最新記事一覧

Vol.213 1955-2020 その(2)

医療ガバナンス学会 (2019年12月12日 15:00)


■ 関連タグ

永井雅巳

2019年12月12日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

官邸より成果を求められ、結果を急ぐ官は、去る9月26日424の公立・公的病院リストを公表した。その意図は、この424病院は病院運営に効率性がなく、早急に具体的対応方針(統合、廃合、縮小など)を検討し実行せよという意味である。以下、リストに上がった病院、その設立母体から多くの反論が上がったが、国の宰相は、これらの意見を封じるかのように、10月28日の経済財政諮問会議で、「地域住民の医療・介護サービスのニーズを的確に反映し、持続可能で安心できる地域医療・介護体制を構築していくためには、地域医療構想の着実な実現が必要」と論じ、民間議員(後述)からは、急性期から回復期への病床転換、官民合わせて約13万床の病床削減が提案された。が、果たして宰相がいうように、この構想は、本当に“地域住民の医療・介護サービスのニーズを的確に反映している”のか、また、この構想を実現しなければ、“持続可能で安心できる地域医療・介護体制は構築できない”のかという2点が、十分に説明されているとは思えない。この国の行方に関わる大変重要なテーマであるので、政にある方は与野党を問わず、しっかり論じていただきたい(願)。

さて、前述した経済財政諮問会議とは何かについて考える。現在の経済財政諮問会議は内閣総理大臣を議長とし、副総理、内閣官房長官、経済財政担当大臣、総務大臣、経済産業大臣、日本銀行総裁に加え、民間から財界2名、学界2名の計10名の議員により構成される。これに加え、例えば医療分野が論点となれば、厚生大臣が臨時議員として加わり開催される。驚くことに、この会議は広く各分野に亘り、平成30年17回、平成31年~令和元年(11月13日まで)にも計17回開催されている。経済最優先を掲げる現内閣では政策決定において重要な意味を持つ会議であろうし、この国の矛先を決定する国策決定機関とも考えられる。

先述した宰相の意見を受け、民間議員からは、(1)経済再生・財政健全化の一体的な推進強化に向けて ~社会保障制度改革~、(2)社会保障制度改革 ~経済再生・財政健全化の一体的な推進強化に向けて~という意見が2部の参考資料を付し述べられている。資料には、竹森俊平(慶應義塾大学経済学部教授)、中西宏明(株式会社日立製作所取締役会長兼執行役)、新浪剛史(サントリーホールディングス株式会社代表取締役社長)、柳川範之(東京大学大学院経済学研究科教授)の4議員全員の名が付されている。その内容は、(私には社会保障のための経済再生・財政健全化なのか、経済・財政健全化のための社会保障制度改革なのかよくわからないが・・)宰相の論旨を具体的な形で詳述したもので、政の意見を、官が具現化し、民の意見として発信された形のようにみえる。
竹森氏、柳川氏の学界代表2名については、失礼ながら知らない。中西氏、新浪氏についてはその経歴や現在の肩書から優秀な経営者、ものつくり、商売の達人ということは容易に想像できる。しかし、この4名だけをもって恰も民間意見の代表とされていることにこの国の意思決定のプロセスの危うさと胡散臭さを感じるのは私だけだろうか。4氏は恐らく指名され、受諾しただけだろうから罪があるわけではないが、4氏をもって民間代表とした政・官には意図を感じる(学界・財界代表が巧みに民間代表にすりかわっている)。言ってみれば、この4名に宰相を含めた11名は成功者としてのきわめてマイノリティに属する方々ではないか。さらにその裏にある官の多くも、少なくとも都会の富裕層に属すると括っては失礼だろうか? その方々が経済以外にも地方で守らなくてはならないものがあることを知り、地域にある高齢の生活困窮者(主に一次産業卒業者)に与する政策を考えるだろうか。さらに、重ねての無礼を承知でいえば、現在のこの国で、金持ちが金持ちが損する策を考え、官が政に反する意見を貫くとは、とても思えない(ほど、信頼を失っている)。

言葉が過ぎた。さて、この医療に関する経済財政諮問会議の次の会合で、宰相は「パソコンが1人当たり1台となることが当然だということを、やはり国家意思として明確に示すことが重要」と意見し、民間(!)代表の支持を受け、西村経済再生担当相(当時)が「学校のICT化は急務であり、是非実現したい」と受けている。官民のどちらが仕掛けているのか不知だが、この国はモノを作り、売ることが、急務で大切なことのようだ。医療・介護のように計算困難なサービスという得体のしれないものは信用されない。ただ、東京を出て、地方の隅々を回り、目を開き、耳を立てれば、この国は何か大切なものを忘れようとしていることに気づくかもしれない(祈)。

元に戻る。424病院は効率的な運営ができていないとして官に叱られた。そもそも、医療に求められる効率性とは何であろうか? そもそも地域住民の少ない(市場のない)田舎の病院で効率性が必要なのであろうか? 以前、救急医療は不採算と言われ、国立の大学では設置が遅れた。なぜ、不採算かというと、いつ来るともしれない患者に多くの人員(医師、看護師、検査・放射線技師、薬剤師・・)を準備しなければならないからだ。余談であるが、地域における救急医療の必要性・重要性を知る東西の私立医科大学、民間病院はこの不採算医療の先陣を切り地域で重要な役割を果たし、多くのこの分野の人材育成に貢献した。救急医療と地域医療はどちらも非効率的かもしれないが、いずれも大切なものだ。敬愛するキャッチャー・イン・ザ・ライの主人公17歳のホールデンが将来なりたかったのは、ライ麦畑で遊んでいる子どもたちが、崖から落ちそうになったときに捕まえてあげる、ライ麦畑のキャッチャーのようなもの。いつ落ちてくるかも知れない子供たちに備え、ずっと崖下で待つ非効率・不合理の塊のような存在だ。

さらに非効率的な医療の代表が在宅医療である。私のような医師でも一般病院で働いていたときは、1日に50人程度の外来患者を診ていた。訪問診療ではどんなに頑張っても1日8人程度。緊急往診が入ると5人が精一杯である。浜通りでは、高齢患者が山の中腹にいて、特に冬場には訪問に時間を要した。彼らが里に出てくれれば少しは効率的だが、彼らは大切な先祖代々の城を守っているのだ。時間ばかりではない、他の資源(人、モノ、情報)が集中されている病院に比べれば、在宅医療の効率性は、はるかに病院の其れには及ばない。でも、私は正直、在宅医療が好きである。なぜならば、効率性以上に大切なものがそこにはあるように思えるからだ。

政と官は1985年の第一次医療法改正から35年を経て、いよいよ第七次の改正、病床削減(地域医療)構想によって、地域の医療にトドメを刺そうとしている。医療にトドメを刺されれば、畢竟、地域は亡びるだろう。だが、諸外国からみた医療に関するデータの比較のみを根拠に、今のこの国の医療に処することは問題である。1955年から生じた様々な格差、急速に変わった家族構成・文化、そして今なお変わらない古い体質の医局制度、大学病院を中心とした医学教育制度、商との関係が深い学界体質も含めた医療改革がなければ、数合わせだけの医療改革は間違いなく、この国を不幸にする。

現宰相は歴代の宰相に比べ、言うこと・やることが解りやすい。長州出身によるためか多少国粋主義が前面に出すぎて曲解を受けることもあるが、ある意味、国士ともいえるかもしれない。ただ、今も解らないのが、よく出てくる“経済最優先”という表現である。何に対して、最優先なのか解らない。かつて憲法改正最優先だったのが、アメリカに叱られて経済最優先となったという話もあるが、そうではないだろう。いつか、誰か、「国民全体の幸せより経済が最優先ですか?」と尋ねてくれないかと思っている。政にとって、経済を興すことは大切であるが、さらに大切なことは、その経済で得た国益を、一部の富裕層にのみ還元するのではなく、教育や医療・介護・福祉に再分配し、全国民万世の幸せを図ることではないか。

MRIC Global

お知らせ

 配信をご希望の方はこちらのフォームに必要事項を記入して登録してください。

 MRICでは配信するメールマガジンへの医療に関わる記事の投稿を歓迎しております。
 投稿をご検討の方は「お問い合わせ」よりご連絡をお願いします。

関連タグ

月別アーカイブ

▲ページトップへ