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Vol. 258 このままでいいのか「医学部大量留年」問題

医療ガバナンス学会 (2010年8月10日 06:00)


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早稲田大学医療人類学研究所 客員研究員
杉原正子

※日経メディカルオンライン「私の視点(オリジナル)」2010.7.27からの転載です。

2010年8月10日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


略歴:杉原正子(すぎはらまさこ)
早稲田大学医療人類学研究所 客員研究員。
日本アイ・ビー・エム(株)にてシステムエンジニア(SE)として5年半勤務した後、米国ハーバード大学大学院比較文学科留学を経て、東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。2010年3月、山梨大学医学部卒業。2010年5月より現職。

最近、一部の医学部で卒業留年、つまり、6年生の3月に卒業できずに再度6年生になる留年者が増加する傾向にあり、医学生の間に不安が広がっている。医学部の留年を話題にすると、「昔からあった」「学生が不勉強なのではないか」などという反応が返ってくることがあるが、例えば私立A大学医学部の2009 年3 月の卒業予定者129人のうち、実に43人が卒業できなかったと言えば、事の重大さをわかっていただけるのではないだろうか。

これほどではないにせよ、私立大学の医学部では卒業できない6年生が二桁であることは珍しいことではない。また、残念ながら、留年の基準や理由も不透明であり,大学によってまちまちであるのが現状である。

【大量の卒業留年者を出すのは補助金が目的】
実は、医学部が卒業者数を制限しようと躍起になる背景には、特に私学の場合、医師国家試験の「合格率」が一定の条件を満たさないと、国からの補助金がカットされるという事実がある。大学は留年生を出すことで、「合格率」が上がるので補助金を守ることができ、授業料も余分に入るので、経営的にはプラスになる。

文部科学省の高等教育局私学部私学助成課によれば、私立の医学部・歯学部の補助金のカットのルールは、以下のようになっている。基本的には、当該年度の前年度末に卒業し、初めて医師・歯科医師国家試験を受験する者の合格率(以下「当該年度合格率」という。)が70%未満の大学は、国からの特別補助のうち、「大学院教育研究高度化支援メニュー群(研究支援分は除く)」の増額措置がカットされる[1]。ただし、当該年度合格率が70%未満であっても、当該年度を含む過去3年度の平均合格率が70%以上の場合はこの限りではない。

条件を満たさない場合にカットされる金額については、学科でなく大学単位でしか公表されていないため、単科の医科大学に注目してみると、2008年度の該当額が最も多いのは日本医科大学の約6億5000万円(補助金全体の13.5%)、最少は愛知医科大学の約8600万円となっている[2]。

留年、特に卒業留年については、「何度受けても医師国家試験に受からない卒業生を最小限にする教育的配慮による」、あるいは、「能力の低い医師は社会に送り出せない」などの意見もある。もちろん、大学や学生によっては、留年という処置が適切な場合もあるだろう。しかし、大学側が必ずしも医学生自身や社会のためではなく、補助金を念頭に置いて学生の評価を決定していることは、卒業判定保留制度なるものの存在からも明らかである。

医学部の6年生は事前に卒業が決定しないと卒業直前の2月の医師国家試験を受験できないが、卒業判定保留制度とは、その学生が受けるはずだった医師国家試験の終了後に卒業を認めるという、つまりは医師国家試験を受けさせないための制度である。

例えば、地方の私立B大学では、1990年3月の卒業予定者99人のうち21人についてこの方法で卒業させており、このため当時の文部省が大学側に事情を聞く予定であったことが、翌1991年1月に朝日新聞で報道されている。ところが、また別の都内の私立C大学では、今年の3月にこれとよく似た制度を導入し、卒業はできたが医師国家試験を受験できなかった6年生が6名いた。

このような人為的な操作が存在する以上、文部科学省の当該年度合格率を基準に特別補助金の有無を決定するのはナンセンスである。同じ「合格率90%」でも、留年者を40人出して分母を制限した大学と、留年者が0人の大学とではその意味が全く異なるからである。

【医師国家試験「合格率」ランキングの罪】
国立大学法人にも、もちろん国からの交付金が出ている。これに相当する国立大学法人別運営費交付金(2008年)を同じく単科の医科大学について見てみると、旭川医科大学では56億2900万円、滋賀医科大学では56億5100万円であり,国公立の医学部間で金額に差異が少ないことが推測される[3]。国公立大学のこの交付金は、合格率によって影響を受けることはないが、メディアの医師国家試験合格率ランキングなどの影響を受けてであろうか、合格率を競う風潮は国公立の医学部にも伝播している。

ちなみに、筆者が複数の医学部の教員、事務方、学生から話を聞いた範囲では、国公立の医学部でも合格率が補助金に影響すると誤解している関係者も少なくない。この機会にぜひ正しい情報を知っていただきたい。「合格率」が交付金に影響しないと知りながら、国公立大学で世間体としての合格率ランキングを気にすることも不適切であるが、誤解や無知をそのままにしておくと、理不尽な留年生を出すことにつながりかねないからである。

さらに、今年の3月には、国立と私立の両方で、2年生が大量に留年した医学部があると聞いている。下級生の大量留年は、直接的に「合格率」を上げるためとは考えにくいが、他の医学部と比べて極端に人数が多い場合や、急激に増えた場合には、やはり入学試験も含めて原因や適切さの検索が必要であろう。

留年者が増えれば、大学側としては授業料も余分に入ることになるが、逆に、当の医学生の負担は絶大である。医学生は学業が忙しく、アルバイトもままならないため、1年分の学費を捻出し、かつ1年分の医師としての給料を失う負担は小さくない。裕福な医学生はごく一部であって、私学は授業料が高額であり、国立はもともと裕福ではない学生が多いことから、いずれも経済的負担は深刻である。さらに、医学生は浪人率や学士入学率が高いため、平均年齢も他学部より高く、単に時間的負担だけを考えても、卒業が1年遅れるのは打撃が大きいのである。

医学生の負担は、そのまま社会の損失にもつながる。国立、私立を問わず、医師育成に多大な税金が投下されていること、さらに、現在の医師不足による全国の医療崩壊という現状を考えれば、補助金や「合格率」ランキングといった大学の都合のために、不適切な大量留年者を出して学生期間を延長して、かつ、医師になる時期を遅らせることは、社会にとっても有害無益である。医師不足解消のために、医学部定員を増加した上に初期研修期間を実質1年に短縮することさえ検討せざるを得ないこの非常事態において、このような習慣を放置する余裕はないはずである。

【医師国家試験が年1回である必然性はない】
医学部の大量留年の背景には、複数の要因が絡み合っており、直ちにすべて改善することは容易ではない。しかし、「合格率」の定義を改善したり、見せかけの「合格率ランキング」の報道をやめたりすることは、今すぐにでも可能なはずである。この意味で、マスコミ関係者にもぜひご協力をお願いしたい。

もしも大学別の医師国家試験の成果を問うのなら、受験者数でなく全卒業予定者数(留年者等も加える)を分母にした合格率を公表すべきである。同時に、全学年の平均留年率(または全留年者数)や退学率・放校率も公表する必要がある。卒業予定者の代わりに5年生以下の留年者等が増やされていないかどうかもチェックする必要があるからである。また、既卒者の合格状況も含めて評価するならば、学生が医師になるのに要した平均年数を求める方法なども有効であろう。

しかし、医学部の教育の質は、本当は医師国家試験の合格率だけで評価するべきではないはずである。なぜならば、もともと医師の最低限の質を担保する試験であった医師国家試験は、卒後臨床研修が義務化された2004年以降は、臨床医以前に、卒後臨床研修に進むための資格試験と位置づけられるからである。

そもそも、日本でこれほど「合格率」が話題となり、「受けさせないための留年」という発想が出てくるのも、医師国家試験が1年に1回しかないからではないだろうか。「東大合格者 高校別ランキング」と同じようなものである。

ちなみに、米国医師資格試験(USMLE:The United States Medical Licensing Examination)は、コンピュータ入力(CBT:Computer Based Testing)の方式で、日曜祝日以外の毎日、つまり年に約300回受験が可能である。日本の自動車運転免許の学科試験を想像していただけばよいと思うが、資格試験として実に合理的であり、このような状況では、「合格率」という概念自体が存在し得ないことがおわかりいただけると思う。

試験の運営母体も予算も異なる日本で、すぐに米国のような受験機会を提供するのは難しいとしても、卒後臨床研修やマッチングなどを米国に学んできた日本で、受験機会だけが年1回というのは、余りにバランス感覚を欠いている。せめて1985年以前のように春と秋の年2回実施されれば、受験者の負担も減り、社会的にも「合格率」偏重が緩和される足がかりとなるのではなかろうか。

他のどんな職業よりも徹底した倫理観が求められる医師の育成において、大学の利益や面子を優先して、「合格率」のために学生を留年させるなどというパワーハラスメントは、あってはならないことである。大学にもよるが、卒業判定や進級判定を前にしては、当事者も下級生も、学生は弱い立場にあり、疑問を感じる点があってもそれを教員に伝えることは難しい。

これまで現場の医療者の多くが多忙を極め、余裕のない状況だったことは理解できるが、「合格率」と留年の関係が、医療界でよく知られた事実であったにもかかわらず、何年も前から改善されずに放置されてきたことは、非常に残念である。外部評価、及び、内部評価の双方からの検証によって早急にこの問題を改善し、今後は、合格率偏重の代わりに医学部をどのように評価すべきかという、より本質的かつ発展的な議論を行っていきたいものである。

《参考資料》
[1] 日本私立学校振興・共済事業団「私立大学等経常費補助金 平成20年度・平成21年度 取扱要領・配分基準」

http://www.shigaku.go.jp/s_haibunkijun.htm

[2] 日本私立学校振興・共済事業団「平成20年度 私立大学等経常費補助金交付状況の概要 特別補助内訳表」

http://www.shigaku.go.jp/files/s_tokuho_utiwake20y.xls

[3] 文部科学省「高等教育局主要事項 -平成21年度予定額-」

http://www.mext.go.jp/component/b_menu/houdou/__icsFiles/afieldfile/2009/01/16/1217247_1.pdf

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