最新記事一覧

Vol.050 福島県南相馬市における東日本大震災後10年間:社会活動編

医療ガバナンス学会 (2021年3月11日 06:00)


■ 関連タグ

南相馬市立総合病院附属小高診療所・所長
小鷹昌明

2021年3月11日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

前回は、南相馬市立総合病院を拠点とする自分の診療実態についてお話ししました。
被災地において、私が他の支援医師とちょっと違うのは、多くの社会活動やボランティアをさせてもらっているということです。“医師”という肩書きをいい意味で利用し、地域に溶け込んでいく工夫をしてきたということです。
■医療者だからできる社会活動

これまでに手がけた事業を列挙すると、『男の木工』教室、『男の料理』教室、『エッセイ(を書く効用)講座』、『みんなでハイキング』、マラソンチームを結成しての『復興祈念駅伝』の開催、乗馬を習って『相馬野馬追』への出陣、『認知症を考える会』の発足メンバー、『南相馬市物産振興会』会長、臨時災害放送局『ひばりエフエム』のパーソナリティーなどなどです。
一つ一つを紹介しているとキリがありませんが、基本的なコンセプトとしては、いずれも孤立を防止するためと、新たなコミュニティ作りの協力とです(でした)――役割を終えたことで中止した活動もあります。

こうした被災地での社会活動として大切なのは、月並みではありますが、“信頼”と“実行力”です。そういう意味で医師という肩書きは、信頼に対して若干のアドバンテージを有しています。僭越ながら、「いつもがんばっているお医者さんに協力しないとね」と言ってくれますし、駅伝の開催においても、「お医者さんが一緒に走ってくれるなら救護班は要らないですね」と最初から安心をいただけたりします――そのぶん、裏切ったときの恨まれ方は大きいのですが・・・・・・。

ただ、活動を繰り返していくうちに、もっともっと大切なことに気がつきました。それは、「自らが本気で楽しむ」ということです――西野亮廣さんが、「“PDCA”ではなく、うちは『無茶ぶりに死ぬ気で応える』、つまり“MSK”でやってます」と言った言葉を応用して、これを“MHT”と略します。
それは野馬追の出陣で体得したことです。サムライの格好をして、馬にまたがって戦国絵巻さながらの馬事イベントに参加できれば格好いいだろうという、言ってみれば私欲ではじめた乗馬でしたが、指導を受ける回数を重ねるごとに、自分のためではなく、協力してくれる地元住民の期待になんとしても応えたいという気持ちが芽生えてきました。
いつの間にか自分が応援されていたのです。「この地の文化に魅了され、夢中で取り組んでくれる移住者がいる」、このことが住民のプライドを呼び起こし、勇気づけるのだと気がつきました。
■継続できる社会活動とは?

先に挙げた社会活動のなかで、継続している主な事業は、『男の木工』、『エッセイ講座』、『復興祈念駅伝』、『相馬野馬追』、『認知症を考える会』です。

継続していることを知った久しぶりの知人から、「まだ、続けているの!?」というようなことをよく言われ、驚かれます。
10年を迎え、NPO団体が解散したり、ボランティアが撤退したりするなかで、「長く継続する理由は何なのか? そして、そのコツはどういうところにあるのか?」というようなことも、同時に尋ねられます。
一言で言えば、「そこにまだニーズがあるから」ということになります。ただ、その成り立ちは事業によって異なります。

参加者、あるいはメンバー(構成員)があまり変わらないのは、『男の木工』や『相馬野馬追』で、新陳代謝を繰り返しているのが、『エッセイ講座』や『駅伝』です。
つまり、固定しているなかに価値を見出し、自分の居場所をはっきりさせ、気心知れた仲間といつまでも楽しく過ごしたいという考えの構成メンバーで成り立っているのが、前者です。
『男の木工』では、自分の欲しいものを自作する参加者もいますが、基本的には、復興のお役立て木製品を作っています。公共施設の運営者から発注を受けることが多く、これまでに、公園にベンチ、学校に本棚、役所にテーブルなど100点以上を作らせてもらいました。
地道な物作りというのは、周囲の変化が少ない方がいいのでしょう。入れ替わり立ち替わり人が変わったりすると集中できなくなるからです。

一方、後者の『エッセイ講座』は、ずっと通い続けている参加者もいますが、どんどん変わっていきます。書かれた文章を私が添削して、当人にフィードバックします。同時に、書きたいと思ったきっかけや背景、書くことによって自分の気持ちがどう変化したかなどを語ってもらいます。
これまでに、「震災を経験して」や「癒しの家庭菜園」というタイトルのエッセイや、「尾瀬よ、もう一度」などの旅行記、それから手紙や礼状など、書き物であればすべて受け付けています。ときどき“書き方”のノウハウを説くことで、文章に磨きをかけてもらいます。
新しいメンバーが入ってくれば、そこで新しい手記に触れることができて、その人の考えもうかがい知ることができます。知らない相手の胸の内を聞かせてもらうことは、けっこう楽しい行為です。こういう活動は、メンバーチェンジが繰り返された方がマンネリ化が防止され、周囲の人にとっても刺激になります。

当たり前のことかもしれませんが、長期運営を実践することは、参加者の居場所作りを考えることと同一です。居心地の良さをキープするには、事業によって活動の内容や目的、メンバーの考え方が異なるということを頭に入れてマネジメントすることです。
■医師が社会活動をする意義

ここで私は、本職とはおよそ関係ない活動を継続しています。「白衣を着ていなければ医者に見えない」と、よく言われます。
医師が社会活動をする意義として大切なのは、「医者がこんなことするんだ」というギャップを感じてもらうことです。
『認知症を考える会』を発足させて、シンポジウムを行ったり、配布物にコラムを載せたりすることは、医療者にしかできない活動です。医療に関するエッセイを書くことは私の副業でもありますから、そうした活動も大切にしています。しかし、野馬追に出陣して荒っぽい言葉(サムライ用語)を使ったり、木工教室を運営したり,ランニングチームを作って駅伝を主催したりする医療者はいません。

野馬追では厩舎や乗馬クラブを運営するオーナーが、木工教室では全建総連の大工職人が、ランニングではジョギングを日課にしているサブ4たちが、私に言います、「センセー、ぜんぜんダメだなぁ」と。
当たり前と言えば当たり前ですが、私には、そうしたスキルはまったくありませんでした。だから、その道のスペシャリストから見れば、私の社会活動なんてド素人も同然、箸にも棒にも引っかからないレベルです。
が、しかし、一所懸命さが伝われば協力してくれます。「仕方ねえなぁ」と言って応援してくれます。でもそれは、もしかすると「社会的地位が高いと思って偉そうにしている医者の上に立っている」という自尊心をくすぐるからかもしれません。いい意味で自分がへりくだることで、相手のプライドを刺激する効果が医師には――医師だけあるわけではけっしてないけれど――、あるかもしれません。

医師を離れれば、いや、医師であったとしても、もちろん私はただの人間です。一個人として、そんな地元の連中たちと協力しながら、これからも楽しく暮らしていきたいと思っています。

 

MRIC Global

お知らせ

 配信をご希望の方はこちらのフォームに必要事項を記入して登録してください。

 MRICでは配信するメールマガジンへの医療に関わる記事の投稿を歓迎しております。
 投稿をご検討の方は「お問い合わせ」よりご連絡をお願いします。

関連タグ

月別アーカイブ

▲ページトップへ