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vol 118 日本のがん医療はどこへ行く?

医療ガバナンス学会 (2010年4月1日 07:00)


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-土屋院長の辞意と「坂の上の雲」-

 

名古屋大学 造血細胞移植情報管理学
鈴木律朗
2010年4月1日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


日経メディカルで国立がんセンター院長の土屋了介先生の辞意の報に接した。任期一年を残しての勇退である。見事な引き際であると感じた。

さて、国立がんセンターと言えば、海軍兵学校の跡地に建っていることは知る人ぞ知る事実である。海軍兵学校と言えば「坂の上の雲」である。くしくもNHKのスペシャルドラマが進行中であり、今回の出来事にかけて「坂の上の雲」と解いてみた。

かく言う私も、今回のスペシャルドラマを期に「坂の上の雲」を読んだクチである。ミーハーとのそしりは甘んじて受ける。しかしそれをもってしても、同書が最強の組織指南本であることに変わりはない。トップはトップとしての行動ができているか?参謀を自認する人は、現場にきちんと足を運んでいるか?さすが司馬遼太郎である。軍隊を例にとっているが、その「べき論」は司馬流のものであろう。「長」とはいかにあるべきか、陸軍元帥大山巌の口を借りて司馬は言う。「負けいくさになればわしが指揮をとります」。こうして見ると、あなたの周囲の「長」はトップとしての行動・判断ができているだろうか。「勝ちいくさ」の指揮をとりたがる事例が目につくようである。

国立がんセンターのもう一つの問題点は、医師人事の硬直性である。医療にはそもそも、絶対的な正解は存在しない。地域や施設が変われば、状況によって取るべき方向性は変わるのが常である。このため、医師は一人前になる過程で幾つかの環境を経験することが要求される。一人の医師が一つの医療機関に長く留まることは、医療環境の面からも人事の流動性の観点からも推奨されない。大学のいわゆる「医局人事」は負の側面ばかりが強調されたが、一定の人事異動がある点では評価されるべきである。ところが国立がんセンターでは、このような医局人事から切り離されているため医師人事の客観的評価や流動性が存在しない。若い頃に国立がんセンターにやって来て、大した評価も受けず(負の評価をされてさえも)長く残っている医師が順送りで職階のみ上がって行く事例が存在する。こうした医師たちは、外部の医療事情を理解・考慮することなく独断的な医療を行うことがある。国立がんセンターは報道では、「日本のがん医療の司令塔」などと書かれることがあるが、こうした医師たちに司令塔の役割が果たせるはずがない。あまつさえ、実際には正反対に、他の医療機関を中傷することで自分たちの優位性を確保しようとする例もある。「坂の上の雲」でもロシア陸軍の総司令官クロパトキンが、黒溝台会戦で日本軍の一角を突破したグリッペンベルグ大将の軍を退却させるくだりがある。グリッペンベルグの名声が上がることを恐れたクロパトキンの精神の官僚性が軍人性を上回ったものとして描かれているが、硬直した組織の中で増大した官僚性が大局を見誤らせることは、何も当時の露軍だけにとどまらない。「ロシア帝国の敵は日本人にあらず、クロパトキンである」というグリッペンベルグの罵言は、時代や状況が変わっても生き続けていると思われる。

「坂の上の雲」でのもう一つ触れておかねばならぬキーワードは「牡蛎がら」である。「軍艦は航海に出て帰還すると、船底に牡蛎がらがついて船足が落ちる。人間も同じで経験は必要だが、経験によって増えた智恵と同じ分量だけ牡蛎がらが頭につく。智恵だけ採って牡蛎がらを捨てることは大切なことだが、老人になればなるほどこれができぬ。」(意訳)

人は誰しも坂の上にある雲を追い求めているものである。雲をめざして駆けている人たちは生き生きとしていて美しい。美しいのはその「様」だけでなく、探求の成果が彩りを添えるからである。しかし人は「坂の上」にたどり着いた後は、どうなるのであろう。「長」としての責任を果たすか、老害となり果てるかはこれまた様々である。国立がんセンターの部長ともなる人々は、きっと一世を風靡した人たちである。「坂の上の雲の後」がいかなるものか、司馬の伝えるところでは太平洋戦争における陸軍とある。同センターがどうなるかは、登場人物たちが次の坂を目指して駆けられるか否かにかかっていると言えるのではないだろうか。

タイトルでは「日本のがん医療」と書いたが、日本のがん医療は国立がんセンターだけが担っているわけではない。これが日露戦争との違いで、第三軍のみが結果の帰趨に責任があるわけではない。同センターがいつまでも乃木や伊地知が跋扈する所であり続けるならば、拠点を他へ移せばよい。日本のがん医療の研究費の配分決定には第三軍重視の傾斜がついているが、それを是正すればよいだけの話である。当人だけで牡蛎がらの掃除できない時は、外部が適切な判断を下すべきであろう。

土屋先生引退の報に接し一部組織の例を挙げたが、これは何も築地の一角に止まらず、日本の各地で起きていることの一側面である。組織はいかにあるべきか、トップはどう行動すればよいか。この機会に考えられてはいかがだろうか。

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