医療ガバナンス学会 (2010年7月4日 07:00)
村重直子の眼2 周産期医療の崩壊をくい止める会の募金活動
対談 村重直子・松村有子
構成 ロハスメディア 川口恭
2010年7月4日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
周産期医療の崩壊をくい止める会 代表 佐藤章先生 追悼
当会代表の佐藤章先生が、お亡くなりになりました。
福島県立大野病院事件で当会を立ち上げた頃、県の要請により教え子を「一人医長」として赴任させざるをえなかったご心痛と、その後の逮捕起訴のご心労で、かなりおやせになっておられました。
署名活動や陳情活動を通じて、医療現場において全力の治療を施しても助けられない状況があること、医師個人の刑事責任ではなく現在の地方僻地医療が抱える医療政策、医療マネジメントの問題であること、真の再発防止策の必要性を訴えられました。
佐藤教授の心からの呼びかけが、大野病院事件に対する世間の認識を変えるきっかけとなったと思います。
その後の公判には、福島地方裁判所に欠かさず足を運び、裁判内容を専門家として検証され公開されました。
無罪判決後に、会の活動をそれで終わらせてはご遺族も救われない、と、妊産婦死亡のご家族を支援する募金活動を立ち上げられました。
http://medg.jp/mt/2008/10/-vol-138-1.html
産科医の佐藤章先生の、妊婦さんと赤ちゃんに対するやさしい思いに、心うたれました。そして医療者と妊婦側ご遺族との信頼関係をつくる、地道な支援活動を続けてこられました。
ご病気(がん)がわかったのは、それからほどなくだったと記憶しております。
福島県立医大の退官講義では、「裁判やらを離れて、お産の神秘について思う存分語りたい、講義内容を考えるのがすごく楽しい」と笑顔でおっしゃっておられました。
医療崩壊が叫ばれましたが、佐藤章先生は、まさに医療崩壊をくい止めるために渾身の力をふるわれました。
ご冥福をお祈りいたします。
佐藤章先生のご遺志をひきつぎ、心をひきしめ、今後も周産期医療の崩壊をくい止める会の活動を続けて参ります。
周産期医療の崩壊をくい止める会 一同
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元厚生労働省大臣政策室政策官の村重直子氏が在野のキラリと光る人たちと対談していく、そんな企画に登場する2人目は、『周産期医療の崩壊をくい止める会』の事務局役として、福島県立大野病院事件の被告医師支援と、それに続く出産時死亡妊産婦の遺族支援という他に類を見ないユニークな活動に関して、実務を担当し続けている松村有子・東大医科研特任助教だ。(担当・構成 川口恭)
村重
「私は日頃から、日本には医療に関する無過失補償とか免責の制度がないに等しい、現状ではほとんどのケースは補償の対象にならないので、そういう所をぜひ国民に理解いただいて議論していきたいな、もっと広く補償する制度ができるといいなと思っています。副作用はもちろん少ないほうがいい、減らせるに越したことはないんですが、しかしゼロになることはあり得ないわけですから、一方で減らす努力をしながら、どうしても出てしまう副作用や残ってしまう後遺症に対して、そういう人たちを全部カバーできるような無過失補償とか免責制度を作れるといいなと思うんです。今は、国の制度ができてないから、先生方が自ら、妊産婦死亡について募金をして補償するという活動を、やってらっしゃると伺ったんですけれども、その経緯を教えていただけないでしょうか」
松村
「『周産期医療の崩壊をくい止める会』という会で、妊産婦死亡された方への募金活動を08年9月に始めました。募金を始めてから1年半、最初の方にお見舞金をお渡してしてから1年ちょっと経ったところです。『周産期医療の崩壊をくい止める会』は、大野病院事件の署名活動で始まりましたが、医師の無罪判決で終わらず医療事故後の支援活動を手作りでやっていこうと、会の代表の佐藤章先生(前福島県立医大産婦人科教授)が提唱して始まりました。日本の周産期医療が進歩してきたこともあって、妊産婦死亡は非常に少ないんですね。数は少ないんですが、高齢化出産とか合併症妊娠とかも増えていますのでゼロではありません。まあ、お産と言えば昔は命がけだったようなことですから、今でも年間約60名ほどの妊産婦が周産期に亡くなるんですね」
村重
「皆さん、ほとんど考えてませんけれど、実際には今でも年に60人ぐらい亡くなっている」
松村
「実際はですね。数は少ないんですが、その60人のご家族にとっては、出産という喜ばしい場面で、お母さんの死亡という予想しないことに直面するわけですね。ご主人は、奥さんを亡くしたという悲しみも十分に癒えないまま、生まれた赤ちゃんの世話をしなければならないという、非常につらい状況に置かれるわけです。ところが公的に救済する制度がないんです。ご遺族の方がどうすればいいのかというと、訴訟するしかない状況に追い込まれてしまうわけですね。そうやって訴訟に行かざるを得ない状況になる前に、まずご遺族の支えになりたいということなんです。
日本の周産期医療は非常に安全な状況にはなってきているんですけれど、死亡をゼロにすることはできません。そして、周産期医療の場合は瞬時の判断が求められますので、後からすれば、こうすれば良かった、ああすれば良かったというのが出てくるわけです。その時その時、限られた人手の中でベストと思ってやっていても、後で結果が悪かったということになりますと、ご遺族の方としては、そこのああすればの部分を責めたいのは当然です。どうして救えなかったんだ、ということになります。医療側も悲しい結果から、ああすれば良かったこうすれば良かったと反省する面もあるわけですけれど、いちいち裁判という、お互いに責任を糾弾し合うような形でやってしまうと、産婦人科医になりたいお医者さんがどんどんいなくなってしまうということも起きます」
村重
「瞬時の判断でベストと思ってやったわけですからね。反省はもちろんあるにしても。医療者だって精一杯やっているわけですから」
松村
「訴訟にいけば、そうやって非を責め合う、裁判に勝つためにあらゆる非を探して糾弾するような状況になってしまうんです。それは不幸の連鎖だと思うんですね。そう思いますので、そういう対立関係にならないと救済されないという所を何とか打開したいと。両者の信頼関係を切らないことが一番。そしてつらい中で手を差し伸べる所が今はないわけですから、死亡された方のご家族は非常につらい思いとご苦労をされているし、それで募金活動を始めたわけですね。ご遺族にまとまったお金、今は1件100万円ですけど、を会に集まった意思としてお渡しすることで、それをきっかけに信頼関係を続けられるようにと活動を始めました。今までに520万円ほど集まって、2家族にお見舞金をお渡ししています」
村重
「純粋にボランティアの皆さんの、気持ちが詰まったお金ですね。お見舞金をお送りする対象者はどうやって探すんですか」
松村
「ご遺族や周囲の方から、あるいは関与した産婦人科医から会に連絡していただくようにしています。書類に両方のサインをいただいています。これによって、少なくとも我々が関与する段階では、医師とご遺族との関係が断ち切られていないことになります。医師会にも見舞金を出すような制度があると思いますが、その上限額は我々の活動と大差ないように聞いています。医療側に過失がなければ申請して、郡市医師会の保険から払われる形です 」
村重
「日本の今までの法制度の考えは、無過失と言いながら、過失の有無を判定してから払うという形なんですよね」
松村
「過失の有無を判定して、過失ありと判定されなかったものという言い方になると思います。積極的に無過失の認定は難しいので」
村重
「そうですね、日本の現状は、過失ありと判定したものについては、医賠責保険になったり、後で医療側に請求が行ったりする、裁判の代わりのような発想ですね。過失のある人を決めて、その人に払わせるという発想に縛られています。一方、私たちが考えている、あるいはアメリカのワクチンの無過失補償・免責制度のように、過失の有無を評価せず、患者さんにどういう被害が起きて、どういう後遺症があるから、その生活を支えるために、みんなで払うというのと、実は発想が全然違うんですよね」
松村
「そう。だから遺族の方にとっては、気持ちの面でも凄くずれて納得いかないというか、こんなに苦しんでいるのに、払う根拠が被害の程度じゃなくて過失の程度ですから。医療として過誤があったかどうかで、見舞金になるか、医賠責保険になるかが分かれます。医賠責になれば、金額は大きくなるし、障害の程度も反映される。でも過失がなかった場合の見舞金は、障害の程度も若干は加味するけれど、結局は上限が決まってるし介護費が出るわけでもないです。患者さんからすると、なんで? と思われると思います」
村重
「一時的な被害もありますが、長いこと、医療や介護費用の負担をずっと負っていくケースもあるんですよね」
松村
「向いている方向が違うんですよ」
村重
「そうですね。過失の有無を見ているか、患者さんの被害の程度やその後の生活を見ているか、という違いですね。これまでの法制度の考え方と全く違う新しい概念でやってらっしゃると思うので、そこも理解してもらえるといいなあと思いますね。募金してくださるのは、やはり医師でしょうか」
松村
「募金は、どなたからでも受け付けているんです。今までご寄付いただいたので、やはり一番多いのは、産婦人科の先生方が毎月決まった額を送ってくださったりで支えていただいています。ご自身で出産の時につらい経験をされて、周産期医療って大切だと思いましたということで寄付を続けてくださっているお母さんもいらっしゃいます。実際に身内の方が亡くなったというご遺族の方からもいただいていたりします。そういう皆さんのお気持ちをお伝えして、お見舞金をお渡しすることで、何らかの、ご遺族が、人を信じられるという気持ちを取り戻せるようなきっかけになればいいなあということです」
村重
「本当に皆さんの気持ちがこもったお金なのですね。会の構成メンバーはどういう方々ですか」
松村
「産婦人科医と市民、弁護士も入って、アドバイザー的なADRの専門家もいて、それで事務局は私がやってます」
村重
「ただ単にお金を渡しておしまいではないとか」
松村
「募金活動を始めてから、お渡ししたのがこれまで2例です。詳細は個人情報なのでお話できないんですけど、私たちも経験がありませんですし、ご遺族にも当然経験のないことです。だから本当に今こう試行錯誤しているところなんですけれど、ご遺族が一番言われるのは、幸せである所から突然に突き落とされて、お母さんが亡くなる、非常に不幸な経験をされて、なおかつ怒りとか悲しみとかのぶつけ先がない。で、医療側に訴えても、でも遺族が求めるような答えと、病院側の出す見解とは、そもそも目的が違うので噛み合わない話なんですね。そこで我々のような第三者が入ることで、双方のお話しを聞くことができて、感じていることをお互いに噛み合わせるようなことを今やろうと思っているんですね」
村重
「国ですらできないことをなさっているんだから大変でしょうね。ご遺族とは、どんなふうに連絡を取られてるんでしょうか」
松村
「そんなにしょっちゅうではないですけれど、私個人は、会の一員としてボランティアの立場で月に1回くらい連絡を取ったりしている感じです。会としては、忘れないということ、担当した産科医が忘れないのは当然なんですけれど、会の立場の人間も奥さんが亡くなったことを忘れないということで、命日にお花を贈ったり、お気持ちを思いつつ、聞く立場でいたいなと思っています。産科医の先生にとっても、凄くショックな体験なわけですよね。一生に一度当たるかどうかの頻度ですから、非常にショックなことで、その先生自身も話せない、話す場がないので、そういう所を我々の会の産科医の先生が話を聞いて、次につなげられるようにですね、こういうことを気をつけてやっていこうねとか、病院の中でリスクマネジメントができてないことに、そのことがきっかけで初めて気づいて産科の先生が一生懸命病院に働きかけたりというのを、話を聞いて気持ちの部分で支えたりですとか、そういう活動をこの1年はやってきたかなという感じです」
村重
「忘れないでいるということと、将来に向けて教訓にできる部分があれば、それを生かしていくということですね」
松村
「そうですね。ご遺族の方も、産科の医療によって子供は助けてもらったという部分で感謝の気持ちもあるようなんです。一方で、どうしてお母さんを助けてくれなかったんだという気持ちもあります。ただ、医療の中で、いくら努力しても亡くなることはあるし、人間の力ではゼロにはならないということも理解はされている。でその中で、亡くなって半年は地に足がつかないというんです。佐々木孝子さんも声をかけてくださったんですけれど、亡くなって1年経つまでは本当に何も手に付かない、自分で何を話したらいいのかも分からない状態なんですよ、と仰います。時が経って、何をしたいかとか、何を大事にしたいかとか、ご遺族に自分の気持ちができてきた時にもサポートを続けたいなと思っております。でもまだ1年ですので、ご遺族の方自身も何をどう話していいかの整理がつかない状態です。その間に産科医とご遺族の縁が切れてしまうと、また遺族が気持ちをどこにも持っていきようがなくなってしまうので、そこは必ずつないでいこうと、で当事者どうしだけだとお互いに遠慮があったり逡巡があると思いますので、我々のような第三者が中に入って信頼をつないでいけるようにしたいと思っています」
村重
「もともとは、この募金活動のために作った会ではないんですよね」
松村
「この会は、そもそもは、福島県立大野病院事件で産科医が逮捕・起訴された時に、被告となった加藤医師を支援するために作られました。代表が、加藤医師の医局の上司だった福島県立医大産婦人科の佐藤章教授でした。裁判自体は08年8月に地裁で無罪判決が出て終わったんですが、佐藤先生は裁判で勝ったから終わりという風にしたくないんだと仰って、ご遺族の方に対しての募金活動も呼びかけられたんですね。どうも、何とか対立関係を修復できないものかと、かなり前から考えていたようです」
村重
「産科医自身が、対立関係を望んではいませんよね。なんとか、寄り添える道を考えておられるのですね」
松村
「私自身は内科医ですが、産科医自身がやはり一番、お母さんと赤ちゃんを守りたいと強く思っていらっしゃるんだなと思います」
村重
「本当はこういうことは、妊産婦も赤ちゃんも、他の病気の方も、ワクチンの副作用も、広くカバーされるような制度が、国の制度としてあるべきなのに、国が動かないから現場の先生がまず動いたということで、素晴らしい実績をお作りだと思います。こうしたノウハウを蓄積して、国民の賛同を得られれば、国全体の制度になっていく、そういうことのきっかけになるといいですね。それは多分、国が今つくっている産科無過失補償制度をそのまま拡大すればいいという話ではありませんね。あれは過失の有無を追及する、裁判の代わりのような制度ですから。そうじゃなくて患者さんの被害を救うため、被害に応じて払う、患者さんの生活を社会的にみんなで支えましょうという概念で、本当に素晴らしいと思います」
松村
「そうですね」
村重
「ところで、本当は世界的に見ると、無過失補償は免責とセットになっているのが多いようですけど、今の産科無過失補償も先生方の活動も、お金を渡すけれど裁判もしていいよ、両方行けるよという話になると、そのお金を弁護士費用にして裁判を起こす可能性があるじゃないかという批判もあるかと思うんですが」
松村
「そりゃ可能性はあります。でも募金のお金を裁判に使わないでとは規定してないです。ただ、お金の趣旨と会の経緯は必ず会ってお話をしているので、大野病院事件から始まりそれで終わりたくないということで主に産科医の先生や、あるいは同じような経験をした方が出してくださったお金ですということ、会としては裁判ではない信頼関係をつくっていきたいということを思ってやっているということを必ずお話するようにしてます。それ以上は特に何に使うなとは制限してないです。ご遺族の方は、裁判を起こすとしても、このお金は充てませんとは仰ってます。保育園の費用にしますとか、何に使ったと訊かれたら生活費に消えたという感じなんですけどねえ、とそういう感じですね。」
村重
「国の無過失補償の場合は、今は免責はないですが、実際は裁判に行っても、受け取った補償金の額は、賠償から減額されるようですね。今のところは、裁判でもらえる金額と無過失でもらえる金額の差が大きいので、元手にして裁判に行くじゃないかという話になるんですけど、もっと補償金の額を増やせば、免責を設けて、裁判をしたい人はすればいいけれど、どっちか一つだよという外国の制度みたいにすることは不可能じゃない。それを社会全体のルール、両方取りはなしよ、その代わり社会全体で支えましょうという概念が共有できれば、できるのかなと。その概念に一番近い活動が先生方の取り組みだと思います」
(この記事は、ロハス・メディカルweb http://lohasmedical.jp に4月7日付で掲載されたものを一部改編したものです)