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Vol.159 被告人の利益か犯罪被害者の保護か ~乳腺外科医事件控訴審逆転有罪事件で秘匿された公開されている真実~

医療ガバナンス学会 (2020年8月3日 06:00)


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佐藤一樹

2020年8月3日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

●性的幻覚は本当になかったのか?

東京高等裁判所第10刑事部(朝山芳史裁判長 本年5月2日定年退官)は、本年7月13日、いわゆる乳腺外科医裁判控訴審において、東京地方裁判所の無罪判決を破棄し被告人に懲役2年の実刑を言い渡した。

原審では、乳腺腫瘍摘出術後の女性患者の診察時に、執刀医が健側の胸をなめ回し、二度目の診察時に自慰行為をしたという事件があったとするには、合理的な疑いを挟む余地があると判示していたが、控訴審では破棄自判により逆転有罪となった。

この控訴審判決謄本を入手し東京都保険医協会は「本控訴審判決における1非科学的誤謬、2反医学的判断、3非当事者対等主義による人権侵害、4『疑わしきは被告人の利益に』の原則否定などは、医師団体としても一般市民としても絶対に許容できない。」という趣旨の声明を発信し冤罪判決に抗議した。https://www.hokeni.org/docs/2020071700010/

非科学的誤謬は、控訴審判決が科捜研鑑定のDNA定量検査の記録(新型コロナウイルスで有名になったリアルタイムPCR検査の標準資料の増幅曲線と検量図)や抽出液の残余を廃棄したことについて「検証可能性の確保が科学的厳密さの上で重要であるとしても、これがないことが直ちに本件鑑定書の証明力を減じることにならない」として、信用性を認めた点である。原審では、科捜研職員の誠実性の欠如が充分に検証され指摘されていた。また、この科捜研職員が行ったアミラーゼ反応は陽性か陰性かの判断をする定性検査であって、定量検査は行われていない。当然、アミラーゼ反応鑑定書に記載もなく呈色した写真も撮影していないため誠実性を問題視された同職員の「アミラーゼ鑑定の結果、1時間後に明瞭な陽性反応が出た」という証言も信用されていない。そもそも証言が真実であっても定性検査で、アミラーゼの量や唾液付着の量を推測することは完全な誤謬である。このことは、江川紹子氏をはじめ様々な識者らも問題視しているhttps://news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20200713-00187975/

本来、裁判所による人の生命・自由・財産という極めて貴重で価値のあるものの略奪という峻厳な内容をもつ刑罰権の行使には、厳格な法的制約を加えられることが要求されるはずである。市民感覚からいえば、捜査側の作成による科学的証拠物の隠滅は証明力を失わないという判断は、判決の論証過程において論理的に明らかな瑕疵があり反正義的である。

この非科学的誤謬の問題は極めて重要であるが、他の論者の多くが指摘している点であるから、本稿ではあえて、Aさんに「性的幻覚はなかった」とした反医学的判断について、臨床医学の立場から、裁判上秘匿されていた公開されている真実を含めて検討する。

●否定された真の専門家証人のせん妄時の性的幻覚

埼玉医科大学国際医療センター精神腫瘍科で年間診察する新規患者240人のうち乳腺患者を一番多く診療している上、せん妄の学術論文も多い、いわば乳腺腫瘍についてもせん妄についても専門医である大西秀樹教授は、本件控訴審で被告人側証人として出廷して証言した。

(1)本件で通常用量よりも約2倍と多く投与されたプロポフォールによる性的幻覚の症例報告があること(2016年発表の査読のある雑誌で、当時31歳のAさんと同世代の27歳、29歳、31歳の女性の性的幻覚症例)

(2)警察に捕まる幻覚をみて家族にLINEを打った後も他の誰にも見えない女性の幻覚を見続けていた自験例もあり、学術的にはせん妄中にLINEが打てるのは手続き記憶行動で説明できること

(3)本件患者のせん妄は、国際的基準とされているDSM-5(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders:アメリカ精神医学会が出版している精神疾患の診断基準・診断分類)の定義でいう混合型で「活動水準が急激に変動する例」で、短時間で直線的に回復をするものではなく、幻覚を見たり現実の会話をしたり症状が変動する症状であること※
※ 術後の鎮痛薬で強力なロピオンが投与された影響について、弁護人も証人も検討を忘れているので、裁判官も当然判示しない。ロピオンの添付文書には、「意識障害、意識喪失等を伴う痙攣(0.1%未満)があらわれることがあるので、観察を十分に行い、異常が認められた場合には投与を中止し、適切な処置を行うこと。」とある。麻酔から完全に覚醒していない場合は、相互作用で増強される可能性があると思われる。※

(4)せん妄患者が病室で枕に向かって車のセールスをして商談中であると言い張った自験例があること

他、豊富な経験例からいくつか具体的なせん妄時の幻覚の例を挙げながら、LINEを打てることが可能である幻覚症状の変動についても学術的な根拠と自験例を述べ、本件では性的幻覚の蓋然性が高いことを指摘した。学術的に全身麻酔術後のせん妄の基本的な特徴は浮動性であり短時間に意識状態が変動して意識レベルが上下することや、約30%に幻覚を伴う報告があること、麻酔の影響から回復する過程で体験する患者の性的幻覚は非常にヴィヴィッドでリアルであって記憶に残りやすく、鮮明であって、体験した者は訂正しがたい確信を持っていることが裁判上でも前提である。

しかし、控訴審判決では、LINEについては充分な検討もせず学術的根拠も示さずに「中立的な意見でない」「飛躍している」と否定された。また、プロポフォールの薬物動態やDSM-5の記述を本件に照らして検討することなく「覚醒と幻覚が交替して出現することは考え難い」などとして、性的幻覚はなかったと断言した。

なお、筆者は、不倫最中のホテルで性交中に心筋梗塞を発症して救急搬送された男性患者の冠動脈バイパス手術で、プロポフォール使用後に集中治療室において人工呼吸器から離脱して気管チューブを抜いた瞬間の第一声で「先生、これでバイアグラを使えますか?」と叫ばれた経験がある。

その数ヶ月後、別の男性患者が同集中治療室で、担当看護師と性交した幻覚を見て、具体的な性行為様態を詳細に迫真的に一貫して繰り返し述べ、もう一回しようと大声で叫び、否定する看護師に迫り続けたのを診療したことがある。
プロポフォールによる性的幻覚や性的言動は臨床上稀ならず経験するものである。

●職業せん妄(作業せん妄):職業上繰り返される経験は幻覚になりやすい
控訴審判決は、上記(4)については特に言及していないが、このようなせん妄を職業せん妄(または作業せん妄)という。職業上・生活上行っている行為を意識障害下に再現することであり、患者は幻覚や錯覚に左右され、ときにはその人の職業にかかわるしぐさをする。例えば大工がくぎを金槌で打つ動作をするような場合である。

大西教授同様、職業せん妄で職業上繰り返される経験は幻覚になりやすいことを筆者も経験的に知っている。術後に居酒屋の主人がスタッフを見回して「じゃ、みんなでカンパーイ」と叫んだり、僧侶が集中治療室で見えない誰かを相手に講話をはじめたり、元オウム真理教の信者で診療行為に携わった経験のある患者が担当看護師に処方を指示したりといった症例である。

ところで、原審の東京地裁刑事第3部(大川隆男裁判長)は、被害を訴える患者Aさん、彼女の母親、医師や看護師、同室の患者など多くの証言を丁寧に検討し、Aさんの訴えは各種麻酔薬による鎮静度や痛みのバランスの影響による「せん妄」による「性的幻覚」の可能性が否定できない、と判断した。

この審理段階で弁護側はAさんが、職業として性的刺激の強いDVDに出演していることやブログで男性の自慰行為をイメージした発言があったことを裁判証拠にするよう準備していた。目的は、職業せん妄による性的幻覚が真相であることの立証のためである。しかし、性的幻覚は職業に関わりなくあり得るという前提のもと、未確定ではあっても自称被害者の保護の観点から、裁判証拠として採用されなかった。とは言え、「職業せん妄」による「性的幻覚」を生じさせる客観的な可能性を認定する有力な事実であることは疑いない。控訴審裁判官は、弁護側が裁判証拠として準備していたDVDの存在やブログの発言を見ていないのだから、原審で職業せん妄による性的幻覚に関する証拠についてかかる経緯があったことを把握していなかった可能性が高い。

現在(2020年7月下旬)時点において、ウェブサイト上で確認できただけでも、Aさんは、DVDや動画に20以上出演している。いずれも性的刺激が強そうな題名のものばかりである。

たとえば、2015年3月に発売記念イベントを行ったDVDのストーリーは、新聞でも報道されている。Aさんは、作品の見どころを聞かれ「オカズになるシーンはアイスをなめるところ。よだれでベチョベチョですね。」「アイスを舐めているシーンですね。よだれでぐちゃぐちゃになるくらい過去最高に舐めました。もう30歳なので、いやらしく舐めています。」「撮影中は、これはナニを模してやっているのかとか、おかずになることを考えてやっています。」「マッサージシーンもオカズになります。ぜひ、オカズにしてください。」と、コメントしている。手術4日後にも自分のブログに「これからも、いっぱいおっぱいオカズにしてね」と書いている。

それらの職業上で生じた出来事が、日常的にも頭の中に記憶として残っている事と容易に推認されるであろう。いわば、職業上の経験が記憶されていたであろうということである。これが、術後に職業せん妄として出現しても不思議ではない。

手術のあった2016年5月にも【11thDVD発売】と本人のブログにあり、手術の直前まで長期にわたり繰り返しそのようなDVDに出演していたことがうかがわれる。

手術当時のAさんが性的幻覚が出やすい職業活動の真っ只中にいたことは真実である。また、プロポフォールの英語版添付文書によれば異常な夢、興奮、性行動、不安等の記載があり、性的幻覚が出やすいとされる同薬剤が約2倍と大量に使用された薬物的条件や、手術前日に飲酒した事実(詳細後述)からして身体的条件も重なって性的幻覚を誘発しやすかったと推測される。

上記の筆者が経験したプロポフォール投与後の性的幻覚や性的行為に関する発言の症例や、居酒屋主人、僧侶、偽医師や大西教授のセールスマンの職業に関連した幻覚は全て男性の症例である。しかし、学術的に性的夢や幻覚に男女差はないことは公判でも示されている。

以上、前項で述べた大西教授の学術的見解の(1)と(4)、そして、約2倍量のプロポフォールが性的幻覚を誘発しやいこと、職業せん妄として性的幻覚を見やすい職業活動にAさんが従事していたことを含めて勘案すれば、Aさんに性的幻覚が起きた蓋然性は高いと推察される。

●Aさんはせん妄の危険因子である「手術前日の飲酒」をした
Aさんは、手術日前日(5月9日)は、ゆっくり家で過ごそうと思っていたのを変更して韓国料理を食べ飲酒している。当日(5月10日)朝8時までの食事を許可さえていた以外、何も言われていないのを呑んだ理由としていて、飲みかけのビールのコップの写真を自らのブログに投稿している。法廷では、その事実を弁護人に質問され二回も覚えていないと証言していた。ところが、ブログの掲載について指摘されると飲酒した事実を告白した。法廷で動かすことができない自らが公開している証拠を突きつけられて観念したように思える。

また、5月7日にも前日の記憶を消失するほど飲酒したことをブログに投稿している。これに対して法廷では、ブログは仕事用で嘘は書く旨を証言している。しかし、手術前日まで平気で呑んでいながら、その2日前に記憶を失うほど呑んだ事実を嘘ついてまで書くものであろうか。

アルコールの多飲は、せん妄のハイリスクなのである。

●場面2(自慰行為)について控訴審が判示を回避したのは不正義である
原審判決でも控訴審判決でも、Aさんが手術直後から主張する被告人の2回にわたるわいせつ行為の場面は、場面1として「胸を舐めた」、場面2として「自慰行為をした」という分け方をしている。しかし、もともと検察官は公訴事実の中で、場面1については「その着衣をめくって左乳房を露出させた上、その左乳首を舐めるなど」と詳細であるのに、場面2については具体的には何も書いていない。

場面1の証明はアミラーゼ鑑定やDNA定量検査で、「陽性だ。」「DNA量が多い。」と法廷で科捜研に言わせれば、試料を廃棄したり、写真や増幅曲線と検量図を残さなくても、なんとか信用させられると考えたかもしれない(恐ろしいことに実際そうなった)。

しかし、場面2の自慰行為については検察官も起訴する段階でAさんの訴える事実の信用性に疑いを持っていて、あえて公訴事実から省いたのではないだろうか。

場面2の裁判上の前提事実は以下の通りである。
場面2:Aさんの母が被告人にカーテンの外に行くように言われ、カーテン外に出た。被告人は、Aさんの右および左の胸の衣服を持ち上げた。変な息遣いを感じて目をあけると、被告人は左手で衣服を持ちながら、右手を自らのズボンの中に入れて、出口をちらちら見ながら自慰行為をしていた。

原審は、Aさんの証言は、具体的で迫真性に富み一貫性があり、LINEの内容とも整合することは認め、それがせん妄における性的幻覚の特徴でもあることも指摘している。さらに、広くない4人部屋の満床の病室で、関係者の出入りが自由で実際に看護師が出入りし、ナースコールを握っているAの乳首を舐めたり吸ったりして、母がカーテンの外で近くにいる状況下で自慰行為をした結果として射精に至った場合は周囲に事情を説明することが不可能な状況に陥る、そのようなAさんの被害状況はかなり異常な状況であることを指摘し、信用性に疑問を呈している。

この場面2に対する原審判決は判決文の「キモ」で、リアルで判決を傍聴している法廷内では納得の頷きが多くの人に見られた(筆者の隣にいた江川紹子氏ともシンクロした)。一般病棟の4人部屋に入室したことがある人であれば通常の心証であろう。なお、この場面2の自慰行為については、カーテン越しにいたAさんの母親がその事実を否定したことについてAさんと争ったことが前提とされている。しかし、法廷証言の段階になって母は翻り、意図的にAさんに整合する証言をしたことが原審判決の中で疑われている。

一方で、控訴審も、場面1と場面2は一連であることを認定しており、この一連の証言がAさんの性的幻覚か否かについて、検討すべきである。しかし、場面2については控訴審では詳細を判示していない。控訴審の裁判官が、DSM-5が示すような変動のあるせん妄や幻覚はなく、直線的にAさんは麻酔から回復して覚醒しているというのであれば、場面2でのAさんの覚醒度は最も高いということになる。控訴審判決は「その証言は、具体的で、気持ちの揺れを生々しく述べるものであって、迫真性が高い上、他の証言と整合性があり、本件犯行の直接証拠として強い証明力がある」という文言で自己完結しているだけで、場面2の内容について中身がまるでない。

つまり、控訴審裁判官は、原審で「母がカーテンの外で近くにいる状況下で自慰行為をした結果として射精に至った場合は周囲に事情を説明することが不可能な状況に陥る、そのようなAさんの被害状況はかなり異常な状況である」と判示されたのに対して、何も論評していない。「本事件の核心のひとつである場面2の被告人の自慰行為は、真実である、信用性の高い証言である」と誰もが納得できる判決文を書くべきであるのに、何も書いていないのだ。これは完全に不正義である。

●被告人の利益のために
刑事裁判においては検察が犯罪事実の立証責任を負うため被告人弁護側が無罪を証明する必要性はない。しかし、被告人に不利な内容について被告人側が合理的な疑いを提示できた場合には被告人に対して有利に事実認定をする。証明がないときは、判決で無罪の言渡をしなければならない。

公訴事実に自慰行為の文字はない。しかし、裁判官のいう場面2が真実であるという証明がなければ、場面1から継続するAさんの証言の全体像は疑いを払拭できないはずである。

被告人が自慰行為をしたという場面は、Aさんの証言の中でも最も衝撃的な場面であり、被告人が罪を犯したという核心的に不利な内容である。弁護側はもちろん合理的な疑いを提示し、原審裁判官はその疑義を認めた。

これに対して、検察官は何も証明しておらず、控訴審裁判官も何も判示しないのならば、当然無罪判決を言い渡すべきである。
刑法違反ができるのは、裁判官だけである。裁判官が罪を犯していないものに、懲役2年の判決を下したとしたら、それは刑法違反である。枚挙に暇がないほどの誤った判断は、もはや過失とは言えまい。

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