医療ガバナンス学会 (2020年9月4日 06:00)
上先生のメルマガ文中の厚労省医系技官トップの鈴木康裕氏のPCR検査を増やさない理由は、陽性者の半分が疑陽性者だったら病院のベットが本当に必要としない人々に埋められてしまうからと言うが、この節は我々素人でも度々メディアのPCR検査に於ける特異度の解説を視聴し、その意味とレベルの程は理解している。当の鈴木技官が特異度を理解していなけらば何をか言わんやだが、そうでないとしたらこの程度の仮定で国民を欺けると思ったのか、軽薄極まりないことだ。何れにしろこの程度か厚労省医系技官のレベルは。
これら医系技官と一蓮托生の感染症学の面々にも疑念がある。同じくメルマガ文中で岡部信彦川崎市健康安全研究所所長は週刊紙のインタビューで、我々市民がPCR検査の拡充を熱望する様を「PCR検査信仰は・・」と揶揄した、テレビの前ではけっして見せない顔だがこれが本性か。
多くの国民は、いざと云う時には速やかにPCR検査が受けられることを願っているだけで、それ以上それ以下でもない。日本の感染症対策のトップリーダーにしてこの発言、誠に不謹慎で国民を馬鹿にしており、研究者として認め難い発言だ。それでも研究者だ、と言うならメルマガ文中で示されている「HPVワクチンの安全性に関する研究」に対して3,130万円もの研究費を受けた成果は何か、ちゃんと示して欲しいものだ。メルマガ文中に同じく、クラスター対策を指揮する東北大学大学院押谷仁教授がNHKスペシャル番組(3/22)で述べた、「クラスターさえ見つけていればある程度の制御ができる」は、そうだろうが「PCR検査を抑えていることが、日本がこういう状態で踏みとどまっている」は全く理解できない。因みに伝聞ではあるがこの方「PCR検査を多くしないのは私のポリシーだ」とも言ったと聞きます、益々分からない話だ。
手段としてのクラスター追及は、クラスターがクラスターとして在るうちは有効であろうが、市中感染に移ったら無力なことは、その後の1波の推移を見れば明らかだ。
この発言、クラスター追及が奏功していた時の事とは云え余りに短絡的ではないか。そもそも、「PCR検査を抑えていることが感染拡大を抑えている」とは原因と結果が逆の類いで説明になっていない。これ程にクラスター追及に拘るのは、前出の岡部氏の言葉を借りれば最早、クラスター信仰だ。これらお三方の共通項は、PCR検査をやりたく無い、が根っ子の精神だ。其で済むに越した事はないが、そうは行かないのに厚労省感染症村からは未だに、無症状陽性者対策を聞いた試しが無い。まるで、感染は仕方がないと言わんばかりに見える。無責任であることは云うまでもないが、未必の故意に等しい、とも思えることだ。一般論ではあるが未必の故意は、結果によっては有罪となる行為だ。
事程左様に厚労省医系技官・感染研とこれに係わる感染症学の面々が主体の塊(感染症村)、知れば知る程奇異に感じる。
軍に係わる感染症対策が初めと言われるこの組織の元は、120年前に迄遡ると云う。普通は古きものは善きかな、であり老舗と言われる多くは、時代の変遷と共に変わる価値観・ニーズに合わせて発展を遂げ、今に迄生き残っているということだろう。
翻り感染症村はどうか、時々のニーズに合わせ名を変え細胞分裂はしたものの、お釈迦様には申し訳ないが唯我独尊の価値観は変わらず、今に至っている様に思える。
これを可能にしたのは、時代はとっくに代わっていると云うのに、軍に託つけた秘密主義だ。これが細胞分裂した組織や係わる人々にウィルスの如く感染して行き、今の体質が出来上がったのではないのか。
秘密主義だから自らも世界の情報をシェア出来ない、と云うか世界に目を向ける気が無いように見える、その上唯我独尊でもあるから、他に学ぼうとせず世界のコロナ対策の蒭勢からは掛け離れた存在の日本になっている、その弊害はひたすら国民が被る事になる。
もっとも、政治がPCR検査を増やすべしと指示しても、聞いた振りして遅々として進めないのだら、国民の公衆衛生など何処吹く風と云うことか。これを御せない政治に問題が有るのは云うまでも無いが、形振り構わずひたすら自らの領域を守ろうとする姿は、科学者の集団とは言い難く、信仰集団に思える。
このコロナ禍、改善すべく最大の問題点は、実は感染症村の改革ではないのか。
選挙の洗礼も受けない役人が、例えばメルマガ文中にあるように、PCR検査を増やせとの政治の指示を何故拒めるのか。良く分からないところではあるが、100年以上前から培われた秘密主義を背景に、自らは法律の立て付けに守られつつ、国民の公衆衛生を人質に取る形で、情報と行政検査と云う手段の独占による言わば、独裁体制が政治を拒む事を可能にしているのではないのか。
欧米に比べコロナによる死亡者は少ない、と日本モデルを強調するむきも有るが、東アジアを見れば最悪の致死率だ。本来なら、世界に冠たる日本の医療を以てすれば、もっと低い致死率であったはずだ。そうでないのはこれ一重に、当初の「四日縛り」・「軽症者自宅待機」・「無症状濃厚接触者はPCR検査非対象」等の非人間的な基準と今も続く検査手段の独占(独裁)によることだ。コロナは何時かの時期に終息を向かえるが、弊害ばかりが目立つこの組織連合体に自らの変革は期待できない。
温暖化のせいか、ウィルス病の流行頻度は間隔が狭まっている、と言われる。一方経済の回復には国内も共々、インバウンド効果狙いの政策は欠かせないのは明らかだが、感染症のリスク増も避けられない。アフターコロナも引き続き、経済・感染症の二命題を負うことになるが、感染症村がこのまま生き残ることは許されないし、あり得ないことだ。
経産省原子力村は未曾有の被害の責めを負い解体されたが、厚労省感染症村についても、これ迄と今後のリスク管理を考えれば同様に在って然るべきだ。