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Vol. 205 日本内科学会・専門医部会の医療倫理観の問題点

医療ガバナンス学会 (2010年6月13日 07:00)


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健保連 大阪中央病院 顧問 平岡 諦
2010年6月13日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

はじめに:
日本内科学会誌の専門医部会の項では、本年1月号よりシリーズ「指導医のために:プロフェッショナリズム」を取り上げている。第一回は大生定義氏の「プロフェッショナル:教育・研究・実地医療でその求められる科学性・人間性・社会性」(1)であるが、その医療倫理観には医師集団の医療倫理観としては以下のような問題点があり、今後の日本の医師集団の医療倫理観をミスリードする可能性を持っている。
第一に、緒方洪庵「扶氏医戒之略」についての無理解である。
第二に、世界医師会の「Professional autonomy and self-regulation」に関するマドリッド宣言に対する無理解ないし無視である。
第三に、「理想」の形として挙げている欧米内科学会から出された内科医師憲章(Medical Professionalism in the New Millennium: A Physician Charter:以下、「内科医師憲章」)の、成立の背景の無理解である。
それぞれについて以下に述べる。

1:緒方洪庵「扶氏医戒之略」についての無理解。

氏は「この姿勢(パターナリズムのスタンスのこと;筆者)は、日本では、西洋医学が入ってきても緒方洪庵がまとめた『扶氏医戒之略』でも伺えるように昭和になるまでこれがずっと続いていた。」と述べて、「扶氏医戒之略」に含まれる医療倫理観を全否定しているようである。氏は第3章にある次の言葉の意味を御存じなのであろうか。

「其術を行ふに当ては病者を以て正鵠とすべし。決して弓矢となすことなかれ。」(緒方洪庵「扶氏医戒之略」より)

ドイツ人医師、フーフェラント(1762-1836)は「医学必携」の巻末に「医師の義務論」を収めた。そのオランダ語訳である「医の倫理」が江戸末期の日本にもたらされ、その全和訳が杉田成卿の「医戒」である。「医戒」を参考にして緒方洪庵が抄訳したのが「扶氏医戒之略」である。
扶氏とはフーフェラントのこと、医戒とは杉田成卿の「医戒」のこと、略とはその抄訳のことである。「扶氏医戒之略」の第3章の「其術を行ふに当ては病者を以て正鵠とすべし。決して弓矢となすことなかれ。」に該当する、フーフェラント「医の倫理」の記述内容は次のようになる。

「医師は患者を決して手段として見るのではなく、常に目的として見なければなりません。つまり患者を生物実験の単なる対象として、あるいは単なる医術の対象として見るのではなく、患者を人間として、自然そのものの最高目的として見なければならないということであります。」(フーフェラント「医の倫理」(2)より)

この考えは、まさに世界医師会の「ヘルシンキ宣言」の内容に通じるものではないだろうか。フーフェラントはこの考えをカントの道徳哲学から学んでいる(2)。カントは次のように述べている。

「君自身の人格ならびに他のすべての人の人格に存する人間性を、常に同時に目的として取り扱い、決して単なる手段として取り扱わないように行為せよ。」(カント「道徳形而上学原論」より)

カントの道徳哲学の中心をなすこの「人格、人間性」の考えが、フーフェラントの医療倫理観となり、「患者の人権擁護」を第一とする戦後の世界の医療倫理観にも繋がっているのである。
カントのこの考えが、フーフェラントの医療倫理観として江戸末期の日本にも伝わったのである。緒方洪庵の適塾で学んだ福沢諭吉に、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり。」と言わしめたのは、「扶氏医戒之略」を介してカントのこの考えが及んでいたからではないだろうか。いずれにしろ、残念ながら戦後の日本の医療倫理観は、「患者の人権擁護」を第一とする戦後の世界の医療倫理観に後れを取っているのである。その理由の一つが、氏のように、パターナリズムのスタンスにあるとして「扶氏医戒之略」に含まれる医療倫理観を全否定したためと考えられるのである。

ちなみに、「扶氏医戒之略」の第3章を冒頭に回し、パターナリズムの部分を削除し、その他の内容を現在の医療状況にあわせると、「内科医師憲章」の内容となるのである。年代順に考えると、「内科医師憲章」を作成するときにフーフェラントの「医の倫理」を参考にしたであろうことが窺えるのである。

2:世界医師会の「Professional autonomy and self-regulation」に関するマドリッド宣言に対する無理解ないし無視。

氏はシリーズの第一回に当たり、医師のプロフェッショナリズムについて概説している。しかし医師のプロフェッショナリズムにとって最重要と思われるマドリッド宣言についてはまったく言及していない。これはマドリッド宣言に対する無理解ないしはこれを無視したものと考えられる。
戦後の世界の医療倫理観をリードしてきたのは世界医師会である。その医療倫理観の基礎にあるのは、ナチス政権下のホロコースト(組織的な大量虐殺)において多数の医師が人権侵害を犯したことに対する反省である。それまでの医療倫理観と異なるのは、第一に、医療倫理のトップがヒポクラテス以来の「First do no harm(患者を害するな)」から「患者の人権擁護」になったこと、第二に、医療倫理の遵守を「個人の努力任せ」では守れなかった反省から「個人の努力だけでなく、システムで補完」するようになったことである。そして患者の人権擁護をシステムで補完するために考えられたのが「professional autonomy and self-regulation」ということになる。要約すると次のようになる。

(1):患者への人権侵害は、医師から起こる場合と、医師以外(たとえば「時の権力」、経済的圧力、暴力的圧力など)から起こる場合とに分けられる。
(2):医師から患者への人権侵害に対して、「個人の努力だけでなく、システムで補完」するためには、医師集団内部に「医師間相互評価(peer review)」のシステムを作ること、これがself-regulation(自浄機能)の意味である。
(3):医師以外から患者への人権侵害に対して、「個人の努力だけでなく、システムで補完」するためには、医師集団として対応することである。医師集団がたとえば「時の権力」に依存していれば「時の権力」に対応できない。対応できるためには医師集団が患者の人権侵害を起こしているものから自律している必要がある。何ものからも自律(autonomy)していることを宣言(profess)することである。これがprofessional autonomy(適当な和訳はない)の意味である。
(4):この考えを各国の医師会(医師集団)が受け入れるように勧めているのが、世界医師会の「professional autonomy and self-regulation」に関するマドリッド宣言である。

AutonomyのルーツはカントのAutonomieである。Autonomyとself-regulationとはコインの裏表のようなものである。概念として分けることはできない。しかし現実のシステムにすると上述のように分かれるということである。Autonomyとself-regulation のシステムは一対のシステムである。どちらか片方だけ実行するということは成立しないのである。

「内科医師憲章」でも最初にprofessional autonomyを述べ最後にself-regulationを述べている。Professional autonomyを述べている個所は、Fundamental Principles. Principle of primacy of patient welfare.の「Market forces, societal pressures, and administrative exigencies must not compromise this principle.」である。「Market forces, societal pressures, and administrative exigencies」からのautonomyを「must not」と宣言(profess)しているのである。Self-regulationを述べている個所は、Commitment to professional responsibilities.の「As members of a profession, physicians are expected to(中略) participate in the processes of self-regulation, including remediation and discipline of members who have failed to meet professional standards.」である。

ちなみに、「扶氏医戒之略」の最終章である第12章の後段は「然りといへども実に其誤治なることを知て之を外視するは、亦医の任にあらず。」となっている。「誤治」(すなわち誤診、医療ミス、医療倫理違反)を知った場合は、これを放置してはいけないと言っているのである。「医師間相互評価(peer review)」、すなわちself-regulation(自浄機能)が「医の任」(医師の役目)であると言っているのである。自浄機能を最後に述べる構造も、「内科医師憲章」の構造と同じである。この構造も、「内科医師憲章」を作成するときにフーフェラントの「医の倫理」を参考にしたことを窺わせるのである。

3:「理想」の形として挙げている「内科医師憲章」の成立の背景に対する無理解。

氏は「内科医師憲章」を引用して「プロとしての望ましい姿勢や自覚を個人だけの意志や熱意だけでは維持できない側面も出てきている。」と述べている。しかし、上述のように「個人の努力だけでなく、システムで補完」する考えはマドリッド宣言で取り上げられているのであり、戦後の世界の医療倫理観になっているのである。たとえばアメリカ医師会(AMA)の倫理規定(Code of Medical Ethics)では、さらに端的に、そのPrinciples(倫理綱領に相当)およびIntroduction(その説明に相当)において次のように記載されているのである。

■AMA Principles of medical ethics.
II. A physician shall uphold the standards of professionalism, be honest in all professional interactions, and strive to report physicians deficient in character or competence, or engaging in fraud or deception, to appropriate entities.
III. A physician shall respect the law and also recognize a responsibility to seek changes in those requirements which are contrary to the best interests of the patient.

■Introduction: Terminology.
Many of the Council’s opinions lay out specific duties and obligations for physicians. Violation of these principles and opinions represents unethical conduct and may justify disciplinary action such as censure, suspension, or expulsion from medical society membership. (II)

■Introduction: The relation of law and ethics.
Ethical values and legal principles are usually closely related, but ethical obligations typically exceed legal duties. In some cases, the law mandates unethical conduct. In general, when physicians believe a law is unjust, they should work to change the law. In exceptional circumstances of unjust laws, ethical responsibilities should supersede legal obligations.
The fact that a physician charged with allegedly illegal conduct is acquitted or exonerated in civil or criminal proceedings does not necessarily mean that the physician acted ethically. (III)

世界医師会の推奨を受ける形で「内科医師憲章」も作成されているのである。「内科医師憲章」の、さらにアメリカ医師会の倫理綱領などの、成立の背景を理解しておれば、「プロとしての望ましい姿勢や自覚を個人だけの意志や熱意だけでは維持できない側面も出てきている。」などと述べることは無いであろう。氏の医療倫理観が、戦後の世界の医療倫理観に後れを取っていると言わざるを得ないのである。「内科医師憲章」の共同の作成に日本の医師集団が参加できない理由がこの後れによるのである。

日本内科学会誌のシリーズ「指導医のために:プロフェッショナリズム」の、1月号以降に掲載された内容を見る限り(注)、また、1月号に掲載された今後の掲載予定の仮タイトルを見る限り、上述した問題点が明らかにされる様子はない。
すなわち大生定義氏がシリーズのはじめに述べている医療倫理観が、日本内科学会・専門医部会の医療倫理観のようである。したがって以上に指摘した問題点を明らかにしなければ、「日本内科学会・専門医部会の医療倫理観は今後の日本の医師集団の医療倫理観をミスリードする可能性を含んでいる」といわざるを得ないのである。

(注):日内会誌第5号の同シリーズの項で、野村英樹氏がself-regulation(自浄機能)について述べている(3)。しかし、対となるべきprofessional autonomyについてまったく触れていない点はマドリッド宣言の無理解ないし無視のためであろう。self-regulation(自浄機能)だけを取り上げるだけでは、ある権力が共有地の大きさを規制しているために「共有地の危機(4)」が起こった場合、その権力と闘って「共有地を拡大させて解決する」という考えが出てこないのである。時の権力による患者の人権侵害に対して医師集団が対応するために必要なシステムがprofessional autonomyである、と言っているのがマドリッド宣言である。日本では、「低」医療費政策という時の権力により、たらい回しで手遅れになることもある「医療崩壊」という患者の人権侵害が起こっているのである。医師集団として立ち上がれないのはprofessional autonomyというシステムが出来ていないからである。

(1):大生定義:「プロフェッショナル:教育・研究・実地医療でその求められる科学性・人間性・社会性」、日内会誌99; 183-187, 2010.
(2):杉田絹枝・杉田勇共訳:「フーフェラント自伝/医の倫理」、北樹出版、1995.
(3):野村英樹:「プロフェッションによる教育と自律のあり方」、日内会誌99; 1116-1121, 2010.
(4):野村英樹:健康保険制度における「プロフェッションの自律」内科系学会社会保険連合「ワークショップ」「プロフェッショナリズムと保険診療」http://www.naihoren.jp/gijiroku/gijiroku104/104gian3-1.pdf

(2010.6.4脱稿)

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