医療ガバナンス学会 (2021年5月7日 06:00)
一般社団法人医療法務研究協会
副理事長 平田二朗
2021年5月7日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
2020年1月に新型コロナウイルスが発生してから1年3か月にも及ぶ。この間対応戦略の誤りにより次々と問題が深刻化し、打てる手立てを尽くさず、的確な対応も取れず、現実は抜き差しならない方向へと進んでいる。
特に感染者を発見するための検査体制を、感染症村で症例を牛耳る体制で臨んでいることが問題である。国立や公立の衛生研究所で検査をすることとしていたため、感染症の蔓延に伴う検査など出来るわけがなかった。
ところが、体制を取れずに出来ない状況を「PCR検査は限定的にしか実施しない」と宣言し、いまだに有症者か感染患者の濃厚接触者に限定することが当たり前としている。
エッセンシャルワーカーやクラスターを発生しやすい施設職員や利用者に対して定期的に検査を実施することもなく、変異株の感染者が蔓延しだしてもそれに対する検査すらほとんど出来ない状態である。なぜここまでになったのか。それは感染症村の人たちにその気がないからである。限定的な公費で賄うPCR検査以外は、民間ベースで実施されることとなったが、保険点数や報酬で誘導したら沢山の検査施設や実施機関が名乗りを上げた。検査試薬の供給も限定的な体制にして、勝手にできない体制にしていたがPCR検査に対する世論の反発に恐れをなして、緩和した。それでも感染症村の人たちはPCR検査の拡充を唱える意見に対しては、猛烈な反発をしてくる。アメリカのように「いつでもどこでも誰でも」が自由に無料で検査を受けられる体制にする気はさらさらない。
PCR検査の拡充と緩和を許せば自ら作り出した新型コロナ感染症の症例独占権と予防治療体制への管理統制権を奪われるからである。
かれらの権限維持の一丁目一番地はPCR検査体制の独占管理にある。その結果手に入れた症例データはごく一部の感染症学者の手に握られ、国際的には感染症学会での論文発表がほとんどできない状態にした。筆者は2020年7月に新型コロナ感染症対策の在り方についてMRICに論考を投稿した。医療機関の受ける経営的打撃に対しては、2019年1月から12月の間との診療報酬差額を個別の医療機関ごとに補償をすべきと訴えた。
細かく管理統制された診療報酬制度に基づくレセプト請求により医師別、診療科別、病棟別、医療機関別の詳細な情報を厚労省はデータとして握っている。2020年の診療報酬の総額はおおよそ1割の減収である。しかし保険収入や国庫財源は減収していない。この差額は健康保険組合や国が所有している。新たな財源を設けなくても減収補償が出来たはずなのに、厚生労働省がこれまで作り上げてきた診療報酬制度の組み立てを壊すことに難色を示したのであろうか?それとも検討すらしていないのであろうか?現在公立であろうが私立であろうが医療機関は減収減益を強いられ、しわ寄せは人件費の抑制、賞与のカットでしのぐしかない状態である。
支出の50%以上は人件費である。その他の経費で一番大きいのは薬剤費だが、これはこれまで徹底した薬価差益の圧縮を繰り返し行ってきた厚生労働省の努力の結果、経費削減の対象とはなりえない。あとは清掃や医療事務や給食の委託費と一般管理経費だが、どこにも経費を削減できるような対象は存在しない。長年にわたる医療費削減の圧力で医療機関はほとんど余力のないところまで追いつめられている。支出の半分以上を占める人件費を圧縮するしかなく、実施したら離職者を生み出し、施設基準に見合わないとして減収を余儀なくされる。しかし赤字のままであれば私立の医療機関は倒産するしかない。資金の貸出制度なるものを設けられたが金額が少ないうえに返済原資をどこにも求めようもないのである。
菅首相は新型コロナ感染症対応病床を1床増やせば1950万円給付すると言っているが、施設と人員と技術を完備することなど至難の業であり、仮に対応したとしても維持していける目途などない。なぜなら厚生労働省は誘導しようとするときは財源を用意するが、所期の目的に達すればいつも「はしごを外す」ことを繰り返してきた。
絵にかいたような機能分担を提案し民間病院に応分の対応を求めても、徹底的に効率化をさせられ、無駄と余裕と利益のない体制にさらされてきた私立の病院がそれに対応しろと言われても、経営の存亡をかけて出来るわけがない。差額補償制度の創出は本来それを防ぐ手立ての最善の方法である。安心して民間病院でも機能分担が出来るようにするには、経営補償しかない。それを恣意的にか理解できずかわからないが、穴が開いたらそれをうめる後追いの財政支出に終始し、かつ現場を知らないために「これで出来るはず」と思っているのであろう。その間現場はどんどん壊れている。昨日の国会質問の答弁で山形県の病院が大半赤字になっていると質問されても、菅首相は「そんなはずがない」と答弁していた。
ワクチンや治療薬の開発や確保の問題でも、医系官僚の薬剤部門や保険部門が歴代で作り上げた薬価制度と薬品の開発製造販売制度が、国産の開発促進を阻害してきた。
もともと医薬品製造業界の最大手と組んで内資メーカー優先のいい加減な開発製造承認制度で過ごしていた時期もあったが、あまりに利幅が大きく外資メーカーが排除される事態から、アメリカの対日要求の1番目に挙げられてきたのが「医薬品の開発製造規制緩和」の項目であつた。
「市場原理主義」と「新自由主義経済」の旗頭であった学者がアメリカの代弁者となって政府機関に入り込んできた。またそれ以前には、いい加減で内資メーカー優先の医薬品承認制度のもと、厚労省の医薬局長経験者が社長をつとめる会社が薬害エイズ事件を引き起こし、当時の厚生労働省医薬局製剤課長が裁判で有罪とされた。非加熱製剤が問題であることを認識しながらその商品を製造販売させることを許可してきたことに対し「不作為の作為」という有罪判決であった。
エイズ被害者に対する補償問題では武田薬品が厚労省の窮地を救う役割を果たした。これを契機に厚生労働省はがちがちの審査体制を作り出していった。一方ではアメリカのファイザーを筆頭に外資メーカーの参入障壁をなくせという動きが国家間の問題にまでなった。厚生労働省は医薬品の審査承認機関としてPMDAを設置し、厳しい審査体制を開始した。昔は製薬メーカーのMRが病院に来て医師に治験担当を求めて報酬を払う制度が横行していた。担当MRは病棟に入り込んで治験症例報告書を作成し医師の印鑑をもらって報酬を払っていた。医師たちは労せずして自分たちの飲食費が出ると歓迎していた時代があった。
しかし審査承認が厳格化したらその手法が取れなくなった。治験症例が極端に少なくなった。症例を集める治験会社が次々と出現し、開発治験費用が莫大な費用となった。そして外資メーカーにはより厳しい審査で臨んでいたので、外資メーカーは自国の政府を動かして対日要求の一番目にもってきた。海外で審査承認された医薬品でも日本は日本の独自基準で審査するとして、内資メーカーよりも恣意的に厳しくするので、ついには対日要求の一番目となったのである。厚生労働省やPMDAの必死の抵抗に対して、政権に入り込んだかの市場原理学者や首相はアメリカの対日要求を受け入れる下地作りに「資本の自由化」を導入し内資メーカーの資本を外資の支配下に置くことを可能にした。外資メーカーが垂涎の的とした内資メーカーの50%に及ばんとする利益率、武田薬品などは当時1兆2千億円ぐらいの売り上げで5千億円以上の利益を上げていたから、何としてでも規制緩和を勝ち取りたかった。
当時外資メーカートップであるファイザーの売り上げは武田薬品の10倍であったが厚生労働省やPMDAがあまりに言うことを聞かないので内資メーカーの資本を外資が買い取るという手を考えたのである。それが実現するとさすがの武田薬品や大手メーカーも方向転換せざるを得なかった。それからは内資メーカー優先の審査承認体制が崩壊し、先発権という世界では通用しない内資メーカーと厚生労働省の薬価決定のルールが崩れ始める。特許権の切れた薬品を日本独特の高薬価で守るというやり方が通用しなくなり、内資メーカーも新規開発で莫大な投資をしない限り高い利益を生み出すことが出来ない仕組みに変化していく。
厚生労働省とPMDAはこの新たな仕組みを後発医薬品の積極的推進という方向で、保険財政に占める保険医薬品費の大幅削減に活用し始める。しかし当時の後発医薬品メーカーはただ主要成分を先発品と同様にしているだけで、製造方法たるやいい加減に作っていた。現在でも後発最大手の日医工ですら厚労省の製造基準を守らず製造し、営業停止処分を受けている。過去の時代はいい加減な体制で内資メーカーを優先してきたが、欧米の要求でそれが通じなくなることと薬害事件の経験から医系官僚の保身をはかるために、厳しく審査し莫大な開発費と治験症例不足が慢性化する状況となった。
アメリカの対日要求である医薬品に関する規制緩和の措置要求で、あまりに厳しい審査基準をすり抜けるため、海外の政府機関で承認された薬品については、日本のPMDAの審査基準を経なくてもいいという規定までのまされた。
新型コロナウイルス治療薬で最初に承認されたのはレムデシビルだった。アメリカのギリアド社が開発しFDAで承認された薬品である。日本では新型コロナウイルス感染症の初期には有効であると報道されていたアビガンが富士フィルム社製として、他の用途で承認されていた。海外からも供給の要請があり政府としてもそれに応じていた。
ところが日本国内で新型コロナウイルスの治療薬として承認されたのはレムデシビルのみであった。富士フィルムの製品はいまだに承認されていない。安部首相が2020年5月中には承認供給しますといったにもかかわらず承認していない。海外での承認制度がそのまま適用される外資メーカーと厳格な審査基準が適用される内資メーカーの違いである。ワクチンも同様である。
異常に高い開発費を要求される新規開発薬品だが、治験症例が集まらない構造になっている状況の中、エイズ事件で作られた厳しい審査承認基準をクリアできる体制など国内のメーカーにはない。時間をかけてしかできない治験症例を集め、その後に承認の道が開ける。国産ワクチンの供給は遠い先の話である。加えて海外メーカーは海外の利益が優先される。
OECD加盟国の最低となっているワクチン確保と接種率は元々厚生労働省と政権が作り出した体制の産物である。ましてやファイザーやアストラゼネカとの交渉を担当したのは厚生労働省の官僚である。マスコミからも当事者能力がないと酷評されている。能力もないのに権限と利権は欲しがり国民の命と健康を守ることを第一義に考えない感染症村の集団は医療全体を亡ぼし国を亡ぼす「亡国集団」といえる。技術者集団でしかない医系官僚と感染症学者たちに国の運命をゆだねてしまった政権幹部の面々。能力もないのに国の命運を預けてしまった大罪は政権を担当した政治家にある。そして感染対策での医学医療の対抗手段や対案を持ちえない現在の政権は国民から失望とあきらめを突き付けられる。
第四波は目の前に来ている。ワクチン接種は最低ラインで終始し、変異ウイルスの拡大は続き、医療現場は崩壊している現在、国民の大半が抗体を持つ前にすさまじい感染拡大の事態が到来していないことを願うばかりである。
つづく