
「医師の働き方改革」を勤務医のための改革にするため、私はその方策を纏めて投稿した(6)。方策の第一が「過労死ラインを越えて、医療安全は守れない」をスローガンにすること、第二が「応召義務をチラつかせ、勤務医を守ろうとしない日医、その勤務医部会からの総引き揚げを」である。しかし、この3月には厚労省「医師の働き方改革に関する検討会」の報告書が出てしまった。
今からでも出来る具体的な方策を以下に述べる。第一に、上に示したスローガンを書いた「ビラ」を、あなたが診察している患者に配ることだ。これもインフォームド・コンセントの一つである。第二に、上に示した内容を「声明」として、全国医師連盟、全国医師ユニオンなど、出来るだけ多くの医師集団が表明することだ。そうすればマスコミも取り上げるだろう。いずれにしても、勤務医が「医師の働き方」に対して主体的に取り組む姿勢、立ち上がる姿勢を示すことだ。これこそが、ジュネーブ宣言(2017改定)の求めている所であり、日本の医療現場を良くする方法である。
おわりに:
「医師の働き方改革」における日医は、「地域医療提供体制の確保」を錦の御旗に、「応召義務」の助けを借りて、勤務医より病院管理者を優先している。守ってくれるはずの日医から見捨てられた勤務医は、「医療安全」と書いた莚(ムシロ)旗を押し立てて、患者(国民)を味方につけて立ち上がる以外に道は無い。
「医師の働き方」における「医師の自律」を「医の倫理」に追加したジュネーブ宣言(2017改定)、これを承認したWMAは日本の勤務医を応援している。これが世界の常識だ。日医の姿勢がWMAと真逆である理由を遡ると、日医が731部隊による非人道的人体実験を認めず、日本医学会の反省を引出し得ていないことに突き当たる。日医に、この点での「コペルニクス的な大転換」をさせなければならない。そうしなければ、いつまでたっても日本の医療現場は良くならない。
(1)中澤堅次;「医師の働き方改革の詳細について」(MRIC 2019.3.13, Vol. 047)
(2)坂根みち子;「『医師の働き方改革は患者安全のため』が世界の常識-医師の働き方改革を阻害しているのは厚労省と日本医師会」(MRIC 2018.9.3, Vol. 178)
(3)平岡諦著;『医師が「患者の人権を尊重する」のは時代遅れで世界の非常識-日本の医の倫理の欠点、その歴史的背景』(ロハス・メディカル、2013)
(4)『WMA 医の倫理マニュアル、2015年改定版』(p.14)
(5)カント著、宇都宮芳明訳;『永遠平和のために』(岩波文庫、1985, p.74)
(6)平岡諦;「勤務医よ立ち上がれ、主体的な働き方改革を」(MRIC 2018.9.19, Vol. 190)