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Vol.023 ザンビアで始まった国民健康保険 その美学に隠された真の狙いとは

医療ガバナンス学会 (2020年2月6日 06:00)


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秋田大学医学部医学科5年
宮地貴士

2020年2月6日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

2019年10月、アフリカ南部のザンビア共和国で国民健康保険制度(National Health Insurance Scheme、NHIS)が始まった。National Health Insurance Management Authority (NHIMA)と呼ばれる保健省直轄の機関が運用する。国連による持続可能な開発目標(SDGs)を踏まえた2030年でのユニバーサルヘスルカバレッジ(UHC)達成に向けて大きな一歩を踏み出した。本寄稿では、“全ての人が質の高い医療にいつでもアクセスできるようにする”という美学だけでは語れない導入の背景を考察する。

NHISの仕組みはこうだ。公務員や大企業に勤めるサラリーマンの給料、または、自営業者の自己申告された給料から毎月1%、前者の場合は同じく1%を雇用主からも徴収する。被保険者はNHIMAによって登録された公立病院や教会が運営するミッション病院、合計138施設から原則無料で医療を受けられるようになる。公立病院とミッション病院のほとんどがカバーされている。ザンビア全土に543個存在する私立病院は現在申請期間中であり、2020年度半ばから対象となる予定だ。既に被保険者は40万人を超え、給料からの引き落としも始まっている。2020年1月中には70万人までカバーする予定だ。

病院の収入はその施設の規模によって異なる。郡病院などの一次病院は、外来患者一人ごと、入院患者一人ごとに病院に収入が入る仕組みだ。外来は、一人当たりK35(350円程度)、入院はK105(1,050円程度)。ちなみにザンビアではローカルのレストランで1食K20(200円程度)、街中のバスの乗車賃がK70(70円程度)という物価だ。

一方、州病院や大学病院などの二次、三次病院では、外来患者は初診がK200(2,000円程度)、2回までの再診はK150(1,500円程度)、それ以降はK35(350円程度)、入院患者はDRG方式(疾患別関連群に基づく支払形式)と出来高制の混合で収入が決まる。DRG方式とは、国際疾病分類(ICD-10)により疾患を分類し、疾患ごとに病院の収入が決まる方式だ。出来高制となるのは透析、CTやMRIなどの検査、核医学、血液検査である。

日本で長年に渡り保険制度に取り組んできた役人は「国民皆保険制度の導入はタイミングがすべて」という。ピラミット型人口構造と経済成長の重なるときだ。民間保険と違い、国民健康保険は「所得再分配」の意味合いが強い。社会的サポートが必要な人々をみんなで支えようというコンセプトだ。医療をより必要とするのは高齢者である。そのため、人口構造が高齢者割合の少ないピラミッド型であり、かつ、経済成長により所得が伸びている時が国民による負担の感覚が少なく、導入しやすい。

日本で皆保険制度が始まった1961年、一人当たりGDP年成長率は9.1%だった。65歳以上の人口を表す高齢化率は5.7%。一方のザンビア、2018年の一人当たりGDP年成長率は0.8%、高齢化率は2.1%だ。戦後に工業化を遂げ、著しい経済成長を経験した日本と国家収入の3割近くを鉱山関連事業に依存するモノカルチャー経済のザンビアでは一律に比較はできない。だが、なぜ経済が停滞気味のこのタイミングで保険制度を導入したのだろうか。理由は2つ考えられる。

まずは経済低迷そのものが理由だろう。昨年から続く大干ばつにより農業の収穫高が減少し、電力不足により半年近くに渡って半日以上の停電が続いた。今年で60歳になる農民は「昔と比べたら降水量は毎年減っている」という。気候変動による影響をもろに受けており、今後も著しい改善は期待できない。中東情勢の不安定化により原油の値段が跳ね上がり、公共バスの料金も上昇。法定通貨であるKwachaの為替レートは乱高下を繰り返した。公的病院で働く医師によると、今年は毎月政府から送られてくるはずの予算がたった2回しか来なかったようだ。「停電したときのために発電機があるが、その燃料を購入できず、メスの滅菌不備、手術ライトや麻酔器が使えず手術ができないことが多々あった」。安定した予算を確保するためにも政府はお金を集められるところから集めるしかない。

2004年から国民健康保険制度を導入し、現在人口の43%まで加入者を増やしているガーナでも経済事情が悪化したことがきっかけだった。1980年代初頭から続いた干ばつにより経済が低迷。1982年におけるGDP一人当たり成長率はー9.5%まで低下した。このため、政府は薬剤をほとんど輸入できなくなり、病院やヘルスセンターは大混乱に陥った。この状況を改善する一連の取り組みの中で国民健康保険制度は導入された。

もう一つは政治的な思惑だ。国連が定めた2030年でのUHCを達成し、政府のメンツを保ちたいのだ。それはなぜか。投票数を稼ぐ選挙キャンペーンといった理由ではない。多額の援助金額をめぐる駆け引きだ。

ザンビアの保健セクターは援助団体によって成り立っている。世界銀行によると2016年の保健支出のうち援助金額の占める割合は42.4%であった。ザンビアが同年に受け取った政府開発援助(ODA)の合計は10億5,100万ドル。その内の41%、4億3,270万ドルはアメリカからだ。米大統領エイズ救済緊急計画(PEPFAR)のレポート(2017)によると、ザンビアにおける2016年度のHIV/AIDS関連予算は4億5,074万ドルであり、その内、86.3%、3億8,899万ドルがPEPFARによるカネだった。ザンビアに対するアメリカからのODAの内、9割近くがHIV/AIDS分野に流れていることになる。アメリカの意向によって保険政策が左右されるといっても過言ではない。

アメリカがHIV/AIDS分野で力を注いでいることは単に予防や治療だけではない。電子カルテを導入し、患者情報を管理することだ。疾病予防管理センター(CDC)はPEPFARの資金を得て、ザンビア全土にSmart Careと呼ばれる電子カルテの導入を進めている。2014年までに800の医療施設が利用しており、のべ患者数は20万人を超えている。

イギリス発のNGOに勤めるアメリカ人は電子カルテ導入の狙いをこう説明する。「患者や疾患ごとに製薬会社が欲しい薬の治療成績を把握することができる。さらに、ゆくゆくはザンビア人を介してアフリカ系人種の遺伝情報を集めるだろう」。これから人口が爆発するアフリカの医療ニーズや人々の特徴を確保する上で、ザンビアは絶好の狩場になるのだ。

ザンビア大学医学部付属病院に勤める医師から入手した「NHIS運用マニュアル」の冒頭、NHIMAディレクターによる謝辞の中でこの制度設計に著しく寄与した団体として世界保健機関(WHO)に並び、「クリントン財団」が取り上げられていた。アメリカ元大統領であるビルクリントンが設立した財団だ。ザンビアではCDCやPEPFARなどと連携し、保健システム強化の一環でSmart Careの導入にも協力している。このタイミングでNHISを導入したのも電子カルテの普及を加速させるためではないだろうか。

ザンビア保健省の役人としては援助団体の活動を受け入れることはメリットしかない。援助団体のプログラムに参加することでDaily Allowanceと呼ばれる日当手当をもらえるからだ。ザンビアで長年にわたって支援活動に取り組んできた人物は「相場は、1日K500(5,000円程度)。援助機関によって金額が違い、ある意味で競争になっている。我々としても参加者を確保しなくてはならず、妥協できない」と言う。

私も僻地で診療所建設を進める中で日当手当問題に直面したことがある。診療所は完成後に保健局の建物となるため、建設のフェーズごとにBuilding Officerと呼ばれるポジションの役人を村まで招待し、監査をしてもらう必要がある。その交通費、食事代、日当を要求されたのだ。「私は学生でありお金がない」と伝え、交通費の負担だけで抑えたが、その時の怪訝な顔は忘れることができない。その後は幾度もアポイントをすっぽかされるなど“嫌がらせ”が続いている。

全ての人が質の高い医療にアクセスできるようにするというUHCの概念は素晴らしい。私も人生をかけて実現したい社会だ。絵に描いた餅で終わらせたくはない。そのためには、短期的なキャッシュフローを増やす小手先の手段や世界のトレンドに乗るのではなく、現場の課題に基づき長期的な展望に立った制度が必要となる。なぜなら、国民の命に直結する保険サービスは一度設計したら多くの利害関係が生まれ、変更が容易ではないからだ。

ザンビアでの今回の導入過程を見ていると、あまりにも時期尚早な感じがしてならない。また、ザンビア人医療者や国民の多くが今回の制度導入についてあまり関心がない。知人のザンビア人医師は盛り上がらない理由をこう説明する。「この制度は現状と乖離している。今回は所詮、お試し、実験だろう」。

次回の寄稿では、彼がこう考える理由を中心にザンビア版国民皆保険制度がどこに向かうのか、考察したい。

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