医療ガバナンス学会 (2020年4月10日 06:00)
元・血液内科医、憲法研究家、
NPO医療制度研究会・理事、
NPO筋痛性脳脊髄炎の会・理事
平岡 諦
2020年4月10日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
●吾輩は新型コロナウィルスである。WHOは病名をCOVID-19(Corona virus disease 2019)とした。WHO事務総長の中国を忖度したような命名や発言を皮肉って、トランプ大統領はChina Virusと呼んだ。
以下に吾輩の考えを述べる。よく聞いてくれ。(吾輩の推測に過ぎないので、ご注意くだされ。)
●我らの先代は、中国・武漢のあたりでコウモリ(多分)と仲良く、のんびり、ひっそりと生きていた。そこに人間が近づいてきたのだ。生存を脅かされると感じたのか、あるいは、生存範囲を広げるチャンスと感じたのかは定かでないが、先代は近づいてきた人間と共生していこうと考えた。そうして生まれたのが新型と呼ばれる我らだ。人間に感染することができ、人間から人間へと感染していく能力を備えたのだ。
●共生するとはどういうことか。
細胞内でしか増殖できないウィルスは、感染した人間を死に至らす(必殺の毒性を持つ)と共倒れとなり共生できない。異物を排除する機能(免疫能)を持つ人間にとって、我ら新型ウィルスはまさに異物だ。排除されてしまえばまた、共生できない。
共生するには、適度な毒性を持つこと、適度な免疫能を持つ人間を見つけることだ。適度な免疫能を持つ人間とは、ウィルスを持ち続けるが症状もなく、時に体外に出して感染源となり得る人間のことだ。Healthy carrier(健康運び人)と呼ばれる。
人間は感染拡大だと大騒ぎしているが、我らから見れば、健康運び人を見つけようと、人間を篩にかけているだけだ。高齢者や持病持ちは、この程度の毒性にも耐えられないことが多いようだ。一方、若者の一部は免疫能が強く働きすぎて、我らウィルスだけでなく自身の命をも排除しているようだ。これらが大騒ぎの原因だ。
毎年のインフルエンザでも、ウィルスと人間の同じような関りが起きている。しかし、一度感染して生き残った人間がほとんどとなり、あるいはワクチンや治療薬ができると、亡くなる人間が少なくなる。そうすると人間は大騒ぎしなくなるのだ。
人口の70%が感染するか、あるいはワクチンを受けるかすると、我らによる大騒ぎは収まるだろう。そして、毎年のインフルエンザのような、共生という状態になるのだ。
我らは人間と共生を図ろうとしているだけだ。しかし人間は我らを抑え込もうとして指定感染症、検疫法対象疾患とし、さらに特措法を定め、緊急事態宣言まで出そうとしている。この齟齬が、我らへの対応をあまり有効としていないようだ。最も顕著に表れているのがPCR検査の対象である。今もって、症状ある者(感染しただろう者)の確定とその濃厚接触者を対象にしているだけだ。例えばドライブスルー方式のような、(感染源となっているだろう)健康運び人の抽出を、未だにしていないのだ。
●人から人への感染ルートは2種類、飛沫感染と接触感染がある。咳やくしゃみでは2メートル位先まで届き、大声で話しても周囲の空中に飛沫としてばら撒かれ数分間は漂って感染源となる。これが飛沫感染である。エアロゾル感染といって、普通に話していても空中に漂って感染源になるかもしれないと言われだした。密閉空間では危険だから換気が大事と言われるのはその為だ。もう一つのルートが接触感染だ。体外に出た我らは、場所によっては5日間くらい感染力を保つことができ感染源となる。手洗いが重要だと言われる理由だ。
我らが人間に取り付くところは粘膜だ。主には口・鼻・喉の粘膜、時に眼の粘膜だ。消化器の粘膜や皮膚の傷口にも取り付くことができるかもしれない。
体内に侵入すると、主に肺で増殖し肺炎を引き起こす。外部とつながる肺胞と酸素を運ぶ肺の血管の間の組織を間質と呼ぶ。細菌による肺炎は肺胞での炎症、ウィルスによる肺炎は間質での炎症であり、間質性肺炎とも呼ばれる。炎症で間質が水ぶくれとなり、酸素の移行を困難にして呼吸困難を来す。重症になれば人工呼吸器やECMO(体外式人工肺)で酸素補給が必要となる。
嗅覚・味覚異常や、強い倦怠感を訴える人間がいるのは、末梢神経や中枢神経に障害を与えているからだろう。まれに脳脊髄膜で増殖して髄膜炎を起こすこともある。
●我らが人間の体内に入り増殖を始めると、人間は免疫反応と呼ばれる働きで、我らを排除しようとする。免疫担当細胞や細胞から出されるサイトカインと呼ばれる物質の働きだ。発熱、倦怠感、筋肉痛などインフルエンザと同様のことが起きるのは主にサイトカインが出てくるからだ。毎年のインフルエンザと異なり、我らが感染した多くの人間はそれほどの高熱を出さないようだ。強い免疫反応が起きていないからだろう。我らが排除されにくいということだ。我々にとっては思うつぼである。
先に述べた間質性肺炎では、間質と呼ばれる場所で免疫反応が起きる。免疫反応で我々が排除されると肺炎が治る。高齢者、合併症ある者ではその間の酸素欠乏を乗り切れなくて死亡率が高くなる。一方、合併症のない若者でもこの肺炎で亡くなることがある。過剰な免疫反応が起きて酸素欠乏が強くなり、乗り切れないためだ。
●我らは武漢近くの人間にうまく取り付くことができた。その後は我らにとってラッキーだった。人間社会が我らにとって好都合にできていたのだ。
第一に、人間は密室で、密集し、密接することが好きなようだ。一度に多人数に感染する(クラスターを作る)ために絶好の環境だ。第二に、人口密度の高い大都市が沢山あり、それらを飛行機や大型船で大勢の人間が往来しているのだ。感染拡大に好都合だ。
乗客の一人に感染者が出たクルーズ船の乗客・乗員や、特別機で帰国させた武漢在住日本人を、検疫と称して長期間、隔離・停留させていた。しかし空港では、入国する発熱者をチェックするだけであった。これでは感染源となる者の入国を阻止することはできないだろう。なぜなら、ほとんど無症状の感染者でも感染源になり得るからだ。
武漢からの観光客を乗せた観光バスの運転手が国内最初と認定された感染者であった。札幌の雪まつりからしばらくして北海道のあちこちで、また突然、和歌山で感染者が確認された。これらは、まんまと空港の検疫をすり抜けた、武漢あるいはその周辺からの健康運び人からの二次感染だろう。
●感染者数が突然多くなると、重症になる比率が低くても重症者の総数は多くなる。そうすると人工呼吸器やECMOが足りなくなる。これをオーバーシュートという。一つの医療圏で重症者が想定外に多くなり、医療設備・医療従事者の能力をオーバーし、対応できなくて死亡率が高まるということだ。
これまでの護岸対策の基準からは想定外の集中豪雨が起きると、一つの河川域のあちこちでオーバーフローや堤防の決壊が起きる。周りに甚大な浸水被害を出すこととなる。オーバーシュートで死亡者が多くなるのと似ている。
人間の活動から地球温暖化、そして未経験の集中豪雨。人間の活動から新型ウィルスの出現、そして未経験の多数の重症者。根っこは共通しているようだ。
●人間は、オーバーシュートを避けようと必死である。その手段は次の四つだ。
第一は、急激な感染者数増加を避けることだ。感染拡大予防の方法である、手洗い・マスクの励行、密閉・密集・密着を避ける、不要不急の外出をしない、などを要請している。テレワークもそれだ。接触感染・飛沫感染・エアロゾル感染にある程度有効だろう。
都市封鎖(ロック・ダウン)はどうだろうか。感染拡大防止に有効かは大いに疑問だ。都市封鎖とは、都市外部から都市内へ、感染源を持ち込ませないための施策だ。一つの検疫の型だ。すでに都市内に健康運び人が多くいるだろう現在、行ってもあまり有効とは思えない。外からの健康運び人との密閉・密集・密着の機会を減らすくらいだろう。
第二は、重症者に対応できる医療施設、設備、医療者のキャパシティの拡大だ。同時に重症者と軽症者・無症候者に層別化し、軽症者・無症候者を別施設、例えばホテルで医療者の監視下に置けばよい。
第三は、重症化を予防できる薬剤の開発だ。開発までの時間が、我らによる犠牲者数だけでなく、経済損失高に最も影響するだろう。
第四は、ワクチンの開発だ。残念ながら1年以上かかるだろう。
●我らの犠牲とならないよう、高齢者はどのような対応を考えればよいか、一緒に考えて見よう。
昔の高齢者は、人間としての活動はほとんどしなくなり、不要不急の用事もほとんどなく、既に感染予防に対応した生活をしていたのではないか。隠居、隠遁、晴耕雨読、自給自足などと呼ばれる生活だ。
しかし現今では元気な高齢者が多い。健康寿命の延長を目的としてきたではないか。元気な高齢者は、出来るだけ昔の高齢者のような生活をして感染を避け、我らと人間との共生関係ができるまでを過ごすことだ。そうして医療設備・医療従業者を若者に譲らなければ、重症化とともに死亡率の高い高齢者は、現代版姥捨て山とも考えられるトリアージに遭遇するだろう。
●最後に、将来の日本の都市のことを考えて見よう。
瞬時、瞬時の人口密度を「人間密度」と呼ぶことにする。GPS技術で「人間密度」の測定は可能だ。東京はじめ、ニューヨーク、パリ、ロンドンなど、大都市の「人間密度」は並大抵でない。我らにとっては住みよいが、人間はこのような環境で良くも住んでいるものだと思う。
都市計画に「人間密度」を加えることだ。これまでの固定指標に加えて、動態指標として用いるのだ。オフィス街での昼間の「人間密度」、通勤時の列車・バス内、そしてターミナルでの「人間密度」の制限を、都市計画に加えることだ。そうすれば、今回のような大騒ぎをせずに、今後も発生するだろう新型ウィルスとの共生を図ることができるのではなかろうか。