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Vol. 252 医療規制突破の試み ─ 癌研オープンアカデミーに臨んで

医療ガバナンス学会 (2010年8月3日 06:00)


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混合診療裁判原告がん患者
清郷 伸人
2010年8月3日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


1.重度がん患者と向き合った医師
2010年7月25日東京有明の癌研究会で開催された第1回癌研オープンアカデミー「日本のがん医療の未来を考える」における最初の講演で、大阪府立急性期・総合医療センター谷尾呼吸器内科部長は次のようなケースを話された。
27歳の予後の厳しい重度肺がん患者を受け持ったが、あるところでその肺がんにりそうな薬の存在を知る。その薬は日本人医学者が開発の基礎を築いたものだが、治験は日本ではなく、米国と韓国で行われていた。そこで韓国へ搬送し、治験薬を投与したところ劇的な効果を見た。薬の存在を知ってより2週間であった。谷尾医師は交渉、移送のすべてに関わった。患者は結局死亡したが、数ヶ月の延命が可能になった。
この谷尾医師のケースは衝撃的で、最後のパネル・ディスカッションで医師はそこまでできるかという議論になった。多くの論者からは医師としてはやりたいが、マンパワーの問題、教育がそこまで達しているかなど限界も指摘された。

2.医師に強いられた環境
しかし筆者は、そもそも医師をそんな立場に追い込むことが間違っていると考える。このような困難な患者の場合は、本来医師は自分の病院で堂々と必要な、患者の希望する医療を行えるべきなのである。
医師は患者の生命に対する全責任を負っている職業なのだから、自らの知識、経験、良心に基づいて最善、最新の治療を行う裁量権があらかじめ付与されていると考えるべきである。それは場合によっては治験でもあるだろうし、ある程度エビデンスのあるものなら自由診療でも行えるべきである。たまたま日本では承認されていないが、海外では認められている医薬品、医療機器、治療技術は数多くあるのだから。
ではなぜ日本ではできないのか。その理由は、医師がいくらやりたくてもできない行政当局の規制があるからである。それが保険医及び保険医療機関療養担当規則(療担規則)18条、19条であり、健康保険法86条である。
条文はきわめて簡単である。18条は、「保険医は、特殊な療法又は新しい療法等については、厚生労働大臣の定めるもののほか行ってはならない」、19条は、「保険医は、厚生労働大臣の定める医薬品以外の薬物を患者に施用し、又は処方してはならない」、86条は「被保険者が、厚生労働省令で定めるところにより、第63条第3項各号に掲げる病院若しくは診療所又は薬局(以下「保険医療機関等」と総称する。)のうち自己の選定するものから、評価療養又は選定療養を受けたときは、その療養に要した費用について、保険外併用療養費を支給する」。
治験の場合など例外はあるが、厚労省はこの3つの条文から、保険医は厚労省の認めた医療、医薬品、それらが世界標準から何年も何十年も遅れていようともそれら以外は一切手を出すことはならないとしているのである。もし、その違反が発覚したら、初診まで遡って保険医療を含む全医療が全額病院負担か患者負担になり、病院は最長5年の保険医療機関指定取り消しを受ける。

3.限界に立ちすくむ難病患者
この蛮行ともいうべき縛りによって、日本の医師の自由度は低く、医療の選択肢は狭い。そして、このような規制制度はあまり知られていない。一般の人が罹る普通の病でそんなことを感じないのは保険診療で十分だからである。しかし、いったんがんなどの難病になったら、たちまち「もう治療はありません。退院してください」となるのである。
18条、19条に関していえば、厚労大臣の定めた医療、薬ですべての病気が治るのなら文句をいう筋合いはない。しかし、がん、難病ではそれは不可能である。医療の入り口で、列をなしている新しい、画期的な治療や薬が狭い通路を少しずつ通るという官僚による事前規制を取る日本の医療制度では、ドラッグラグ、デバイス・ラグの問題は宿命的である。
また適応外薬では、保険承認薬が適応外でも学術的にエビデンスが確立されているなら保険給付を認めるという55年通知があるが、19条とのダブルスタンダードであり、その都度、保険医は処方に悩み、岐路に立たされる。万一の場合、その責任を取るトップにふさわしい院長ならいいが、医師個人に責任が帰せられると普通は考える。
土屋癌研究会顧問が、医療は事前規制よりも事後検証に舵を切るパラダイムシフトが必要で、多くの薬害の真の原因も行政側の事後検証不在にあったと最後に総括していたが、鋭い指摘である。

4.規制の根拠法の欠陥
以上述べたように、保険医の医療権と患者の生存権を不当に縛る18条、19条は破棄されるべきである。行政当局は医師と患者で交わされる個々の医療に介入すべきではない。医師の裁量権と患者の選択権に医療は委ねられるべきである。もちろん全面的に野放図に委ねよというのではない。たとえば病院の倫理委員会の責任において信頼していくべきと考える。
一方で国は保険制度の設計、運用を独占的に担っているから、保険収載に関する権限を持つのは当然だが、保険承認か否かにかかわらず医師が判断し、患者が納得した学術的に認められた先端医療などには療担規則ごときで介入すべきでない。
そもそも18条は規則である。行政当局の課長クラスの作文である。もちろん国会の審議など経ていない。健保法を国会で通して、細則は行政当局に委ねるということで、局長、課長クラスが政省令、規則を勝手に作文するのである。それらは元の法律から逸脱したものや想定外の強権を付与したものに満ちている。日本は法治国家ではなく、官治国家なのである。
86条に関しては、筆者の裁判の最大の争点となっているが、内容を要約すると、厚労省は前述した86条文中の「その療養」を評価療養、選定療養を併用する保険診療と解釈し、それに対して保険外併用療養費が支給されると主張している。そして、評価療養、選定療養ではない保険外診療を併用したときは、その反対解釈により、保険診療には保険外併用療養費は支給されないというのである。いったいどこに、「その療養」を併用される保険診療と読める余地があるだろうか。普通の日本人なら、「その療養」はその前にある評価療養、選定療養を指すと読み、それらに保険外併用療養費が支給されると読むだろう。この場合、併用する保険診療は86条に関係なく独立しており、何の影響も受けないのだから、通常の保険給付を受けられることはいうまでもない。
さらに百歩譲って、厚労省の条文曲解を認めたとしても、86条から保険外診療を受けた被保険者の保険を受ける権利を奪うことは困難である。税金と同じように強制徴収された保険料の対価としての国民の保険受給権は生命に関わる保険診療を受ける権利であり、このように重大な基本的人権を反対解釈だけで明文規定された法律もなしに奪うことは憲法違反である。それは、同じように強制徴収された保険料の対価としての年金受給権が、たとえば大富豪の年金でさえ剥奪はおろか減額も憲法違反として許されないのと同様である。

5.規制突破へ
私の闘いの本質は18条、19条の破棄と86条の正しいまっとうな解釈を打ち立てることによって、理不尽な医療規制を突破し、谷尾先生のような医師が自らの良心にのみ従って、堂々と患者のための医療ができる国にすることであり、どのような困難な患者でも世界で受けられる医療を受けて生を全うすることができる誇るべき日本にすることである。

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