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Vol.136 「性的少数者」の人権を守れ;(1)「性同一性障害者特例法」の人権侵害

医療ガバナンス学会 (2019年8月6日 06:00)


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NPO法人 医療制度研究会・理事
元・血液内科医、憲法研究家
平岡 諦

2019年8月6日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

● LGBTと「性的少数者;sexual minority」について:
LGBTとは、Lesbian、Gay、Bisexual、Transgenderの各単語の頭文字を組み合わせた表現である。LGBとTは、一部重なり合うことはあるが、LGBが性的志向(恋愛や性愛の対象)に関するマイノリティであるのに対して、Tは「生まれた時の身体的な性別(sex;通常、出生時の外性器の形状に基づいて男女どちらかに割り当てられる)と、性自認が生じたときの性(gender)が一致しない状態」(「性同一性障害」と呼ばれている)に関するマイノリティである点で異なっている。
LGBTのそれぞれが「性的少数者」であることから、彼女・彼らに人権問題が生じやすい。そこで人権問題を扱う文書では、LGBTと「性的少数者」とが同義語として用いられることが多い。

性的志向にL、G、Bと、少数者の中にも多様性があるように、「性同一性障害」にも多様性がある。その多様性は「身体的性別と性自認の不一致により生じる性別違和感の軽減に必要となる性別移行」の程度、すなわち「性別移行」を求める程度によるだろう。その願いの幅は広く、「性別移行」を望まない人から、「身体的性別移行」、「社会的性別移行」あるいは「身体的および社会的性別移行」を実行する人まで、人によってまちまちだ。

● ICDの「性同一性障害」の疾病概念が変わった:
世界保健機関(WHO)は、1893年から行われていた国際的死因統計分類を引き継ぎ、これに疾病統計分類を追加して、1948年に国際的疾病・死因統計分類(International Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems;略称ICD)をICD-6として発表した。現在使用されている分類は1990年採択のICD-10である。今年(2019年5月)の総会で、30年ぶりの全面改定を行い、ICD-11として採択した。2022年1月1日から発効することになっている。
ICD-¬11には、疾病概念の変更された分類がある。それが「性同一性障害;Gender identity disorder(GID)」だ。ICD-10では「05 : Mental, behavioral and neurodevelopment disorders」に分類されていたGIDが削除され、ICD-11では「17 : Conditions related to sexual health」の中の「Gender incongruence」として位置づけられた。すなわち、「disorders」(正常ではない状態)の一つから、「conditions」(正常状態の多様性)の一つに変わったということだ。
「Gender incongruence」とは、生まれた時に与えられた身体的な性と自身が認識する性との不一致の状態をさすのだろう。WHOは、この不一致状態を、正常状態の多様性の一つと位置づけたのだ。
2010年にWPATH(World Professional Association for Transgender Health)は、すでに次のような声明を世界に向けて発表している。ICD-11は、この考えに合わせたことになる。
「gender identityを含む、ジェンダー特性に関する表現が、出生時に割り当てられた性別(sex)に典型的とされるものとは異なることは、文化的に多様な人類に共通な現象(a common and culturally-diverse human phenomenon)であり、それを本質的な病理と見なしたり、否定的な見方をしたりすべきではない」。

この不一致状態から、自身の身体(特に思春期の発育しつつある身体)に対してや、性に伴う役割への周りからの期待に対して、強い精神的苦痛や社会的困難を伴うことがある。その時には、精神的、身体的、社会的な支援が必要となる。American Psychiatric Association(アメリカ精神医学会)では、「Gender Dysphoria」という用語を用いているが、これは「Gender incongruence」にかなり近いものだろう。日本精神神経学会は「Gender Dysphoria」を「性別違和」と訳している。性別の不一致状態から生ずる、強ければ不快や嫌悪を伴う、違和感と言うことだろう。「Gender incongruence」を厚労省は「性別不合」と仮訳しているようだが、当事者の心の状態を表す言葉、「性自認」を中心に置いた言葉と判るような訳が良いと考えられるので、ここでは「性別不合感」を用いる。

ところで、「性同一性障害」が「disorders」、すなわち「正常ではない状態」の一つと考えれば、治療の方向としては、「正常」に近づけようとすることになるはずだ。しかし、日本精神神経学会の「性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン」にある治療も、海外での治療(たとえばWPATHのStandards of Care for the Health of Transsexual, Transgender, and Gender Nonconforming People)も、「自認した性」に近づける方向のものであり、決して「身体的な性」に合わせる方向の治療ではない。現場ではすでに、「disorders」では対応できないことが判っていたのだ。今回のICDの変更は現場に合わせたことにもなる。そこで問題になるのが、日本の「性同一性障害者特例法」の規定である。

● 健康と人権に関する世界標準:
WHOは、人間の健康を基本的人権の一つと捉え、その目的を達成するため、1948年に設立された国連の専門機関である。日本も1951年5月に加盟している。WHO憲章前文では、国連憲章に沿って、次のように記載している(和訳は日本WHO協会仮訳)。
Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.
健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが 満たされた状態にあることをいいます。
The enjoyment of the highest attainable standard of health is one of the fundamental rights of every human being without distinction of race, religion, political belief, economic or social condition.
人種、宗教、政治信条や経済的・社会的条件によって差別されることなく、最高水準の健康に恵まれることは、あらゆる人々にとっての基本的人権のひとつです。

WHO憲章前文に照らして表現すると次のようになるだろう。「肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、いずれかが 満たされていない状態」の「性同一性障害」の当事者は健康ではない。その満たされていない状態が更に強くなって生活に支障をきたすようになれば、またさらに自身の存在自体を否定するようなことになれば、「性同一性障害」患者となる。
そのような患者が、「人種、宗教、政治信条や経済的・社会的条件によって差別されることなく、最高水準の健康に恵まれることは、基本的人権の一つ」ということだ。差別や、最高水準の健康を求めることに邪魔するものがあれば、それは「性同一性障害」患者の人権侵害と言うことになる。

● 日本の「性同一性障害者特例法」の規定は人権侵害:
正式名称は「性同一性障害者の性別の取り扱いの特例に関する法律」だ(以下、「特例法」と略す)。2003年7月16日公布、1年後から施行された。その内容は、「性同一性障害者」のうち「特定の要件」を満たす者につき、家庭裁判所の審判により、戸籍上の性別記載と法令上の性別の取り扱いを変更できる、というものだ。問題はその「特定の要件」である。以下の5要件があげられている。
1.二十歳以上であること。
2.現に婚姻をしていないこと。
3.現に未成年の子がいないこと。
4.生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。
5.その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること。

「特定の要件」のうち1~3は社会的な要件、4と5は身体的な要件である。「戸籍上の性別記載と法令上の性別の取り扱いの変更」という「社会的な性別移行」を求める「性同一性障害者」に対して、「身体的な性別移行」(第5要件)を要求するだけでなく、「生殖機能の廃絶」(第4要件)をも要求する内容となっているのだ。
2013年、国連の人権委員会の特別審議官(Juan E. Mendez)は報告の中で、人権侵害の一つに、「特例法」にあるような法定要件としての断種手術を挙げた。
「In many countries transgender persons are required to undergo often unwanted sterilization surgeries as a prerequisite to enjoy legal recognition of their preferred gender.」(Report of the Special Rapporteur on torture and other cruel, inhuman or degrading treatment or punishment, Para 78)。

なぜ人権侵害になるのか、WHO憲章前文に照らすと次のようになる。「性同一性障害者」が、性別に関して「社会的に満たされる」ことを望むと、法によって断種手術が強制される。強制手術は、「性同一性障害者」を「肉体的、精神的に満たされなく」するだろう。その結果、「性同一性障害者」が「最高水準の健康に恵まれること」を阻害することになる。だから「特別法」のこの規定が人権侵害だと判断されるのだ。
言い換えると次のようになる。この法律は、断種手術を受けた「性同一性障害者」のみが、「戸籍上の性別記載と法令上の性別の取り扱いを変更」できることになる。「性同一性障害者」の中には、断種手術を望まないが、「戸籍上の性別記載と法令上の性別の取り扱いの変更」を望むものも皆無ではないだろう。この差別は、WHO憲章前文に照らして、人権侵害だと判断されるのだ。

国連は、そのような法律を改正して、「性同一性障害者」に対する強制的断種手術を削除するよう、何度も推奨文を出している(OHCHR, UN Women, UNAIDS, UNDP, UNFPA, UNICEF and WHO; 『Eliminating forced, coercive and otherwise involuntary sterilization; An interagency statement』2014, Refs 39, 163-166)。国は、「性同一性障害者」の人権擁護のために、至急、身体的な要件を削除(少なくとも第4要件「生殖機能の廃絶」の削除)のための法改正に取り組まなければいけない。

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