医療ガバナンス学会 (2010年7月1日 07:00)
信用無くして成り立たない社会。信頼無くして成り立たない医療。医者と患者は敵対するような関係だろうか。医療は双方の共同事業だという。双方に上下の差は無く対等だといえないだろうか。目線を同じくし同じ目標に向かってお互いに頑張る戦友?
To err is human,doctor.という。
失礼で申し訳ないが、ここでは一旦、医者殊に最近の勤務医はタダの人間ということにしようではないか。患者は無論はじめからタダの病気人間。タダの人間同士があらかじめ合意してはじめた手術が失敗、死亡植物人間という極限状態で期待はずれのためいがみ合いをはじめる。
前以て何とかできないのだろうか。人間医者は過ちを犯すものという。完全完璧絶対を求めてはいけない。プロとか特殊専門家と思うからあてがはずれる。病院に行くときは命がけと考えよう。最悪は死もあり得ると賢明にも達観できればいがみ合いもない。高い医療費を払ったとか、だから死はあり得ないということを考えてはいけない。期待権という権利主張ではなくその代わりに人は死すべきもの、命あるものはいつかなくなるものという諦観を受容しよう。だから言ってよいとは思わないが、一人の献体は後に100人を救うことにもなり得るのである。1段も2段も上位の法然法念に開眼しよう。殊に60過ぎてからは。
医者も予期せぬとは言え、自ら招いたとはいえたまたま窮地に立たされた災難者かもしれない、患者も予期せぬたまたま窮地に陥った災難者あるいは予期せる自己招致者。宗教と哲学と倫理に従って諦観のもとに極楽浄土を信じて受容れてゆこう。宥恕し合う仲なのではないか。医者を犯人として追及し報復して何になるというのか。医者を犯人にしなければ満足できないのか。どうして医者を許せないのか。どうして報復したいと思うのか。どうして命をカネに換えたがるのか。生命保険があるのに。
医療行為のなかで起こる事故。死亡植物人間などの重大事故。なおるような病ではなかった、当然の死ではないのか。
医者患者双方にとって晴天の霹靂。だからこそ最低限ではあるがセイフテイーネットをつくろうではないかと提案させていただいている。
日医が40年にもわたって創らずに放置していた理由は何なのか。厚労省が率先して創るべきなのに今もって創らずにいるのは何故か。
その結果、事故多発、訴訟多発、信頼関係の崩壊。医療の崩壊が進んでいる。何故つくらなかったのか、つくれなかったのか行政に公開質問状を出状したい。
所詮、困った時の一時しのぎでしかないかもしれないが、困った時に少しでも双方に役立つものであるなら公的資金も含めてお金を出し合って創ろうではないか。困った事態に出くわした時の医者と患者の双方に役立つ「補償制度」。当初は不完全でも徐々に改良改善してゆけばよい。立法してスタートしようではないか。
無論、無いとは思うが、これが事故多発を助長するようでは困る。従ってこれと同時に、事故防止事故抑止については相応の刑事・行政罰なのか、システムチェックなのか、しっかりと議論し用意しなければならないであろう。
万機公論に決すべし。参院選のさなかではあるが、はやく俎上に上げたいのだが。
(著者略歴)
一橋大学法学部卒(指導教官好美清光教授・堀部政男教授)、某保険会社勤務、聖マリアンナ医科大学病院勤務、如水会医療薬業研究会会員、「医療事故無過失補償制度をつくる会」事務局長兼推進員
(著者論稿)
「公害の私法的救済」「海外輸出製品に係る製造物責任の一考察」「被害者救済制度の課題」「薬品食品とPL」「医師賠償責任と保険の今後の在り方について」「賠償と保険」