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Vol. 253 中原医師過労死裁判の最高裁和解、そしてこれから。

医療ガバナンス学会 (2010年8月4日 06:00)


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健保連 大阪中央病院 顧問 平岡 諦
2010年8月4日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


「一般の過労死」については労働基準法により規定されている。しかし、「医師の過労死」については例外とされ、法律による明確な規定がない。その理由は「自己管理の第一次的な責任は、医師個人にある」という倫理問題と関係しているからである。そこで中原利郎医師の過労死裁判の行方を注目していたが、現在の日本の現実から考えてこれしかないであろうと思われる内容の最高裁和解が成立した。中原支援の会のホームページに掲載されている和解条項をまとめるとつぎのようになる。

「我が国におけるより良い医療を実現するとの観点から和解が勧告され、医師不足や医師の過重負担を生じさせないことが国民の健康を守るために不可欠であることが確認されて、和解が成立した。」
すなわち、「医師の過労死の問題」は「医療安全の問題」であると指摘しているのである。医療安全を守るために医師の過重負担を制限しなさいと言っているのである。それが「より良い医療を実現させる」ことになるからである。

(1):「医療安全の問題」から「医師の過労死(過重労働)の問題」を切り捨てた平成18(2006)年の医療法改定。

平成18(2006)年に医療法の改定が行われ医療安全に関する条項が追加された。第6条の10をつぎに示す。なお、第6条の9、11、12には、医療安全に関する国、地方自治体の役割などが述べられている。

医療法第6条の10:「病院、診療所又は助産所の管理者は、厚生労働省令で定めるところにより、医療の安全を確保するための指針の策定、従事者に対する研修の実施その他の当該病院、診療所又は助産所における医療の安全を確保するための措置を講じなければならない。」

医療安全に関するこの医療法改定には、「過重労働がミスを呼ぶ」という視点が無い。「医療安全の問題」から「医師の過労死(過重労働)の問題」を切り捨てたのである。最高裁が指摘したのはこの点である。
改定後の医療法の下では、たとえ医療ミスが起こったとしても、法律を改定したことで官僚は免責される。そして「指針を策定し、従事者に対する研修の実施その他の措置」を講じておれば管理者も免責される。医療ミスが起こって責められるのは医師のみである。
すなわちこの医療改定は、「病院の管理システムを利用して、医療の安全を医師に強制」しているのである。病院管理者を介した、医師に対する官僚統制と言わざるを得ない。医療安全に関するこの改定は、そもそもが「低」医療費政策による医師の「過重労働により医療ミスが増加した」ためである。そして一方的なこの医療法改定により医師に「医療ミスに対する責任」を押しつけさらなる過重労働を強いているのである。
最高裁が指摘したのはこの官僚統制の弊害である。「脱」官僚統制をめざす政府ならば当然この弊害を取り除くために医療法の「改正」に向かうだろう。医療安全の問題は全国民の問題である。すなわち超党派の問題である。「脱」官僚統制をめざす政府が率先して、超党派的に医療法改正に向かってほしい。

(2):「より良い医療を実現させる」ために。

医療法の医療安全の条項に、「過重労働がミスを呼ぶ」という視点を追加することである。具体的には、医療法第6条へつぎの一項を追加することである。

「管理者は、医療の安全を確保するため、従事者の過重労働を予防する措置を講じなければならない。」

医療ミスが起こった場合、もし医師の過重労働が認められれば管理者の責任が問われることになる。必然的に管理者は医師の過重労働に気を配ることになり両者の一体感が出てくるであろう。また管理者の団体として一体となり厚労省とかけあえるようなシステムも必要になる。そのように第6条の国、自治体の役割を変更することである。その結果は医師の過労死の予防ともなり、「立ち去り」を予防し医療崩壊の阻止ともなるのである。「より良い医療を実現させる」ために必要なことである。
医療法へのこの条項の追加は、医療安全の考え方、医療倫理の考え方を「より良い医療を実現させる」方向へ向かわせることになるのである。

「To Err is Human; Building a Safer Health System」(「人は誰でも間違える;より安全な医療システムを目指して」)は1999年に米国立医学研究所(IOM)のリポートであり、医療安全の『基本的考え方』を変えたことで有名である。それまでの「個人の努力まかせ」から「個人の努力だけでなくシステムで補完しよう」への転換である。このレポートにもあるが、「First do no harm(まずは、患者を害するな)」がヒポクラテス以来の医療倫理の”いの一番”であり医療ミスは「患者を害する」ことにつながる。これまでの「個人まかせ」から「システムで補完しよう」への転換は医療倫理に適った転換である。
現在の医療法では、「病院の管理システムを利用して、医療の安全を医師に強制」しようとするものである。それを「個人の努力だけでなく、病院の管理システムを利用して補完」しようというものである。また、現在の医療法では「医療の安全を個々の病院の努力まかせ」にしているのである。それを「個々の病院の努力だけでなく、システム(たとえば法律)で補完しよう」というものである。そのようにして「より良い医療を実現させる」動きが出てくるのである。

和田耕治氏(北里大学医学部 衛生学公衆衛生学助教)は、週刊医学界新聞(2009.2.2)の「レポート;医師の健康に関する国際会議」の中で「医師の健康を守るためには、医師自身、医療機関、そして社会にそれぞれの役割がある」として、つぎのように述べている。
「医療機関は、組織として医師の健康をどう守るかを検討し、職場環境の改善や、労働時間の短縮、可能であれば医師を対象にした健康に関するプログラムを提供する。医師の健康を守ろうとする取り組みは、医師の確保やモチベーションの維持にもつながるであろう。」
上に述べた条項を追加することで、まさにこの内容が現実化するのである。

(3):世界の情勢。

世界医師会が2005年に発刊した、World Medical Association Medical Ethics Manualの中につぎのような記載がある。日本医師会発行の「WMA医の倫理マニュアル」の翻訳より抜粋する。

「自分自身に対する責任(Responsibilities to oneself)」より:
「医師は、自分が自分自身や自分の家族に対しても責任を負っていることを忘れやすいものです。」そして「自己管理の第一次的な責任は、医師個人にあります。(後略)」しかしながら、「明らかにこのような(週60-80時間勤務もまれでなく、休暇は不必要な贅沢と考えるような)専門職としての仕事のペースに苦しむ医師もおり、その結果は、慢性的疲労から薬物乱用、自殺に至るまでさまざまです。疲労は医療ミスの重大な要因なので、健康を害した医師は患者にとっても危険です。
医師に健康なライフスタイルを奨励するとともに、患者の安全を確保する必要性から、国によっては、医師や研修医が働く時間数や交代勤務時間の長さに制限が設けられるようになっています。」

World Medical Association Medical Ethics Manualの発刊は2005年である。この時点でも、「国によっては」、医療安全と医師の過労(過重労働)とを同じ問題と捉えて対策をすでに取っているのである。平均寿命・健康寿命ともトップクラスを誇る日本では遅れているのである。日本の遅れの理由についてはMRIC Vol.215 (2010.6.20.発信)で発表しているので参考にしていただきたい。
http://medg.jp/mt/2010/06/vol-215.html#more
(2010.7.25. 脱稿)

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