医療ガバナンス学会 (2019年12月17日 06:00)
グラフィックデザイナ
日本ロービジョン学会
日本人間工学会会員
山本百合子
2019年12月17日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
私はデザイナとして、長く視覚の問題の周りを考えてきた。人が視覚から得る情報量は大きく、 目が見えなくなることは、もしそれが起こってしまうなら、人生最大の「不幸」であろう。しかしそんな不幸な人はそれほど多く無いように見える。そんな希な例を一般論にすべきではない。が、果たしてそうだろうか。
興味深い論がある。現在、視覚障害者として手帳を持つ者の数は、31万人であるが*1、もし、日本にそれだけしか、見えにくい人がいなければ、日本人は世界で一番「目が良い」国民となってしまう。2007年の日本眼科医会の試算*2では、これと同等の見えにくさを持つ者は、164万人存在するとしている。その昔はこの数字は100万人だったと記憶しているが、高齢化を加味し、疫学的観点から修正したのだそうだ。高齢化というファクターがあるなら、今は更に増えているということになる。
30万人vs160万人。多少、誤差があるとして、また、統計的大風呂敷だとしても、最低でも70万人である。県一つ分の人口に匹敵する。この差は何を示しているのだろう。
もう一つ、興味深い調査*3がある。311震災直後、避難所で見えにくさを持つ人々に「何か困っていることは無いか」と聞いた。すると、多くの人が、「時間が分からない」と答えたという。時間を知ることは、社会との関係性を維持するにおいてまず、第一の基本である。故に、いろいろな視覚障害関連のサポートを行う窓口では、まず、時計の紹介がされる。視覚障害でも触って分かるなどの工夫がされた時計、音声時計等は何種もあり、簡単に購入もできる。にも関わらず、このような時計などを知らない人たちがいる。それはこれまで、時間を気にするような局面に遭遇せず、困りもしなかったことを意味しているだろう。即ち、友人や職場と関わらず、一度も行政などにアクセスをしたことが無い人達なのではと推測できる。
このデータを、先の眼科医会の数字と考え合わせると、この70–130万人の人達がどのような状態にいるのか、推理できる。自立的に外に出ることなく、役所の相談窓口に行くことも、誰かとランチの約束をすることもなく、家の中だけで過ごしてきたのではないか。だから、障害者手帳という「統計」の遡上に乗らなかったのではと。
現在、各地で「ロービジョン*4」をテーマにした学会や勉強会が行われている。参加者には眼科医だけでなく、行政の担当者、教育、福祉関連、心理学関係の研究者、障害当事者、私のようなデザイナまでいる。そこで交わされる議論は、非常に幅広い。「目が見えなくなる」という問題に立ち向かうには、単に医療的なアプローチだけでは太刀打ちできないというのが、よく分かる。
人が失った視力を取り戻したいという望みを持つのは当然である。が、もし、それが難しいならそこには絶望しかなくなってしまう。その時、本当に理解できるのは、表面的な視機能だけがすべてでは無いということだ。散歩がしたい。新聞を読みたい。生まれた赤ちゃんの顔を見たい。目が見えなくなっても、諦めたく無いものはたくさんある。自分にとっての「希望」、ささやかでもそれが得られたら、それだけで幸せになれるものがある。
これを支援するのが、ロービジョンケアである。
私たちは眼科に行くと、視力検査をされる。ランドルト環という輪の切れ目がどちらなのか見えるかどうかで、視力が測られる。しかし、本当に目が不自由になった時、輪の切れ目が見えるかなど、どうでもいいというのが分かる。どれほど文字が読め、道を歩くことができるか。学校に通ったり、スーパーで買い物をしたりという生活を自立して行えるかということが問題になってくる。ロービジョンケアはこの視点で視力を捉え、支援する。
例えば、最近、外へ出るのが嫌になった。とにかく、不快だ。怖い。本人には分からないその原因は、時として、外に出た時の目を刺すような「眩しさ」にあったりすることがある。ではサングラスをかければ良いのか。サングラスでは暗くて、外の明るさを楽しむこともできない。ロービジョンケアでは、まず、帽子や様々な工夫を提案してくれる。また、その人の目では、どの波長の光が不快で、どの波長が必要なのかを分析して適正なレンズを選択してくれる。暗くなることなく、他の人から黒いサングラスをかけた人という印象を持たれることもなく、生活者として自然に使うことのできる「遮光眼鏡」を試すこともできる。その他、「拡大読書機」というのもある。全盲に近くカテゴライズされる者でも本が読めたりするだけでなく、牛乳の賞味期限を見たり、マネキュアをぬったり、編み物をしたりするのにも使える。その他、様々なデバイスがあり、その人の特殊な視機能や生活に合わせてアドバイスをしてくれる。また「ブラインドメイク(化粧法)」のような訓練もある。自分では見えなくても、社会の中で誇りを持って生きていく「きれいな自分」はどれほどの幸福感をもたらしてくれることか。
こういう専門家にアクセスできるかできないかで、視力を失った後の生活は大きく変わる。障害を持っても、それぞれが生活者として、職業人として自立できるなら、経済効果は大きいはずである。
しかし、ロービジョンケアという言葉はどれほど認知されているだろうか。診療報酬として認められたのは、つい、2012年のことである。しかもそのわずかな点数でさえ、施設要件などで認められるのが難しいと聞く。ロービジョンケアを実施していない施設も多い。それはユーザがアクセスできない、それ以前に知ることができないということでもある。こういう自立支援を得られないことが、最初に書いた、70–130万人ものどこにいるか分からない人々の存在につながるとしたら哀しい。
高齢化に伴って、福祉関連予算が高騰していく。多くの医療施設が高額な機械を備え、保険診療で誰でも医療が受けられる。しかし、そんな医療資源に恵まれた日本にあっても、私たちの幸福感は低い*5。今、我々はその価値観を見直す時に来ているのではないか。
ロービジョンケアの視点で考えると、必要なのは、何百万もする新薬でも、高額な機械でもない。もっと違う視点、人は何を望むか、幸福を軸にした方向性である。そのソルーションは必ずしも経済負担が高いものだとは限らない。人が人に寄り添うケアであったりする。
日本ロービジョン学会*6や日本眼科医会はホームページ にこのロービジョンケアを行っている施設を掲載している。つい何年か前までは、ロービジョンケアをやっている施設が一つも無い県がいくつもあった。今はかなり増えたが、それでも、不自由さを持つ生活者が簡単に行くには遠い地域もある。
私たちは『ものもらい』や『はやり目』で眼科に行く。街に住めば歩いて10分ほどの所にクリニックがあり、保険診療が受けられる。行けば、きっと『ものもらい』は3日早く治るかもしれないと思う。しかし、本当に絶望の淵にいる人の人生を幸福にする医療への道は、いかに遠いことか。
これからの社会には、幸福という価値軸も必要ではないだろうか。
多摩美術大学 美術学部グラフィックデザイン 卒
東京大学 大学院総合文化研究科 国際社会科学 修士
————–
*1
平成18年身体障害児・者実態調査結果 平成20年3月24日
厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部企画課
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/shintai/06/dl/01.pdf (2019年12月1日閲覧)
*2
【日本眼科医会研究班報告 2006–2008】 日本における視覚障害の社会的コスト
https://www.gankaikai.or.jp/info/kenkyu/2006-2008kenkyu.pdf (2019年12月1日閲覧)
*3
東日本大震災の被災者
佐渡一成 1)2) 吉野由美子 2)4) 原田敦史 2)3)4) 加藤俊和 2)4)
1)さど眼科 2)視覚障害リハビリテーション協会 3)日本盲導犬協会 4)日本盲人福祉委員会
http://www.sado-ec.com/vision2014j.html (2019年12月1日閲覧)
宮城県では、我々が支援した視覚障害者の43%が音声時計を知らず、56%は拡大読書器を知らない、あるいは使ったことはないと答えた
*4
http://www.kanazawa-med.ac.jp/~ophthal/?page_id=104
疾患の国際基準を定める国連機関である世界保健機構(WHO)では、ロービジョンとは、矯正した視力が0.05~0.3の状態と定めています。しかし疾患によっては矯正視力が0.7もあるのに、視野異常などにより日常生活が困難というケースもあり、高度の視覚障害により眼鏡を装用しても日常生活に支障が生じ、困難を感ずる人をロービジョン者と呼ぶようになってきました。ロービジョンケアとは、視機能を再評価し、それぞれの患者さんに応じた行政サービスの紹介や補助器具(ルーペ、拡大読書器、遮光眼鏡など)の紹介により、視覚障碍者の残っている視機能を最大限に活用し、生活の質の向上を目指す分野です。
金沢医科大学眼科学講座webページ (2019年12月1日閲覧)
*5
https://worldhappiness.report
World Happiness Report 2019 (2019年12月1日閲覧)
*6
日本ロービジョン学会ホームページ
https://www.jslrr.org (2019年12月1日閲覧)