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Vol.015 嘱託殺人事件の教訓

医療ガバナンス学会 (2021年1月22日 06:00)


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帝京大学
吉田誠

2021年1月22日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

先日、京都で嘱託殺人事件が起きて大きな関心を集めた。どのような点が問題であるか未だ議論が続いている。そこで日本での安楽死の歴史や事件をもとに今回の事件の問題点に関して考察した。
日本で起きている安楽死に関連する事件は、自己決定権の法的保障がないことが原因と考える。

権利があって初めて義務が生じる。例えば、教育では、子どもは教育を受ける権利がある。従って、保護者は子供に教育を受けさせる義務が生じる。これは患者の意思決定に関しても全く同じだ。自己決定権の法的保障があって初めて、患者の意見を守る義務がある。
現在、自己決定権は保障されておらず、民事上の観点から、家族の意見が患者の要望と全く違っていても、医療スタッフは家族の意見を無視できない。

先日起きた嘱託殺人事件では、筋萎縮性側索硬化症(以下ALSと省略)を患う女性が「海外で安楽死を受けるため始動します!色々乗り越えなければならない壁がありますが、挑戦しようと思います!!」とTwitter上で宣言し、主治医でない医師が致死量の薬を投与した。彼女は死亡、医師は嘱託殺人罪で起訴された。今後、法廷で犯行の詳細と医師らの死生観が検証される。
ALSとは筋委縮性側索硬化症の事で、筋肉を司る神経細胞が変性していく病気である。ALSを発症すると、これらの神経に支配されていた筋肉が萎縮し、正常に機能しなくなる。呼吸筋が障害されると人口呼吸器の装着、嚥下障害が起きると胃瘻の造設が必要となる。近年、高齢者の発症が増加している。治験がいくつか実施されており、内服薬(リルゾール)や点滴(エダラボン)などの薬物療法があるものの効果は限定的であり、根本治療は存在しない。

まず安楽死の議論の歴史について説明する。現在、日本において安楽死は積極的安楽死と尊厳死(消極的安楽死とも言う)の2つに大きく分類されている。積極的安楽死は致死性の薬を自ら投与することで、尊厳死とは延命治療の中止を意味する。

安楽死の思想が登場したのは、自殺を罪とする中世のキリスト教的立場に対して、人間的な合理性を主とするギリシア・ローマの倫理及び法律思想が復活したところにある。熱心なカトリック信徒であるイングランドの法律家トマス・モアが1516年に『ユートピア』で安楽死の基礎となる表現を示した。トマス・モアはその後、国王至上法という、ヘンリー8世をカトリックのローマ教会から独立したイングランド国教会の「唯一最高の首長」とする法令に、カトリック信者として反対し、反逆罪として斬首刑に処されている。

日本で初めて安楽死という概念が登場したのは1916年に出版された森鴎外の『高瀬舟』とされている。
物語に登場する二人の兄弟は両親を幼いころになくし、助け合って生活してきた。しかし、弟が病気になり働けなくなった。弟は兄にだけ負担をかけていることを済まながり、剃刀で喉笛を切り、自殺を試みたが死ねずにいた。兄は、苦しむ弟の様子を見て、弟の望み通り剃刀を抜き、弟は死亡した。兄は弟殺しの罪に問われ、遠島を申し渡された。高瀬舟で護送されている際の、兄と護送人のやり取りの様子が描かれている。
その中で、
「弟は剃刀を抜いてくれたら死なれるだろうから、抜いてくれと言った。それを抜いてやって死なせたのだ、殺したのだとは言われる。しかしそのままにしておいても、どうせ死ななくてはならぬ弟であったらしい。それが早く死にたいと言ったのは、苦しさに耐えなかったからである。喜助はその苦を見ているに忍びなかった。苦から救ってやろうと思って命を絶った。それが罪だろうか。」
と安楽死の問題を提起した。

では、なぜ鴎外はこの小説に書くに至ったのだろうか。
筆者は、鴎外が陸軍軍医でありドイツに留学したからではないかと考察する。海軍の由来は薩摩にあり、イギリス海軍を手本にしていた一方で、陸軍は長州由来でフランス、そしてドイツ軍を手本としていた。両軍とも、手本とした国に大きな影響を受けており、脚気が流行した際には、陸軍はドイツ医学の観点から、海軍はイギリスの根拠から全く別の対応をとっている。これは医学に限った事だけではない。鴎外の留学先ドイツはカトリックの支配を受けており、安楽死の思想が生まれた地域だ。

日本国内で、安楽死の要件を示す事になったのは1962年の山内事件である。父親は脳溢血で倒れ、後遺症で半身不随となり体を少しでも動かすと激痛を感じていた。父親はしゃっくりの発作も起こり、「苦しい、殺してほしい」と訴えていた。青年は父の苦痛を見かね、自宅に配達された牛乳瓶の中に有機リン剤を混ぜた。母親は事情を知らず、有機リン剤入りの牛乳を父親に飲ませ、父親は死亡した。名古屋地裁での専属殺人という有罪判決に、弁護人が「安楽死」による青年の無罪を主張し控訴した。
これが安楽死の是非の議論の契機となり、名古屋高等裁判所は安楽死の違法性を否定する6つの要件を示した。この6要件はやがて安楽死を論じる際の客観的な土台となる。
この事件は、安楽死のための6要件を満たさず、青年は嘱託殺人罪となった。医師の手によるものでなかったこと、方法が倫理的に妥当でなかったことが理由であった。
(示された6要件)
1.不治の病に冒され死期が目前に迫っていること
2.苦痛が見るに忍びない程度に甚だしいこと
3.専ら死苦の緩和の目的でなされたこと
4.病者の意識がなお明瞭であって意思を表明できる場合には、本人の真摯な嘱託又は承諾のあること
5.原則として医師の手によるべきだが医師により得ないと首肯するに足る特別の事情の認められること
6.方法が倫理的にも妥当であること

山内事件の後、安楽死・尊厳死に関する裁判として、1975年の鹿児島地裁判決、1975年の神戸地裁判決、1977年の大阪地裁判決、1990年の高知地裁判決が行われた。いずれも名古屋高等裁判所示した6要件が判断基準として機能した。

その後、1991年に東海大学安楽死事件が起き、6要件は塗り替えられる。家族が、昏睡状態が続く多発性骨髄腫を患う方の苦しむ姿を見て、治療の中止を強く要望し、医師が致死量の薬剤を投与したという事件だ。横浜地裁は安楽死のための6要件を塗り替え、積極的安楽死が許容されるための4つの条件を新たに示した。この事件では、4要件は満たされておらず、被告人は殺人罪となった。患者の意思表示の確認が得られなかったこと、患者が激しい肉体的苦痛に苦しんでいる事が要件を満たしていなかった。
(示された4要件)
1.患者が耐えがたい激しい肉体的苦痛に苦しんでいること
2.患者は死が避けられず、その死期が迫っていること
3.患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし他に代替手段がないこと
4.生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示があること
1996年には、京都で町立国保京北病院事件が起きた。末期胃がんに苦しむ患者が再入院する際、家族と医師は、延命治療はしないことと苦痛は取り除くことに口頭で合意した。患者の痙攣が収まらなくなり、医師が筋弛緩剤を投与した約10分後、患者は死亡した。この際、本人の同意、意思表示、家族への点滴薬の中身の説明がない状態で筋弛緩剤の投与が行われた。当時の院長は殺人容疑で書類送検されたが、筋弛緩剤投与と患者の死との因果関係は証明されず、自然死と判断され、容疑なしで不起訴処分となった。

2002年には、川崎協同病院事件が起きた。入院中の昏睡状態の患者に対し、担当医師が気道を確保のためのチューブを外した後、患者がのけぞり苦しそうな呼吸を始めたため准看護師に指示して筋弛緩剤を注射した所、患者は間もなく死亡した。脳死や植物状態を判定するための脳波などはとっていなかった。 2002年に同病院が経緯を公表し、同年12月医師は殺人容疑で逮捕起訴され、2009年に最高裁が上告を棄却したことで有罪判決が確定した。

高齢化が進む先進国で安楽死は避けては通れないテーマだ。2019年6月にはNHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」が放送された。安楽死が容認され海外からも希望者を受け入れているスイスの安楽死団体に登録し、家族は対話を続けつつスイスでの最後の瞬間に立ち会ったという内容である。
これは大きな反響を呼んだ。Yahooのデータによると、“安楽死”と検索する人は毎月1000人前後だったが、2019年6月には18000人を超える人が“安楽死”を検索した。
そして2020年7月、今回の嘱託殺人事件が起きた。

どの事件でも、患者の意思決定が議論の中心にある。特筆すべきは、安楽死のための6要件のうち、「苦痛が見るに忍びない程度に甚だしいこと」が除外されたことだ。家族の視点からではなく、本人がどう考えるかを重視している。

そこで今回起きた事件において、患者の意思決定をキーワードに今回の事件を見てみる。
女性は、治療の中断、胃ろうでの栄養補給の減量を主治医に対して要求した。しかし、医師側は女性の気持ちが変わりうること、法に抵触する恐れ、医師としての倫理面などから女性の要望を拒否し、思いとどまるように説得した。

彼女のブログには意思決定に関して権利がないことが描かれている。
以下は彼女のtwitterの引用である。
「主治医との話し合い 胃ろうからの飲食拒否は自殺幇助に当たるから出来ないと言う ならば一切の支援を断って窒息死(吸引できないから)するといったらそれもダメ 一体私の人生の権利は何がある? 結局摂取カロリーを600に減らして蛇の生殺しみたく弱まり死ぬのを待つだけ」
「1日500Kcalでどれだけ弱まれるんだろう?そんなに早く死ねないよな 痩せて褥瘡とかできるんだろうな 怖いな、、怖いな、、 でもこうするしかないもんな怖いな、、」
「主治医からの返信 先日お話したのは、あくまで、現在の胃の調子の悪さから一旦、注入食の減量をしましょうということです。決して私たち医師に致死的な減量ができるというわけではありません。」
「私の返信 あの日も私は明らかに死ぬために栄養を減らしたいと言ったはずです 胃の調子云々という説明は先生から受けた覚えがありません。話が噛み合ってませんね それともすり替えられているのでしょうか?そんな理由なら同意しませんでした 前から話してるように胃の悪さは精神的なもので」
「主治医の返信 ご指摘の老年医学会の指針は、高齢者の終末期に関するもので、意思決定支援やACPが主なテーマです。そこの人工栄養の中止に触れていて重要な提言を含みますが、それが社会的コンセンサスが得られているとはいいがたく、法的な問題も含め、「検討する」にとどまっています。」

では、女性の意思は明確であったのだろうか。
「どうしようもなくなれば楽になれる」と思えれば、先に待っている「恐怖」に毎日怯えて過ごす日々から解放されて、今日1日、今この瞬間を頑張って生きることに集中できる。「生きる」ための「安楽死」なのだ。
自身のブログで一貫して安楽死を主張し続けている。彼女はスイスに渡って安楽死をさせてもらいたいとも希望していた。

人生の最終段階の話し合いとして、ACP(Advance Care Planning)という、意思決定支援の1つが日本では推奨されている。家族や医療者と患者の話し合いという過程に重点が置かれ、人生観や価値観、希望に沿ったケアを受けることが目標である。

ACPは患者の意思決定の権利がない状況で、果たして現実的なのだろうか。今回の事件は重要な教訓を含んでいる。
「「これだけ関わっている人が大勢いるのだから、自分だけの命ではないんだぞ」と怒られたりします。」と彼女は記載している。さらに自身の選択に対し後ろめたさや罪悪感を覚えていた。彼女から父親に、安楽死をしたいと直接宣言することはなかった。

安楽死や尊厳死に関する歴史を眺め、患者の意思決定をどのように守り、患者の要望は現実問題どこまで叶えることが可能なのかを検討し、さらに家族との折り合いをどのように付けるのかが重要だと考えた。
そのためには患者の意思決定の権利の保障が必要である。

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