医療ガバナンス学会 (2020年7月30日 06:00)
この原稿はAERA dot.(2019年11月13日配信)からの転載です
https://dot.asahi.com/dot/2019110800025.html?page=1
Child Health Laboratory代表
森田麻里子
2020年7月30日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
アメリカ疾病予防管理センターの研究者らが今年発表した研究では、約1万人を対象に、子ども時代の逆境経験、例えば精神的・身体的・性的虐待を受けたり、家族の薬物乱用や精神疾患、暴力、犯罪があったりした場合の健康への影響が調べられました。その結果、経験した逆境のカテゴリー数が増えれば増えるほど、虚血性心疾患、がん、慢性肺疾患、骨折、肝臓病などにかかっている割合が増えることがわかりました。
このような逆境体験によるストレスにより、喫煙や肥満など病気につながる不健康な生活習慣を身につけやすくなり、結果として生活習慣病等になりやすくなるということが考えられています。しかしその一方で、ストレスが実際に体に影響を与え、炎症を引き起こすこともわかってきているのです。
これまでの研究からは、虐待や薬物乱用に限らず、いじめでも炎症が引き起こされることが示唆されています。
例えば、2015年に同じくロンドン大学から発表された研究があります。イギリスで1958年に産まれた子を50年間にわたって追跡した研究で、子供のころにいじめられていた人は、45歳時点での血液中の炎症物質が多いことがわかりました。
また、2017年にロンドン大学から発表された研究では、メンタルヘルスの問題を抱えた経験のある12~16歳の女の子157人を対象に、「オーディションに参加してスピーチをする」という設定で、カメラの前で3分のスピーチをしてもらい、社会的なストレスを与えました。そのスピーチの前後で唾液を採取し、炎症にかかわる物質の増加量を調べたところ、いじめを受けた子で、いじめの程度がひどいほど、炎症物質が多く増えていることがわかりました。また、そのような子は、実験的にストレスにさらされる前の炎症物質の量も多かったのです。
このメカニズムはまだはっきりとはわかっていませんが、子ども時代にいじめなどのストレスを受けることにより、社会で生きていく中で受けるさまざまなストレスに対する脳の反応が悪い方向へ変化してしまうのではないかと考えられています。
この2017年の研究で興味深いのは、未来への期待や希望がない子のほうが、より炎症物質が増えていたことでした。ナチスによる強制収容所での生活を描いたヴィクトール・フランクルの『夜と霧』でも、クリスマスになれば家に帰れるという希望を失ったことで、多くの人々が亡くなったエピソードがありました。「心と体がつながっている」とはよく言われますが、ストレスと炎症物質の関係は、このような考え方を科学的に説明する一つの方法かもしれません。
さらにもっと身近なところでは、親の関わり方も関係している可能性があります。2017年のメルボルン大学の研究では、9歳前後の子どものいる102の家庭を対象に、唾液中の炎症物質を調べ、アンケートで回答してもらった育児スタイルとの関係を調べています。すると、子どものことをよく見て関わっている家庭の方が、炎症物質が少なかったことがわかりました。
親としてはもちろん、いじめや虐待からできる限り子どもを守りたい、遠ざけたいと思います。ただし、親として子どもに教えるべきこともありますし、もっと軽いストレスも含めれば、すべてのストレスから子どもを守ることはできません。そんな時、子どもが希望を持って自分自身を守ることができるように心を育てること、子どもの「見て、見て」に応えることも大事にしていきたいと思います。