医療ガバナンス学会 (2021年11月17日 06:00)
伊沢二郎
2021年11月17日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
経験や知見を積めば積む程に物事は良くなるのが普通だが、政府及び新型コロナウィルス感染症対策分科会とで纏められたこの度のコロナ六波対策は、だんだん良くなっている様には全く思えない。又もいつか来た道を繰り返すのだろうか。
この度発表された方針は五波で医療崩壊を起こした反省からか、これ迄の感染者数に重点を置くことから、医療提供体制に着目することに改めるようだ。このことを正しく、医療崩壊の最中に医療提供体制に背を向け続けた公的病院グループのジェイコー・尾身理事長が説明するからか、耳が拒絶反応を起こし理解しようとする気にさえならない。(又も開いた口が塞がらない、顎関節症だろうか・・)
仮定のことだが、これが自分のことでこんな役割が廻ってきたとしたら即座に身を隠す穴を探す。恥ずかしくて、とてもじゃないが人前で医療逼迫を起こさない為になどと云々出来る神経は持ち合わせていない。それにしても恥じないと云うことはすごいメンタルだ、何でも言い何でも出来てしまう。
ところでこの御仁、判断力は大丈夫だろうか。自ら置かれた立場の状況判断が出来ているのだろうか。今後もコロナ対策の指揮を執るようだが先行きが甚だ心配でならない。
“過ちては改むるに憚ること勿れ”ではあるけれど、何故医療崩壊を引き起こしたのか、感染抑制対策で何を間違えたのか(間違えたのか、不作為かは分からぬが)。この分析無くして六波対策が出来るのか、先に進めると言うのか。
分析が無いから当然ながら、具体策も具体的数値目標も乏しいお題目の羅列にしか見えない。
某保健所長さんの11月9日本メルマガ投稿文では、“責任逃れの数合わせ”と断じている。
感染症ムラはコロナ対策の失敗と医療崩壊を起こした分析なり総括は、即自分達のミスが明らかになると考えてるのだろうが、いくら逃げ廻ってもコロナ対策失敗の法律上の責任はどう在れ国民への責任を拭い去ることは出来ない。
取るに足らない感染症ムラの利益の為に一万八千人もの犠牲者を生んでいる人災コロナ禍。
検査・診断・治療が即成されていれば、日本の医療を以てすれば多くが救われた命だ。病床数の問題だけではない、その障害になったのはなんだ。
この度の方針は六波に向け、さも医療体制を慮ったと言いたげだが、そんな事は当然過ぎて何の感慨もわかない。多くの犠牲者の下にやっとその考えに至った、と云うだけのことだ。
上先生ご指摘の通り、医系技官は一波当初から公衆衛生と医療をごっちゃにし、海外の論文なり感染抑制対策を参考にしなかった、その能力にも欠けるようだ。
これと一蓮托生の感染症ムラ専門家の力不足も明らかだ。
その連中が作った六波対策は、病床逼迫度合いをゼロから4の5段階にレベル付けし対応を変えるらしい。
ではその状況判断を誰がどの様にやるのか良く分からない、取って付けたような話だ。
説明を聞く限りでは各レベルの逼迫度合いが押し迫ると次のレベルに移行したと見るようだ。
このようにしてレベル3迄行くと緊急事態宣言を必要とする、としている。最悪のレベル4迄行くと緊急事態宣言発出となるようだ。
これってステージとレベルの言い方の違いは有るが、後手々のいつか来た道ではないのか、結果は医療崩壊だった。
この発想は言い換えれば医療現場の逼迫度合いを見てから対策する、に等しい。
医療提供体制を重要視するのは当然過ぎて今殊更言うことはない、一波以来あったり前のことだ。
この度の方針は緊急事態宣言を必要とするレベル3の判断を医療現場の逼迫度合いで推し量ろうとするだけではないのか。逼迫する前にそうならないようにやることをやったらどうだ。
申し訳程度に感染者数に触れたが、感染症対策を実行するのに流行の実態を把握しないで出来るのか。
医療現場の逼迫はそのかなり前に、そうなる感染流行の実態が存在する。
その時点の医療逼迫度合いを重要視してなんになる、この発想では対策が後手に廻り、六度目の失敗を向かえることになる。
ワクチンと治療薬の登場でコロナの流行は変わると安易な判断をしているのだろうが、南米で流行したミュー株はワクチンに強い抵抗性を持つと言う。治療薬は有り難いが感染の後遺症迄は解決しないのでは。コロナは罹患自体を避けたい病気だ。
感染抑制の視点が乏しいこの度の方針、作り直せと言いたい。