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Vol.012 1955-2020 その(3)

医療ガバナンス学会 (2020年1月21日 06:00)


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永井雅巳

2020年1月21日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

2020年の年明けは穏やかだった。昼過ぎに辺りで出会う子供たちの多くは手袋さえしていない。私の子供の頃には、師走を過ぎる候となると、ほとんどの子供が鼻水を拭う手に立派なしもやけとあかぎれがあった。鱈子のように膨らんだ凍える指を火鉢に翳すと、一層かゆくなり、火鉢を覆った毛布にこすりつけ痒さを紛らした。半時ほど歩いて、近くの古い禅寺まで辿り着くと、ブナの老木に負けじと背丈を伸ばした南天の木が赤い実を結んでいる。正月なのにひとけもなく、着飾った様子もないのが潔い。潔いが、昔は、正月休みの境内はどんなに寒くとも腿を出した半パンの子供たちでいっぱいだった。今は、空の青と南天の赤、遅れて地面を覆う銀杏の黄だけの静謐さだ。

さて、例年通り、元旦は実業団駅伝、2日、3日は箱根駅伝、大学ラグビーを楽しんだ。アナウンサーは襷をとおしたチームの絆、控えスタッフ・応援する家族も含めたチームワンを叫ぶ、まさにそのとおりだ。絆は個々の能力以上のモノを見せてくれ、人々の心を感動にゆらす。だが、現実社会ではどうだろうか。仲間はいつの間にか他人という言葉に置き換えられ、“他人を蹴落とし、いかに生き延びていくか”という社会を戦後、この国は作ってきた。「生き残るための競争」の重要性を政府もメディアも学校も煽ってきた。戦後の教育が作ったのは現在に繋がる格差社会・階級社会だった。そして、今や絆は単なるスポーツの中に見える幻影にすぎない。

穏やかだった正月だが、3日の深夜には銚子沖の緊急地震速報のアラーム音で叩き起こされた。朝には米国大統領がイランの司令官の殺害を指示し、そして実行された。世界のメディアは第三次世界大戦の始まりを危惧した。

災害と戦争と恐慌は不確実なものであるが、それでも果たして何年か先の未来は予測可能であろうかとボンヤリ考えた。子供はそんな事は考えないだろうな。子がある人は、その子が成人する20年後、子供のいない人は自分たちがリタイアした後の20年後の世の中を考えるだろう。一方、多くの老人たちはまずそんな事は考えないだろうな。とすると、未来の在り方を考えるのは、今の成人たちの大切な責務のように思える。
20年先は2040年、この年に向けて、どのような社会を作っていくかということをビジョンと呼ぶことにする。このビジョンを思い描き、そのためのアジェンダの作成は、国民の声を代表する政府の使命である。「共生保障 支えあいの戦略(岩波新書)」の著者である宮本太郎氏によると、2040年には1.5人の現役世代が1人の高齢世代を支えるようになり、85歳以上人口が高齢人口の3割近くになり、高齢世代がさらに高齢化するそうだ。また、進めてきた規制緩和政策で安定した雇用を得ることができなかった世代がそのまま高齢となり、高齢世代の困窮化も一層すすむ。そして高齢世帯のなかの独居老人の割合は4割を超え、高齢世代の孤立化がさらに進行するそうだ。20年後のこの国で絆はみえてこない。

また“「分かち合い」の経済学(岩波新書)”の著者、神野直彦氏の紹介によると、孔子は論語の中で「不患寡而患不均」、すなわち為政者は格差と貧困の解消が責務であると述べた。宇沢弘文先生のアドバイスを受けたローマ教皇ヨハネ・パウロ二世は、自然環境や人的環境といった市場の力だけでは保護されない公共財を保護し保全することが政治の使命であると伝えた。すなわち、2040年に向けた為政者の使命は自然および教育や医療・福祉を守り、たとえ非生産者であっても子供や老人を守り、国民間にある格差と貧困の解消を図ることであり、畢竟、この2点に尽き、決して、格差や競争を助長するものであってはならない。

戦後、国防のための時期から高度経済成長期と呼ばれる“モノ”を作る時代を経た日本の国民の多くは、その暮らしは豊かで世界一格差の少ない国だと思っていた。「一億総中流」という言葉が当時の国民の認識だ。一方、人間ブルドーザーと例えられた田中角栄を継承した大平正芳は、この国あり方について、私は、都市の持つ高い生産性、良質な情報と、民族の苗代ともいうべき田園の持つ豊かな自然、潤いのある人間関係を結合させ、健康でゆとりのある田園都市づくりの構想を進めてまいりたいと考えておりますと述べた。
その後、レーガン、サッチャーの率いる新自由主義を推進した中曽根康文、彼を継いだ橋本龍太郎も “21世紀に向けて、日本は地域の自立の促進と美しい国土の創造をめざし、歴史と風土の特性に根ざした新しい文化と生活様式を持つ人々が住む美しい国土、庭園の島ともいうべき、世界に誇りうる日本列島を現出させ、地球時代に生きる我が国のアイデンティティを確立する”と宣言した。
さらに新自由主義を推進し小さい政府をめざし幾多の民営化を行った小泉純一郎を継承した現宰相もその著書の中で「今の日本では、損得が価値判断の重要な基準となり、損得を越える価値、 たとえば家族の絆や生まれ育った地域への愛着、国に対する想いが、軽視されるようになった」と総括し、「美しい国となる日本」の実現を語った。彼らは本当にそうなればよいと思っていたのであろう。
が、残念ながら歴史はそのようには動いていない。小さな政府の実現をめざす数々の施策は、21世紀初頭には労働者派遣法・労働基準法の改正にはじまる“人より企業の視点”に立つ様々な雇用政策の制度改正にも及び、それは、景気の好転にもかかわらず、結果、労働賃金を下げ続けた。その理由は、景気の好転化に伴う労働力の不足を、制度改正によって低賃金、解雇の容易性、社会保障負担の節約が担保された非正規雇用者で補填したからである。そして、今でもこの規制緩和という亡霊が官僚や多くのエコノミストを捉え、この国の再興戦略の中で最重要施策と位置付けられている。

而して、1980年代以降、各為政者の示すビジョンとは異なり、この国の美しい地方は消え、人の絆は見えなくなり、中間層は消失した。人よりモノ、さらには情報が価値となる時代となり、地方消滅、競争生き残り経済戦略、格差だけが残った。進めてきた施策は、彼らが思い描いた夢とはほど遠いものとなり、なおかつ、そのベクトルは未だ逆向きのままだ。そして今、医療・福祉といった公共財にも縮小・削減が大手を振ってまかり通り始めている。豊かな自然に抱かれ、優しき人の絆のぬくもりに包まれ、心安らかに生きることをビジョンに描いた各宰相の想いはその困難さと官僚主導の誤ったアジェンダにより全く逆方向に進んでいることに国民は気づき、謙虚に反省せねばならない。そして、政府は地域隅々の声に耳を傾け、十分な検証をもって、今一度、この国の在り方を国民に問うべきではないか。その説明責任は十分には果たされているとは思えない。“本当に経済が最優先でなければ国民の幸福は得られないのか”と。

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