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Vol. 229 ワクチンはイギリスで始まった(前編)

医療ガバナンス学会 (2010年7月6日 07:00)


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東京大学医学部5年 竹内麻里子
2010年7月6日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


大部分の子宮頸がんの原因は、ヒトパピローマウイルスの感染である。昨年10月、我が国でも予防ワクチンが承認された。それは、イギリスに本社を置くグラクソ・スミスクライン社(GSK)の「サーバリックス」だ。

GSKは、合併や買収を繰り返してできたメガファーマで、2009年度の売り上げは4兆円に上る。GSK社の元になったのは4つの会社だ。中でもワクチンに力を注いでいたのは、2人のアメリカ人薬剤師が1880年にロンドンに設立した、バローズ・ウェルカム社だ。

ウェルカム社は1890~1900年代にかけて多くの医学研究所を設立し、ワクチン研究を主導した。風疹ワクチンや抗ウイルス薬「ゾビラックス」、HIV治療薬「レトロビル」を発売し、1995年に呼吸器疾患に強かったグラクソ社と合併。続いてA型、B型肝炎ワクチンを開発していたスミスクライン・ビーチャム社と合併し、2000年に現在のGSK社となった。1936年に創設者のウェルカム卿は他界したが、遺言により医学研究慈善団体であるウェルカム・トラストがつくられた。

余談だが、ウェルカム・トラストは多くの医学研究を助成している。これまでもその支援によって、マラリア治療薬アーテミシニンの開発、サンガー研究所でのヒトゲノム解読、クラミジア迅速テストの開発などがなされてきた。また、医学や医学研究についての理解を広めるため、ウェルカム卿が収集した医学史に関するコレクションや書物が一般公開されており、一部は2月まで六本木ヒルズ森美術館「医学と芸術展」で展示されていた。

なぜ、イギリスでワクチン開発が盛んに行われるのだろうか。
まずイギリスの歴史とイギリス近代医学の発展を振り返って考察してみたい。

<イギリス産業革命の背景>
現在のイギリスに大きな影響を与えているものの1つは、11世紀ウィリアム1世の治世に確立した封建制度である。彼は多くの国王裁判所を設置したが、既存の裁判所も存続させ、多様な司法制度が共存した。以来、法は作られるものではなく、判例の積み重ねから実証的・帰納的に「発見」されるものと考えられるようになった。その後ルネサンス期には、ベーコンに代表されるイギリス経験論が発展し、様々な分野で経験論的な考え方が浸透していった。

また、13世紀には、従来の貴族集会に騎士や都市市民の代表が加えられ、議会が誕生した。それから長い時間をかけて民主主義が根付き、自由に議論を交わす土壌が育った。
さらに、16世紀にスペインの無敵艦隊を破り、その後も相次ぐ戦争を乗り越えて、インドやカリブ海に植民地を広げていった。1756年に始まった七年戦争にも勝利したイギリスは、北アメリカ大陸・西インド諸島を中心とする広大な帝国を構築する。この帝国を背景に、綿製品・奴隷・綿花をやりとりする三角貿易が行われ、ブリストル等の商業港は多くの人・物・情報が集まって繁栄した。
このように、18世紀後半のイギリスでは実際的な技術の発展に適した環境が揃い、ついに産業革命が起こったのである。

<世界初のワクチン>
イギリスの開業医ジェンナーによって世界初のワクチンが作られたのは、この頃である。彼は酪農地帯であったバークレーで生まれ、ブリストル近郊で開業医の弟子として働いた。この時、乳搾りの女性が「牛痘にかかった者は天然痘にかからない」と言うのを耳にし、その後ロンドンで「実験医学の父」と呼ばれる外科医ハンターに師事した際にも、このことを気にとめていたようだ。ハンターは解剖が得意で、多くの動物実験や解剖を行い、また大量に動物や人間の標本を収集していた。実験や観察を重要視していたハンターのアドバイスを受け、故郷に戻ったジェンナーは、1796年に牛痘接種の実験を行ってみごと天然痘予防に成功したのである。

<イギリスの経済成長と植民地拡大>
その後1803~1815年のナポレオン戦争で勝利したイギリスは、制海権を確立して世界市場を抑え、さらに貿易で発展していく。他国に先んじて急速な経済成長を迎え、1870年代にかけて工業化が進んだ。この間GDPはドイツの2倍の水準を保っており、カナダやオーストラリア、アジア、アフリカにまで植民地を拡大させていた。そして豊富な資金力と交易による莫大な情報量を背景に、イギリスでは臨床に近い実証的な研究が行われるようになった。

<イギリス近代医学の発展>
イギリス近代医学は、1840年代の麻酔の開発に始まる。1845年に笑気麻酔、1846年にエーテル麻酔の公開手術実験がアメリカで行われたのに続き、1847年にイギリスの医師ジェームズ・シンプソンがクロロホルムによる全身麻酔手術を成功させた。1853年に、ビクトリア女王の出産でクロロホルムによる無痛分娩が行われたことがきっかけとなり、麻酔が普及した。華岡青洲が世界初の麻酔手術を行ってから、約50年後のことである。
しかし、当時は不潔なガウンを着て、素手で手術をしていたため、術後死亡率は40%にのぼった。この状況を変えたのは、リスターである。彼は、1870年頃に石炭酸による消毒法を開発し、外科手術による死亡率を激減させた。彼が消毒法を思い付いたのは、1861年にパスツールが生物の自然発生説を否定し、患者が術後に亡くなるのは血液の腐敗のためだと考える人が増えていたからだ。近代英国では、様々な議論を経て、試行錯誤が繰り返されていたことがわかる。

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