医療ガバナンス学会 (2021年2月5日 06:00)
この原稿は長文のため4回に分けて配信いたしますが、以下より全文をお読みいただけます。
http://expres.umin.jp/mric/mric_2021_025.pdf
元国際基督教大学教授・憲法
稲 正樹
2021年2月5日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
Verfassungsblog on Matters Constitutionalは、2020年4〜5月にかけて特集シンポジウム”COVID-19 and States of Emergency”を開催し、74カ国のナショナル・レポートを掲載した。それらのナショナル・レポートのうちから、民主主義・人権・法の支配と緊急事態権という比較憲法の観点から興味深い事例を、「COVID-19対策の有効性を示している諸国」「新法の制定で対応した諸国」「緊急事態を発動していない諸国」「緊急事態を発動した諸国」「課題を残している諸国、対応に失敗している諸国」「ほとんど緊急対応がなされていない諸国」「法の支配、立憲主義からみて問題のある諸国」に大別して、別稿で紹介・検討した*1。
本稿は、別稿の続編として、このシンポジウムを主催したコーディネーターの総括文書*2を翻訳・紹介し、若干のコメントを加えたものである*3。
*1 稲正樹「世界各国のCOVID-19と緊急事態法制」法と民主主義548号、2020年、18-21頁、同
「COVID-19と緊急事態−世界各国の現状と問題点」法律時報92巻10号、2020年、87-93頁。
*2 Joelle Grogan, States of Emergency, 26 May 2020, https://verfassungsblog.de/states-of-emergency/
*3 なお本稿は、国際基督教大学平和研究所のいかなる見解をも代表するものではなく、執筆者限りのものである。
◆緊急事態にある諸国
<通常法(ordinary law)における緊急事態権>
数多くの国は、緊急事態権が法的枠組、憲法的枠組において利用できる場合であっても、緊急事態権に訴えることなく危機管理のために通常法 (ordinary legislation)に依拠してきた。その理由は様々である(危機が憲法規定の「緊急事態」に該当しない。通常法の中に十分な権限とまたはメカニズムがある。したがって 緊急事態権に訴える必要がない)。にもかかわらず、通常法の排他的な使用が濫用がないことを意味しない以上に、緊急事態の宣言は権限の潜在的な濫用を示すものではないことが強調されるべきである。
通常法を用いている多くの国は、通常、緊急事態権の使用に要求される発動条件の精査を回避した(トルコ)。他の国はそれと対照的に、緊急事態権の過去の使用に照らして、否定的な歴史的含意に関心をもち(インド)、適切さがより少ないかもしれない通常法の規定を用いている。
既存の立法を使用する場合、当該法で与えられている権限が実際に行われたパンデミック対策措置を授権しているかどうかが、考慮すべき重要な点である。拘禁、検疫、ロックダウンについての包括的権限の法的な基礎を提供するために、多くの国は保健法に依拠してきた。権限踰越と判示されなければならない行動を許す趣旨で通常法を解釈することは実体的な関心をもつべき問題である。例えばイギリスの1984年公衆衛生(疾病統制)法は「(人が)どこに行くかについて誰と接触するかについて」「特別な制限または要求」をすることを大臣に許している。しかし、これらの規定を全国民の全国的なロックダウンを認めていると解釈することは問題のあるところだ。
多くの国で当初依拠された保健法は非常に異なった時期に公布された(例えば、1964年のネパールの伝染病統制法、1897年のインドの感染症法)。制限の前例のない性質のための法的基礎を提供するために、多くの国は既存の公衆衛生法を改正した。しかしながらいくつかの国における改正のスピードは、意味のある審査のためには異常に少しの時間を与えただけだった(イギリスでの4日からデンマークのたった12時間だけまで)。そして法律の質は苦しいものになった。法学者、弁護士、裁判官から、法案起草の秘密性と責任のあるインプット不在についての嵐のような抗議を受けて、ノルウェー政府はコロナウイルスに関する当初の法案を根本的に改訂した。フィンランドは常任委員会とそして外部の法律家・憲法専門家との連携を通じて、執行府の法令の合憲性と権利遵守の複合的な審査の最良のプラクティスの事例を提供している。フィンランドでは法律ブログへのリアルタイムの投稿を通じて公衆の精査をもたらしているが、これは特筆に値する。
緊急事態は緊急の行動を必要とするが、その後の審査と改革のための能力の発揮を見ることができる。この点でイタリアは模範的である。この国はヨーロッパで最高の死亡率の一つであることに苦しんだ。この国は、制限的な措置を導入した最初の国のなかで全国的なロックダウンを導入した点において、世界的にみると中国の次であった。当初の措置は地方、地域、全国レベルで分岐し素早くまた手当たり次第に導入されたので、「規制と法の混乱」を生み出したが、これはその後変化した。初期の混乱に向けられた学者・弁護士・メディアか らの批判に応えて、イタリア政府は明白な憲法的なセーフガードと法の支配の保護を含んだ法的な措置を改革した。この傾向はEUを横断して見られており(ハンガリーとポーランドという顕著な例外を除いて)、当初の法的欠陥はその後矯正された。
今後10年でグローバルな危機を計算に入れた、保健緊急事態を規律する無数の憲法改正と立法がもたらされるだろう。そしていくつかの鍵となる洞察が集団的経験から収集されよう。
*コメント:COVID-19に対しては、既存の法で対応した諸国、既存の法を改正して対応した諸国、新規立法で対応した諸国に分類することができる。日本においては周知のように新型インフルエンザ等対策特別措置法の改正で新型コロナウィルスに対応したが、パンデミックに対する危機対応としては不十分かつお粗末なものにとどまっている*4。
*4 日本の対応に関しては、右崎正博「第1章<徹底検証>新型コロナウイルス緊急事態」右崎正博・大江京子・永山茂樹(著)『緊急事態と憲法−新型コロナウイルス緊急事態の体験を経て−』学習の友社、2020年、6-44⾴を参照。
<なぜ「緊急事態」なのか?>
多くの国は、COVID-19への対応において緊急事態を宣言した。「緊急事態」に関する規定には4つの共通の要素がある。(1)宣言の条件、(2)権限の委任、(3)その使用の制限、(4)立法 的または司法的監督の規定である。しかしながら緊急事態の宣言を正当化する状況はその国の歴史的経験と緊密に結びつけられている。多くの国は宣言の条件として、戦争(アイルランド)、対外的な侵略(バングラデシュ)または武装反乱(インド)を規定している。自然災害(クロアチア)に言及している例は少なく、伝染病(トルコ)または保健緊急事態に言及しているものはもっと少ない。いくつかの憲法はより制限なく解釈できる条件を含んでいる。例えば、マレーシアでは、国王が「安全」「経済生活」または「公序」に対して重大な脅威があると認めるときに緊急事態を宣言できる。
憲法上のセーフガードが緊急事態権の濫用の可能性を制限できるかどうかを、強く示すものはない。2011年の憲法改革に従ってメキシコ1917年憲法は司法部門と立法部門による監督を規定し、その乱用に対するこれらの政治的・法的セーフガードは執行府によって覆されることはできない。緊急事態を求めうる数多くの状況にもかかわらず、緊急事態は1942年に一度だけ宣言され、現在の危機においても宣言されていない。これと対照的に、いくつかの国はセーフガードにもかかわらず永続的に近い緊急事態のなかで存在してきた。2014年エジプト憲法は、1967年以来ほぼ永続的に続いてきた緊急事態を終わらせるという意図で起草された。しかしながら、代議院の3分の2の賛成を含めて憲法に導入されたセーフガードは、形式的な手続主義を通じて脇に追いやられてきた。エジプトは2017年以来数日でも緊急事態から脱するということはなかったために、コロナウイルス危機を通じて緊急事態を宣言しなかった。
いくつかの国は緊急事態という用語をまったく避けている。2015年のテロリストの攻撃後の2年間緊急事態を経験したフランスは、新しい「保健緊急事態」を宣言した。それは緊急事態の現存規定を模倣するものであり、議会の役割についてより限定された役割を規定し、ヨーロッパ人権条約、市民的及び政治的権利に関する国際規約をデロゲートしなかった。
「非公式の」緊急事態も同等の関心要因となりうる。緊急事態の否定的な結びつきを避けるためにバングラデシュにおいてなされた「一般的な休日」の呼びかけは、状況の重大さを偽って示し、高度に危険な行動へと大量の移民を含めて人々をミスリードしている。緊急事態権の濫用の否定的な経験は、日本では、1947年憲法における緊急事態条項の欠落を導いた。この国では、緊急事態条項は濫用の可能性を制限すると論じる者と、この種の条項は濫用への道を開くと論じる者との間で議論が分かれている。
多くの国は緊急事態への付帯条件を高度に規範化している。エストニア憲法とチリ憲法はそれぞれその使用について対応する権限とその使用についての条件を規定し、様々なレベルの緊急事態を定義している。憲法は最も重大なレベルの緊急事態を議会の承認に留保している。両国とも緊急事態を宣言した。チリではestado de catástrofe、エストニアでは eriolukordである。それは執行府によって宣言され、議会の承認を求めていない。両国ともそれぞれ米州人権条約、ヨーロパ人権条約、また市民的及び政治的権利に関する国際規約に 基づくデロゲーションを通知した。紙の上では、これは法の支配と個人の権利と一致する。 実際にはしかしながら、両国は緊急事態権の行使において心配な兆候を明らかにしている。
究極的には、民主的な監視、個人の権利、法の支配の観点から緊急事態に関する憲法規定が強靭であるところにおいても、憲法規定の遵守はまた、憲法秩序・法秩序に対する執行府のコミットメントに、それを確保する十分な権力分立があるかどうかに依拠している(ケニア・ジョージア)。憲法規範を実施する独立した司法府(ベネズエラ)または議会の監視(フィンランド)がなければ、憲法は紙の上の言葉にほかならない(エジプト)。
*コメント:国家安全保障、財政危機、自然災害、パンデミックによる危機対応はまったく別種のものであり、とりわけパンデミックに関する危機対応はこれまでの国家安全保障を前提とする危機管理とはまったく異なるという指摘がなされている*5。日本国憲法は国家緊急権を一切制度化していない。それは、旧体制の遺物を払拭するというネガティブな意味だけではなく、非常事態体制とともに日本を滅亡させた戦争国家を否定して、平和原則と民主主義に徹した危機管理のあり方を探求するという積極的な意味がある。パンデミックに対応した憲法的、立法的な危機管理のあり方は、これまでの軍事的脅威に対する危機管理とは全く別の発想と具体的制度化が必要である。
*5 Tom Ginsburg and Mila Versteeg, The Bound Executive: Emergency Powers During the Pandemic (July 26, 2020). Virginia Public Law and Legal Theory Research Paper No. 2020-52, Univ. of Chicago, Public Law Working Paper No. 747, Available at SSRN: https://ssrn.com/abstract=3608974 or http:// dx.doi.org/10.2139/ ssrn.3608974.
<執行府の行動の限界>
緊急状態において必要とされる行動の緊急性のために、執行府の措置が精査または承認のステージと同様のレベルを経験しないことは理解される。しかしこのことは、緊急権の行使が制限または条件を受けないこと、国家機関が免責とともに行動することを許されるべきことを意味しないし、また意味すべきでもない。緊急事態権が行使される場合の危険は、緊急事態の否定的な結果を緩和するためではなく、立法的な討議なしに政府の政策を導入したり執行府の権限を強固なものにするために、使われうるということである。 ハンガリー政府に対して与えられたほとんど制限のない立法権はそれ以来、ハンガリーにおけるGDPR(EUデータ⼀般保護規則)の作用を停止し、地方政府にとって最も利益のある財源を与党が支配する地域の政府に移送するために使われている。この両方ともCOVID-19との関連性はない。
公刊されない決定と政府の通達に例示される、法的正当化または十分な法的基礎のない執行府の行動は(トルコ・カメルーン)、明白なコミュニケーションと法的確実性を求める状況において法的混乱を作り出す。漠然とした規定の危険は執行府による利用を可能にする(インド・ブルガリア・ロシア)。最も差し迫った関心の一つは時限性である(シンガポー ル)。現在の危機は永遠ではないが、いくつかの国は権力のバランスを永久的にシフトして、説明のつかない執行府による決定の策定という結果をもたらしている(香港)。執行府の行動は、政治的な(例えば議会の承認)、実質的な(例えば絶対的な権利の不可侵性)、手続的な(例えば司法審査)セーフガードを含む重要な制限を常に受けるべきである。
権力の意図しない誤用または直截な濫用に対する最良の保護のプラクティスの確定を求めるときには、いくつかの単純で普遍的な原則がある。権限の委任は時間が限定され、その使用のための正当な範囲は明瞭でなければならない。権限の使用は法的に規制され、その正当な目的に対して比例的でなければならない。独立した機関による意味のある監視と法律に従った審査の可能性がなければならない。
つづく