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Vol. 247 『ボストン便り』(15回目)「国際社会学会参加記―スウェーデン便り」

医療ガバナンス学会 (2010年7月27日 07:00)


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「国際社会学会参加記―スウェーデン便り」

 

細田 満和子(ほそだ みわこ)
2010年7月27日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


紹介:ボストンはアメリカ東北部マサチューセッツ州の州都で、建国の地としての伝統を感じさせるとともに、革新的でラディカルな側面を持ち合わせている独特な街です。また、近郊も含めると単科・総合大学が100校くらいあり、世界中から研究者が集まってきています。そんなボストンから、保健医療や生活に関する話題をお届けします。
(ブログはこちら→http://blog.goo.ne.jp/miwakohosoda/)

略歴:細田満和子(ほそだ みわこ)
ハーバード公衆衛生大学院リサーチ・フェロー。博士(社会学)。1992年東京大学文学部社会学科卒業。同大学大学院修士・博士課程を経て、02年から05年まで日本学術振興会特別研究員。05年から08年までコロンビア大学メイルマン公衆衛生校アソシエイト。08年9月より現職。主著に『「チーム医療」の理念と現実』(日本看護協会出版会)、『脳卒中を生きる意味―病いと障害の社会学』(青海社)。

「国際社会学会参加記―スウェーデン便り」

動き出す社会学

7月11日から17日まで、スウェーデンのイエテボリというところで第17回国際社会学会大会が開催されました。私もボストンから日本に一時帰国し、子どもたちを実家に預けた後、スウェーデンにやってきました。
今回の大会のテーマは「動き出す社会学(Sociology on the Move)」ということでした。公式発表によると参加者は4981人。一番多かったのはアメリカで512人、続いてドイツの423人、イギリスの397人、スウェーデンの302人、フランスの231人、日本は205人と6番目でした。ちなみに私は所属先がアメリカなので、日本からの参加者としてはカウントされていません。
基調講演では、マニュエル・カステル(スペイン)、アラン・トゥレーヌ(フランス)、ウルリッヒ・ベック(ドイツ)など、邦訳もたくさん出している大物社会学者が次々と話をしていました。ちなみにカステルやトゥレーヌは、社会学の中でも特に社会運動(Social Movement)の、ベックはグローバル化の専門家です。
最も印象に残ったのは、国際社会学会長ミシェル・ウィエビオルカが言った、「これからの社会は、その社会がどのように変化に対応できるかということで評価される」ということでした。このフレーズは、この会議を通じて、学問的にも心情的にも何回も繰り返して思い起こされることになりました。

グローバル社会のローカルな倫理

今回の学会で私は、「文化横断的な視点からの生命倫理」と「ヘルスケア専門職の再構築」というふたつ部会で発表をしました。前者での発表内容は、医療倫理にフォーカスを当てたもので、2004年に発表された「重症障害新生児の治療に関するガイドライン」(別名?話し合いのガイドライン?)を題材に、倫理的意志決定過程の論理と、ガイドラインによる専門職性の強化と放棄という問題をテーマにしました。
この部会では研究の倫理に関する報告も多く、例えば、途上国で公衆衛生学的調査する際の現地の人とのインフォームド・コンセントのあり方や、インフォームド・コンセントの専門的用語がどのくらい被験者に正確に伝わっているのか、などが議論されました。また、ES細胞を使った研究などにおいて、いつから人とみなされるのかといった研究もありました。それぞれの国の研究者が、フランスではガイドライン、イスラム教国ではコーラン、ユダヤ教国では法律(ハラシャ)を紐解きながら分析していました。どこからが人かという認識が、各国の文化、法律、宗教によって異なるのだということを、改めて感じました。
医学研究や公衆衛生学的研究がグローバル化してゆく中で、異なる倫理をもつ国々においてに、どのように私たちは研究倫理を考えていったらといのか、これから沢山の議論が必要になるでしょう。

プライドか、それともファンタジーか

もうひとつの報告は、医療専門職系の部会で、日本におけるナース・プラクティショナーや特定看護師の導入をめぐる動きについて行いました。論点は、医療的な部分が多くなるナース・プラクティショナーや特定看護師の導入においては、第一に、他の医療職との専門職的境界が問題になること、第二にケアリング・プロフェッションとして専門職化を推し進めてきた看護集団にとって、医療への職域拡大はジレンマを起こす可能性があるという内容でした。
同じ部会では、イギリスの男性社会学者によるICUで働く看護師の専門性についての報告がありました。彼は、看護師、医師、その他のコメディカルへのインタビューを基に、専門性の高い看護師は医療的権限(パワー)を拡大しており、それは自他共に認められている状況になっているという分析を紹介しました。
日本の場合、看護師はケアの専門家としてのアイデンティティにプライドを持っていると考えられるので、イギリスの看護師がまるでミニ・ドクターのようになっている状況に看護師はジレンマを感じていないのか、と質問したら、答えはNoでした。彼の印象では、もはやイギリスでは、ICUなどで高度な医療を行っている看護師にとっては、ケアリング・プロフェッションというアイデンティティがあるかどうかということは問題ではなく、上級医療職として医療的権威を持つ職種としての承認のほうが大事だと考えられているということでした。看護師がケアの専門家というのは今や?ファンタジー?なのだそうです。なんとまあ、ナイチンゲールの国からの興味深い観察でした。

グローバル化する「身体のレンタル」

面白い部会はたくさんあったのですが、特に印象的だったのは、「文化横断的な視点から見たジェンダー・教育・リプロダクティブ・チョイス」という部会でのいくつかの報告でした。
特にインドの女性社会学者の報告では、近年、生殖医療技術や代理母を求めてインドに来る欧米人、とくにアメリカ人が急増しているそうです。理由はインドではそうした「医療」にかかるコストが、5分の1から10分の1と、非常に安いからです。例えばIVFは、アメリカでは24,000ドル(約200万円)ですが、インドでは3,000ドル(約25万円)だそうです。そして代理母は、アメリカ国内で依頼すると6万ドル(約500万円)ですが、インドでは1万2千ドル(約100万円)だということです。
そこでは何が起こっているのか?言うまでもありませんが、女性の身体の国際商品化がおこっているのです。彼女はこれを「女性の身体のレンタル」と言い表していました。私としては「国境を越えた女性の臓器のレンタル」とも言えると思いました。
労働力が商品化されることへの批判は、それこそ社会学が誕生するきっかけのひとつでもありましたが、臓器が商品化されること、しかも臓器売買のようなあからさまな形ではなく、隠微された形で行われるリプロダクティブ領域で起こっていることは、さらに問題は深刻だと思います。
この報告は、医療ツーリズムという聞こえの良い言葉の中で、人々の欲望のまま、何の議論もなく、規制もなく押し寄せてきている変化に対して、それでいいのかという、インドの女性からの問いかけでした。変わり行く社会の中で、守るべきものは何かということをしっかり考えたいと改めて思いました。

変化は少しずつ

学会の良いところは、いろいろなところから来る参加者とのネットワークが作れることです。特に報告者同士は、緊張から解き放たれて特に親しくなれます。生命倫理系の部会では、いつからが人とみなされるかを論じた女性二人と、発表が終わったあとに話をして意気投合したので、昼食を共にしました。ひとりはイギリスの大学で博士号をとろうとしているイラン人の女性研究者、もうひとりはイスラエル人の女性研究者でした。
ご存知のようにイランとイスラエルは対立した緊張関係が続いている状態です。しかし、異国の学会で、和気藹々とランチのテーブルを囲むことができ、とても平和でうれしい気持ちがしました。
食事も終わり、それぞれの興味ある部会に行くため分かれる際に、「じゃあ、今度はみんなで共同研究でもしましょうか」と呑気な私が言ったら、「とんでもない!そんなことはできない」、と双方から即座に言われました。いきなり冷水を浴びせかけられた気分というのは、このことだと思いました。
言葉を失った私にイランの彼女は、そんなことをしたら、特に自分は危険な目に遭うというのです。それにはイスラエルの彼女も同意していました。記念の写真を一緒に取ることもできない、と彼女たちは言いいました。イラクの彼女は「革命はきらい。すべてを壊すだけだから。私は少しずつ変ればいいと思っている」と言い、イスラエルの彼女も大きくうなづいていました。
彼女たちの社会は、平和を求める人々の声に応えるために、いつ、どのように変ることができるでしょうか。 2014年の国際社会学会は日本の横浜で開催されます。その時までにはふたつの国の対立が和らぎ、彼女たち二人とも日本に来て、みんなで再会できることを切に願いました。

医療社会学も変わる

最後に、医療社会学の将来を考える、という部会についてご紹介したいと思います。これまた大物医療社会学者が何人も登壇する部会でしたが、全体の趣旨は次のようなことでした。この複雑で多様な医療・保健・健康の世界を理解しようと思ったら、もはや医療社会学の枠内では限界がある。そこで周辺領域である健康科学や社会疫学などへの越境と協働は必須の状況になっている。これは医療社会学の危機であると共に、発展のチャンスである。
実は私も、博士課程を出るまでずっと社会学の講座に所属していましたが、その後は社会学に所属したことはありませんで、いわゆる学際的(interdisciplinary)な学部に所属しています。コロンビア大学では社会医学研究学部(Department of Sociomedical Sciences)、ハーバード大学では国際保健人口学部(Department of Global Health and Population)、そしてこの9月からは社会健康人間開発学部(Department of Social, Human Development and Health)というところに所属します。ちなみに、7月からは東京大学の高齢社会総合研究機構(Institute of Gerontology)にも客員で所属しています。
こうした道をたどっているのは、私だけではありません。この部会に参加していた、特に若手研究者の所属を見ると、社会学部でなく医療系研究所や健康科学系、公衆衛生系という人が何人もいました。
ただし学際的な領域出身の研究者は、研究の足場がもろいという批判もよく聞きます。たしかに、学際は、さまざまな専門分野に精通した人が集まるからこそ重要なのであって、学際を専門とすることは、実は核となる学問的専門性がないということになってしまうので、発展は難しいと評価されるのです。ですから、学問的専門性を身につけた上で、学際の領域に飛び出してゆく、というキャリア形成過程が必要なのだと思います。
私の場合は、社会学研究者というアイデンティティを大切にして、「公共性」「市民社会と国家」といったことについて問い続けつつ、変り行く現実世界のさまざまな現象―主に医療福祉に関わる出来事―に首を突っ込んでいきたいと思います。

追加:スウェーデン雑感

国際社会学会は4年おきにしか開かれないので、会期が長く、私は結局10日ほどイエテボリに滞在しました。その間の町の印象は、清潔感があって、道路や交通機関が整備され、人がそれほど多くなく、ゆったり広々としている、というものでした。
消費税はうわさどおりに高く、食料品は12パーセントで、それ以外のレストランでの食事、服、文具、美術館の入場料などは25パーセントでした。ただし空港から町までのバスは6パーセントだったので、交通機関は少し状況が違うのかもしれません。
ちなみに消費税の金額はレシートに書いてありますが、店頭での料金表示は消費税も含めた価格が書いてあります。それでも全体としては、日本の物価と比べてそんなに高いという気はしませんでした。スーパーマーケットで、りんごが1個50円足らずというくらいでした。
この高い税金が、「北欧の福祉」を支えているのでしょうけれど、今回は朝から晩まで――夜11時くらいまで明るく、夜10時まで部会があるので、文字通り晩まで――学会場に詰めていたので、残念ながら有名な「北欧の福祉」を見る機会はありませんでした。またいつか機会があったら行ってみたいと思います。

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