医療ガバナンス学会 (2021年5月3日 06:00)
つくば市 坂根Mクリニック
坂根みち子
2021年5月3日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
コロナ禍で日本の医療制度の不備が露呈している。そもそも医療現場は劣悪な4N職場と言われていた。No time, No money, No manpower, No managementである。薄利多売型の医療システムは限界に近づき、医療崩壊が叫ばれていたところをコロナが襲った。そのツケは「救える命を救えない」、「医療関係者の疲弊→現場からの離脱」という形になって現れている。
その根本原因の一つに医師不足がある。
とにかく医師が足りない。厚労省と日本医師会の見解によると、もうすぐ医師は余る、医師は「不足」ではなく「偏在」だそうだが(そして実際に医学部定員を減らすことになっている)、私が医師になった1980年代から医師は余ると言われ続けているが、医師は一向に足りない。結局医師の争奪戦になり、地方の自治体首長からは、「医師をよこせ」の大合唱が起こっている。
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_13634.html
参考資料4 医師確保対策に関する意見書(全国知事会社会保障常任委員会)
参考資料5 医師不足や地域間偏在の根本的な解消に向けた実効性のある施策の実施を求める提言(地域医療を担う医師の確保を目指す知事の会)
その主戦場が専門医制度である。日本の医師育成システムでは、卒業後2年間の初期研修が義務化されて、2004年から医師として働けるまでに最低8年かかるように変更されている。(この時に医局制度が崩壊し、医局からの医師の派遣制度がなくなったために医師の偏在が加速したと言われている)初期研修終了後の研修制度が専門医制度だ。初期研修を終えた医師の95%程度が専門医になるために制度に登録する。https://gemmed.ghc-j.com/?p=38869 その元締めが日本専門医機構である。
(2)新しい専門医制度のために作られた日本専門医機構
この専門医制度、日本の専門医の質を担保するために2018年から開始されたのだが、日本の医療のあり方を根本から変える大改革だったのにもかかわらず、突貫工事で組織された日本専門医機構が全くの準備不足で踏み切ってしまったために、現在も混乱の最中にある。
特に問題なのは、外野の声に負けて「質を担保する制度」が「医師を供給する制度」を兼ねてしまったことである。
この制度の最大のポイントは、循環型プログラム制での研修を基本としたことである。3〜5年の定められた期間に決められた研修プログラムに則って研修する。しかもそのプログラムは「一つの基幹施設のみでの完結型の研修ではなく、一つ以上の連携施設と研修施設群を作り循環型の研修を行うものとする」と決めてしまったのである。世界広しといえども、このような研修方法を採用しているところはない。
機構の言い分はこうだ。
一つの病院だけの研修を行うと、その病院の性質(地域性、医師の専門等)の偏りにより研修に偏りがでる可能性があるので、他の連携病院を必ず作り循環型の研修を行うものである。(専門医制度整備指針第3版4ページ https://jmsb.or.jp/wp-content/uploads/2020/06/jmsb_mg_ver3_20200630.pdf )
(3)循環型プログラム制に隠された「若手医師供給制度」とその弊害
語るに落ちたとはこのことである。専門医になるための良いプログラムを提供しているところなら、単独施設でも良いはずである。現に今までこうやって良い研修医を育ててきたところはたくさんある。日本が当初見本にしたアメリカの専門医制度も90%以上が単独施設での研修である。ところが機構は、単独施設のプログラムは認めず、循環型プログラムの場合は、生命線であるプログラムの内容が決定していない(それも研修先が決まっていないというレベル)場合でさえ認定してきた。もうめちゃくちゃである。
理由は明らかである。要は、「質の担保」より「若手医師の供給」が優先されたのだ。その中身は研修医の奪い合いである。主に大学病院を基幹施設として(=医局制度が息を吹き返したので満足している大学教授も多数いる)、そこと組んだ連携施設にも少しずつ医師が派遣されるような研修医供給システムを作ったのだ。
この弊害は大きい。ライフイベントが多いこの時期、単独施設での研修ならまだやりくりしやすかった。出産場所の確保や保活も転勤がないなら腰を落ち着けて準備できるだろう。だが、循環型プログラム制ではそれができないのだ。ところが制度を作る人たちにはそこが全く分かっていない。
知人の娘さんは医師同士で結婚したが夫とたまにしか会えず、一緒に住むことも子供を持てる見込みもないそうだ。別の医師夫婦は、専門医を取るまで子供は持たないと宣言しているそうである。それはそうだろう。短期間で移動する医療機関で妊娠してしまったら負担が大きい。つわりもひどいかもしれない。研修が続けられるかどうかわからないので研究先に迷惑をかけるかもしれない。出産する場所の確保、保育園の確保も今の日本では極めて困難である。まして医師の勤務時間は長く、夫婦で一緒に住めなければ産後もワンオペ育児が想定される。当然躊躇する。
今から20年近く前に、後輩の循環器内科の研修医(女性)が、妊娠してしまった、と涙ながらに打ち明けてくれた時の不安そうな顔を思い出す。医療界はそもそも働き方改革ができておらず仕事と家庭の両立が難しいところだが、現在進行中の制度では、さらに適齢期の女性が家庭を築いて働くことが困難になってしまった。
どうして医療界は時代を逆行させてしまったのだろう。
(4)専門医機構の理事に女性医師が一人もいない!
何故このような欠陥システムがまかり通っているのか。誰がどのようにして決めているのか、機構の理事を調べてみた。https://jmsb.or.jp/about/
なんと今の理事24名中に女性医師は一人もいないのである。女性のいない民主主義の典型例である。理事の面々、医師になるためには365日24時間働かなければいけない、と思っていた世代だが、この方々は、ご自分の家庭のことは、子育ても家事も誰かやってくれる人がいたから仕事に専念できていた、ということを理解していないのだろう。
機構はいう。女性医師の妊娠出産育児のためにはカリキュラム制(単位制)を整備しております。
ますます天を仰いでしまう。専門医制度に登録する時に妊娠でもしていない限り、最初からカリキュラム制を取る人はいないのは当たり前である。本来なら融通がきかないプログラム制ではなく、プログラムの途中でもライフイベントに合わせて臨機応変にカリキュラム制に変更できる制度にしなければ実際には使えない。年齢的にはほとんどの医師にとって想定して準備しておかなければいけない基本的な制度設計である。大事な点は、これは男性医師にとっても同様で、男性医師が子育てのためにカリキュラム制を利用することも当然想定しなければいけないのである。ところが彼らは、プログラム制が基本、そして妊娠出産育児をする女性のためにそのカリキュラム制を整備する、という議論をしているのだ。さらに、そのカリキュラム制さえ未だ満足な内容のものが整えられていないのだ。想像力の欠如とそれを指摘する人材さえいない多様性の無さ。どだい、こんな大切な制度設計を中高年の男性だけで決めることに無理がある。
(5)「博士より専門医」により研究者は絶滅危惧種へ
さて、この制度に乗ると(繰り返すがほとんどの医師はこの制度に登録する)、医学部入学から11年〜13年、各地を転々としながら医師としての修行を積む人生が決められてしまう。18歳の最短で入学しても29歳〜31歳になっている。当然研究の道を選ぶ医師は激減している。医師供給システムを兼ねた専門医制度を優先させれば、博士より専門医、となる。機構は各所からの突き上げで、慌てて、基礎研究、臨床研究の道を作り始めているが、こちらも問題山積である。臨床研究するには4年も臨床やってからでないとその道に進めないのだ。最短で28歳からしか研究の道に進むことができない。鉄は熱いうちに打たなくていいらしい。大丈夫か日本の研究。しかも自分の行きたい研究室に入れるとも限らない。メンターに出会ってその人のもとで研究したいと希望しても叶うとは限らない。何しろ、臨床研究への道を選んでも偏在しないように40名程度の枠を全国の大学で分け合うのである。もう何をか言わんや。
(6)「専門医の育成に偏在対策」の愚
この制度の罪深いところは、国が偏在対策のために介入できるように医師法まで変えてしまったところである。当初の専門医機構は、全く組織の体をなしていなかったために、開始が1年遅れ不手際が続出した。そして、専門医機構の不手際の隙をついて、厚労大臣が介入できるように医師法が変更され、いつの間にか、専門医育成の指針の中に「医師の偏在対策」を滑り込ませて、そこに国が関与できるようにしてしまったのである。
https://www.mhlw.go.jp/content/10803000/000649716.pdf
「医療法及び医師法の一部を改正する法律(平成 30 年法律第 79 号)」により、医 師法(昭和 23 年法律第 201 号)の一部が改正され、平成 30 年7月 25 日から、医師 の研修を行う団体に対し、医療提供体制の確保の観点からの意見及び研修機会の確保の観点からの要請を厚生労働大臣が行うこととされた(医師法第16条の10,11)。
https://www.mhlw.go.jp/content/000494850.pdf
専門医制度整備指針第3版P9専門医制度の意義と整備指針:専門医制度は医療提供体制に深く関わっており、地域医療の重要性から基本領域 学会専門医の運用においては、地域における医師偏在を解消することに努めるものとする。
国には、医師不足のために各地の首長から医師派遣の陳情が殺到している。政治家にとっても医師を地元に引っ張ってくることは自分の選挙に関わってくる大事件だ。
斯くして、国も機構も専門医制度を利用した若手医師の供給システムを作り上げることになんの疑問も抱かず邁進している。
ようやく日本外科学会が緊急企画「会員に知っていただきたい!新専門医制度の現状報告」で「新専門医制度が、医師偏在解消などの医療政策の道具にされないために、絶え間ない情報収集と他の基盤領域学会との意見交換が必要」と声をあげた。https://www.m3.com/news/iryoishin/901316?dcf_doctor=true&portalId=mailmag&mmp=MD210412&dcf_doctor=true&mc.l=725679652&eml=dec73da708e24678ff79160c0fd3035d
なんと反応の遅いことか。
(7)国の管理下で失われていくものに気づかない医療界
現在、国は着々と「専門医」でなければ処方できない薬や疾患の認定に必要な重要書類を増やしている。薬の処方権は、医師にとっては医師法で定められた基本的な権利の一つである。ところが、しっかり勉強しても、「専門医」のお墨付きがなければ処方できないものが増え始めている(大抵高額な薬だが)。その「専門医」が眉唾であっては困るので、専門医機構を作りそこで質を担保させようとした。今後は各学会が認定する専門医ではなく、日本専門医機構が認定した専門医だけが、薬の処方や重要書類が書けるようになっていくはずである。ところが、蓋を開けてみれば、新しい専門医制度は「医師の偏在対策」がもれなく付いてくるように変質させられていた。つまり各地を転々として医師不足の地域の医療に貢献しなければ、「専門医」になれない(&専門医の更新もできないらしい)。このままいけば、各学会の専門医育成制度は、すべて専門医機構と国に管理される。「軒を貸して母屋を取られる」典型であろう。だが、各学会にその危機感はない。
プロフェッショナル・オートノミーはどこへいったのだ。
専門医制度に医師偏在対策を持ち込んではいけない。
各学会と専門医機構は早急に理事の入れ替えを行なって多様性のあるメンバーで再検討していただきたい。そして若い医師たちの人生を搾取することのない血の通った制度にして欲しい。それが出来ないのなら、各学会はこの制度から離脱すべきである。