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Vol. 215 医療安全の『基本的考え方』に対する二つの障害

医療ガバナンス学会 (2010年6月20日 07:00)


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「過重労働がミスを呼ぶ」という視点の無い医療法第6条と、
医療倫理の遵守は「個人の努力まかせ」とする日本医師会の医療倫理観。

健保連 大阪中央病院 顧問 平岡 諦
2010年6月20日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

「To Err is Human; Building a Safer Health System」
(「人は誰でも間違える;より安全な医療システムを目指して」)は1999年に米国立医学研究所(IOM)のリポートであり、医療安全の『基本的考え方』を変えたことで有名である。
それまでの「個人の努力まかせ」から「個人の努力だけでなくシステムで補完しよう」への転換である。このレポートにもあるが、「First do no harm(まずは、患者を害するな)」がヒポクラテス以来の医療倫理の”いの一番”であり医療ミスは「患者を害する」ことにつながる。これまでの「個人まかせ」から「システムで補完しよう」への転換は医療倫理に適った転換である。

医療の質・安全学会副理事長の上原鳴夫氏らを中心に、この新しい『基本的考え方』がわが国でも広められ医療安全に対する意識が高まってきている。しかし、氏が望まれているように、私も望むところであるが、この考え方を「日本の文化」とするためには少なくとも二つの障害がある。それは医療法第6条と日本医師会の医療倫理観である。

1:医療法第6条の追加条項。
平成18(2006)年に医療法の改定が行われ医療安全に関する条項が追加された。第6条の10をつぎに示す。なお、第6条の9、11、12には、医療安全に関する国、地方自治体の役割などが述べられている。
【医療法第6条の10 病院、診療所又は助産所の管理者は、厚生労働省令で定めるところにより、医療の安全を確保するための指針の策定、従事者に対する研修の実施その他の当該病院、診療所又は助産所における医療の安全を確保するための措置を講じなければならない。】

つぎに問題点を述べる。まず、この改定が行われたのはIOMリポートが発表されてすでに7年たってからである。世界はIOMリポートに合わせて医療の安全確保に動いている時期である。つぎにその内容である。「個人の努力だけでなく、システムで補完」できるような改定であろうか、むしろ逆である。「病院の管理システムを利用して、医療の安全を従事者に強制」しているのである。病院管理者を介した、医療従事者に対する官僚統制と言わざるを得ない。なぜなら官僚は管理者に、管理者は従事者に、それぞれ医療ミスの責任を負わせる構造になっているからである。たとえ医療ミスが起こったとしても、法律を改定したことで官僚は免責され、指針を策定し、研修の実施その他の措置を講じておれば管理者は免責される。医療ミスが起こって責められるのは従事者のみである。

医療安全に関するこの医療法改定は、そもそもが「低」医療費政策による医療従事者の「過重労働により医療ミスが増加した」ためである。そして一方的な医療法改定により医療従事者に「医療ミスに対する責任」のプレッシャーを押しつけているのである。医療現場では「患者を害さない」ために「個人の努力だけでなく、システムで補完」しようと努力しているのであるが、それまでの過重労働に加えて、さらなる過重労働となっているのである。医療従事者の犠牲を強いる医療法第6条の追加条項が、医療安全の新しい考え方を「日本の文化」とするための障害となっているのである。
医療安全に関するこの医療法改定には、「過重労働がミスを呼ぶ」という視点が無い。また「個々の病院の努力まかせ」でありそれを「システム(たとえば法律)で補完しよう」という視点が欠けている。これらを改善するためには、医療法第6条につぎの項目を加えることである。

医療法第6条への追加項目:「管理者は、医療の安全を確保するため、従事者の過重労働を予防する措置を講じなければならない。」
医療ミスが起こった場合、もし従事者の過重労働が認められれば管理者の責任が問われることになる。必然的に管理者は従事者の過重労働に気を配ることになり両者の一体感が出てくるであろう。また管理者の団体として一体となり厚労省とかけあえるようになる。その結果は医療従事者の過労死の予防ともなり、「立ち去り」を予防し医療崩壊の阻止ともなるのである。

2.日本医師会の医療倫理観。
日本医師会の「医師の職業倫理指針」平成20年改訂版の序文では、医療倫理観について次のように述べている。
【倫理は社会的ルールといえるが、基本的には個人的、内省的、非強制的なものであり、各個人が自覚を持ってルールを認識しそれを遵守することが最も大切であることは言うまでもなく、この倫理指針がそのお役に立てば幸甚である。】

日本医師会の医療倫理観では、医療倫理の遵守は「個人の努力まかせ」である。それでは世界の医療倫理観ではどうであろうか。
戦後の世界の医療倫理観をリードしてきたのは世界医師会であろう。その基礎にあるのは、ナチス政権下のホロコースト(組織的大量虐殺)において多くの医師が人権侵害を犯したことに対する反省である。第一にしたことは、医療倫理の”いの一番”をそれまでの「患者を害するな」から「患者の人権擁護」へと変えたことである。それを宣言したのがヘルシンキ宣言などである。第二に、「個人の努力まかせ」では人権侵害を防げなかった反省から医療倫理の遵守は「個人の努力だけでなく、システムで補完しよう」としたのである。それを宣言したのが「Professional autonomy and self-regulation」に関するマドリッド宣言などである。医療安全では主に人とモノ(医療機器など)のシステム、医療倫理では人と人のシステムという違いはあるが考え方は同じである。

マドリッド宣言の内容を要約すると以下のようになる。
(1):患者への人権侵害は、医師から起こる場合と医師以外(たとえば「時の権力」、経済的圧力、暴力的圧力など)から起こる場合とに分けられる。
(2):医師から患者への人権侵害に対して「個人の努力だけでなく、システムで補完」して擁護するためには、医師集団内部に「医師間相互評価(peer review)」のシステムを作ること、これがself-regulation(自浄機能)の意味である。
(3):医師以外から患者への人権侵害に対して「個人の努力だけでなく、システムで補完」して擁護するためには、医師集団として対応することである。医師集団がたとえば「時の権力」に依存しておれば「時の権力」に対応できない。対応できるためには医師集団が人権侵害を起こしているものから自律している必要がある。何ものからも自律(autonomy)していることを宣言(profess)すること、これがprofessional autonomy(適当な和訳はない)の意味である。
(4):この考えを各国の医師会(医師集団)が受け入れるように勧めているのがマドリッド宣言である。

Autonomyとself-regulationとはコインの裏表のようなものであり、概念として分けることはできない。しかし現実のシステムにすると上述のように分かれるということである。一対のシステムであり、どちらか片方だけ実行するということは成立しない。
欧米諸国では世界医師会の推奨を受け入れて「Professional autonomy and self-regulation」のシステムを作っているのである。アメリカでこのような医療倫理観を背景に新しい医療安全の『基本的考え方』(上述のIOMリポート)が出てきたのであり、この考えが欧米では文化として受け入れられやすいことは容易に理解できるのである。
日本医師会の医療倫理観では医療倫理の遵守は「個人の努力まかせ」である。アメリカから入ってきた新しい医療安全の『基本的考え方』は「個人の努力だけでなく、システムで補完」することの重要性を説いている。この新しい考え方を日本で広め、さらに「日本の文化」とするためには日本医師会の医療倫理観が障害となるのである。時代遅れの日本医師会の医療倫理観を、マドリッド宣言に示された新しい医療倫理観に変えなければならない。
(脱稿、2010.6.12.)

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