医療ガバナンス学会 (2010年7月28日 07:00)
最後まで種牛を残すべく、今までにFMDに関する記事を書いてきましたが(記事に飛ぶ)、殆どの牛は回復し、肉を食べても問題ない、人には罹らない病気に対して何故、どうして殺処分に固執するのか、そして、10年前に様々な研究や意見がなされてきたこの問題に関して、何の議論も起こらないのか、とても不思議に思います。
オランダ政府は、6月28日にFMD流行時の殺処分は今後一切行わない事を明言し、その代わりに緊急のワクチン接種を提案しています。
http://www.warmwell.com/euwpmay112010.html
ワクチンに関してもその有効性は未だ確立されていません。しかし、殺して埋める、という現場の労力と、それに伴う経済的被害、畜産農家の精神的苦痛等を考えると、ワクチンというのは大きな選択肢であるといえます。
殺処分が行われるようになったのは1940年代に入ってからです。それまでは自然に治るまで放置されてきました。何故殺処分が行われるようになったのかはっきりしたことは分かりませんが、その有効性については議論があります
http://kimuramoriyo.blogspot.com/2010/05/vol2_26.html
ワクチンや殺処分など、何かの政策が有効である(例えば、H1N1豚インフルエンザ騒動における水際対策)ことを証明するには、その政策を行ったときと、行わなかった場合を同時に進行させて、比較する必要があります。比較するための物差しは、死亡率であったり、病気の起こった数(対一定数)であったりという違いはありますが、必ず、比較する対象が必要です。
私たちは日常生活の中で、様々な比較を言葉にします。例えば、「私は太っている」と言ったとき、標準体重とか、ある特定の人に比べて太っているのか、という比較するための対象が必要です。それが無ければ、「私は太っている」というのは客観的な評価ではなく、「太っていると自分で思う」という主観に基づいた判断となります。これは科学的ではありません。
公衆衛生(public health)とは、国家国民に関する健康問題を考える概念です。その証拠作りをするのが疫学(epidemiology)という学問です。例として挙げた、水際対策は有効であるのかどうか、FMDにおける殺処分は有効かどうか、といった問題も疫学的に解決するべき問題です。
欧米では、公衆衛生大学院があり、疫学部だけでなく、政策学部や、国際保健、基礎研究など、公衆衛生に関わる問題について包括的に研究されます。そこでのデータを基に国は政策を決定するわけですから、公衆衛生大学院は政治的にも大きな力を持ちます。研究する人の職種は多種多様です。医師、歯科医師、獣医師、看護師、行政関係者、軍関係者、法学専門家など、多岐にわたります。
日本には欧米並みのレベルを持った公衆衛生大学院がないというのが実情です。公衆衛生と名がついているのは公衆衛生学部ですが、その多くは医学部の一角にあり、細々と動物実験を行っています。しかし、本来は、人を使った大がかりな研究(疫学研究)をしない限り、public healthに帰するデータを得ることは出来ません。
豚インフルエンザにしてもFMDにしても、「この方法は効果があると思う」という主観的な判断に基づいて政策決定がなされていると言えるでしょう。なぜそうなるのかと言えば、政府に根拠を示すシンクタンク、すなわち公衆衛生専門家集団が不在だということが大きな理由だと思います。
科学的根拠に基づかない政策決定は、右から左へとぶれます。当初「水際対策で新型インフルエンザを日本には入れない!」とさけんでいたのですから、水際対策の効果は「国内に入れない」ことに在ったはずです。ところがいつの間にか、「水際対策は国内流行を遅らせる効果があった」と何の根拠も無しに論調を変えることからもわかります。
このような思いつきや、思い込みで政策決定がされた場合、もっとも困るのは国民です。今回のFMD流行においても、現在だけでなく将来的に大きな損失を残すのは紛れもない事実です。
専門家がいないのであれば、海外から呼び至急議論をすることが必要です。感染症は今後もやってきます。感染症から国家国民を守るためには、感情論でも推論でもなく、科学的根拠に基づく政策決定であることを、政府も国民も気がつくことが必要でしょう。FMDはウイルスが自分から絶滅しない限り、根絶は無理な疾患です。そうなれば、いずれまた流行はやってきます。その時にどのような対策をとるのか、今回を教訓とした議論が早急に求められるところです。