医療ガバナンス学会 (2022年4月4日 06:00)
京都大学医学部5年
斉藤良佳
2022年4月4日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
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午後23時すぎ。私は一人で福島駅近くのホテルの客室にいた。福島医大での1日を終え、明日の郡山行きに備えて、そろそろ寝る準備をしようかと思っていたその時だった。
いきなりの大きな揺れ。次の瞬間、机の下に潜り込む。
“やばい。どうしよう…この後何をすればいい?どこに行けばいい?” 揺れはなかなか止まなかった。
やっとおさまって、出ようと思ったら、また揺れがきた。冷静ではいられなかった。
“建物が倒れたら?大きな物が倒れてきたらどうしよう。このままいるべき?一階に逃げるべき?どうしよう、どうしよう”
机の下で携帯を開いて、先生たちに連絡。部屋に待機でいいよ、外に逃げられる準備はしておいて。10年以上ここにいる人たちからのメッセージに、安心した。
2回の大きな揺れがようやく収まった。頭は混乱していて、考えがとりとめもなく浮かぶ。
“自分の地元は揺れていないから、帰れればなんとかなる。でも、帰る途中でまた揺れがきたら?電車が脱線したら?もし地元で起きたら、自分が親だったら…家は?家族は?”
誰かに、怖かった!と言いたくてスマホを見ると、地元のみんなはまるで違う世界に住んでいるみたいに、いつもの話で盛り上がっている。なんで、なんで。親も寝ているらしい。誰に不安をぶつければいいかわからない。
時間が経って、少し余裕が出てきた。“帰るって…何か手伝った方がいいのでは?医療者の卵なのに自分だけ逃げていいのか?帰るなんて何をしにきたんだろうか”
けれど、また大きな揺れがきたら…怖い。天井が少し軋むだけでも恐怖で、その日は結局あまり眠れなかった。
次の日、一人でいるのも怖くて大学に向かった。町はあまり混乱もなく、道路の補修も早速行われていた。大学に行って研究室の状況を尋ねると、「うーん、本が落ちたくらいかなー。」「部屋の外のボード外れてますよ!?」「あ、そうなんだー」大して慌てる様子もなく、昨日と同じように働いておられた。福島の人たちの落ち着きぶりに、慌てていたのは自分だけかと恥ずかしくなった。
だが、しばらく作業をしていると、別の部屋から「もうだめだと思った」と話す声が聞こえた。平気ではないのかもしれない、とも思った。
色々と考えていたら、夜になった。
福島駅は閉鎖されていたから、結局は車で送ってもらい那須塩原から帰った。
後で調べたところ、私がいたのは震央からおよそ100kmのところで、震度は6弱だったという。家族や友人と離れ、一人でいた私は、非常に不安定だった。停電か断水か怪我があれば、パニックになっていただろう。
被災地や紛争地で医療に携わるということ。それは自身にも震災や戦火がふりかかりうるということだ。その恐怖と闘いながら、命を救い続ける人たちに、心底畏敬の念を覚えた。
私は同じ日本に住む者として、被災地のことをこの目で見て学びたいという思いがあった。また、アフガニスタンで活躍された中村哲医師への尊敬の念から、同じように現地の人のために尽力されている、福島県立医大の坪倉医師のところでお世話になることにした。
困っている人がいたらどんなところにでも行って助けたい、そんな風に思っていた。だが今回の経験を経て、この当たり前のことがいかに難しいか、痛感した。そして自分は無力であるということも…外れたボード一つ直せない、電車が止まれば一駅間の移動すらできない。誰も指示なんか出してくれない、なんでいるのという顔をされる。皆さんの役に立ちたかったが、ただの足手まといだった。
けれど、今回の経験は、文書を読み人の話を聞くよりも遥かに多くのことを私に突きつけ、学ばせた。地震への恐怖は拭いきれないが、福島でまだまだ学ぶことはあるし、学びたいと思う。