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Vol. 149 医師から見た法科大学院

医療ガバナンス学会 (2010年4月30日 07:00)


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~専門化社会における多様性を受け入れる司法へ~
医師・弁護士  大磯義一郎

※本稿は「ロースクール研究15号」92-93項に掲載された文章を一部修正のうえ転載させていただきました。

2010年4月30日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


1 序文

私は、1999年に医師免許を取得し、消化器内科医として勤務していた。その後、ロースクール初年度である2004年に早稲田大学大学院法務研究科に入学し、幸いにも2007年、卒業年次に新司法試験に合格させていただいた。

まったくの異業種よりロースクールに入学し、学ばせて頂いた身として、あくまで私見ではあるが、感想を述べさせていただきたい。よりよい法曹養成制度の形成につき一助となれば本望である。

2 幅広い人材育成に向けて

(1)一期未修は職種の坩堝
私は、いわゆる一期未修(注:ロースクール初年度入学かつ法学未修者の意)である。同級生には、銀行、証券会社、行政庁等様々な職種の方が多くいた。また、入学時28歳であったが、この辺りの年齢層が多数を占めるような印象であった。

私は、医学部単科大学を出て、そのまま病院勤めをしていたので、ロースクールに入り、他業種の人と話をし、考え方を知ることができたことは刺激になると共に、現在の自分を形成するにあたっての財産となった。

(2)医療の特異性
私が感じた医療と法、その他の業種との違いは大きく三つある。

ひとつは、医療は病気という危険を持つ患者に対して行うものであり、かつ、治療行為(診断行為にも)には必ずリスクがあるということである。即ち、医療行為をするしないにかかわらず常にリスクが存在するということがあげられる。
よく比較される車の運転においては、運転をしなければよいということもできるが、医療の場合は治療をしなければよいということにはならないのである。

ふたつ目は、司法は、対立当事者同士が主張・立証しあうことにより公正的正義の実現をはかるものであるが、医学、医療においては、プロフェッションたる医師(グループ)が主として単独で診断・治療を決定していく点である。したがって、医師は、具体的な状況に応じて、単独でベターチョイスを模索し、実行していかなければならないのである。
この差異は、現在、私の業務においても如実に表れており、どちらが主張すべきものか、今、ボールはどちらにあるかを意識しながら業務処理をしているが、自分が医師のときには全くなかった発想である。

みっつ目は、医師は圧倒的な数の人の死を経験しているということである。これは、私がロースクールの講義等で議論をしている際にしばしば感じたことであるが、現在、核家族化が進み公衆衛生環境が整った日本においては、人の死というのは著しい非日常となっているため、非医療者は、「人が死んだ以上、何かしなければならない」という強迫観念にも似た感覚を持つようになっていると思える。

(3)専門化社会のハブとして幅広い人材育成を
ロースクールに入り、様々な職種の人と時には加熱する議論をする中で、世の中は広く、多様な考え方、フィールドがあることを知ることができた。
各々の業種(コミュニティー)における常識は、他の業種(コミュニティー)においては非常識となったりすることはこの専門化社会においては当然の帰結なのであろうが、ロースクールに行かなければ実態的に経験することはなかったものである。

開かれた司法が必要とされるようになったのは、このような社会の変化に対応するためであり、司法への信頼を維持し、適切な法制度を形成・維持していくためにも、さまざまな業種の専門家がハブとして必要である。ロースクールを中心とした法曹養成制度が適切に機能することを強く望む。

3 教育としての法曹養成制度の課題

(1)医師教育制度との類似性
話は戻って、ロースクール教育についてであるが、3年間の流れは、医学部4年以降と似ている。即ち、4年時より座学による講義(ロースクールでは六法の座学。以下カッコ内はロースクールにおける教育内容を示す)を行い、5年後期から6年前期まで病院実習(模擬裁判等演習系科目、実務系科目)を行い、卒業後医師国家試験(新司法試験)を受験する。

そして、卒業後2年間研修医として研鑽する(司法修習)という基本的流れは、両者に共通している。両者の教育を経験した者として、個人的な感想ではあるが、述べてみたい。

(2)ロースクールに通って~その課題~
まず、私がロースクールに通って最初に驚いたことは、先生方の講義が非常に上手く、わかりやすいことであった。おかげで、(多くは)前日に半徹夜で読んだ初見の法律知識が、講義を経ることによって体系化し、理解することができた。誇張ではなく、私が卒業年次に新司法試験に合格することができたのは、先生方の素晴らしい講義の賜物であったと断言する。

また、模擬裁判等演習系、実務系の科目は、講義によりインプットした情報を実務で使う形に整理、再統合してアウトプットする作業であり、法曹養成教育の柱となる科目である。実際に、体験した演習は非常に刺激的で、知識の整理、理解に役に立ったし、実務家教員を中心とした先生方の大変な努力には深く感謝をしたい。

ただ、ロースクール教育(卒前教育)における演習系科目と司法修習における教育(卒後教育)では達成目標等位置づけ、性質も異なるし、生徒の意識と知識にどうしても差があることから、ロースクールで教育しているからといって直ちに修習期間を短縮してよいということにはならないということは指摘したい。

私見ではあるが、1年間の修習は非常に慌しく、実務修習は慣れてきたところで次に移ることとなるため、お客様的になりがちであり、和光での座学、起案はわずかしかない。およそ実務法曹に必要な教育がなされているとは言い難いように感じた。

時間、費用の問題があるので、軽々に結論付けられるものではないが、ロースクールにおける演習系科目、実務系科目と司法修習は、異なるものであり、そして、その両者とも重要であることは考えていただきたい。

4 結語にかえて

私は、修習中、色々と考えたうえ、最終的には独立行政法人国立がん研究センターで知財法務、知的財産制度設計の業務を行うこととした。

実は、私は、新司法試験の選択科目は労働法であったため、ロースクール在学中に知的財産法の勉強はしていない。お誘いを受けてから、あわてて勉強し始め、仕事が始まってからも各種講演、勉強会に行ったり、実地で学んだりしてきた。

その中でも、ロースクールの同級生には、三年間同じ釜の飯を食べた中だけあり、気軽に何でも(中には失笑を買うような質問もあったであろう)聞くことができたことは、非常に助かった。
5年間医師として勤務した後、突然、縁もゆかりもない司法の世界(ロースクール)に行き、様々な職種の人たちと、ともに学び、議論して過ごした3年間は私の財産であるし、そのときの仲間は生涯の友であろう。

このような様々な素晴らしい出会いを得ることができたのもロースクールのおかげである。法曹養成制度にかかわるすべての方に感謝するとともに、よりよい法曹養成制度へと歩んでいくことを願うものである。

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