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Vol. 303 プロフェッショナル・オートノミー:日本医師会の情報操作と医療界のガラパゴス化(その5/5)

医療ガバナンス学会 (2010年9月23日 06:00)


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プロフェッショナル・オートノミー:日本医師会の情報操作と医療界のガラパゴス化(その5/5)

健保連 大阪中央病院 顧問 平岡 諦
2010年9月23日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


日本のプロフェッショナル・オートノミーは、世界のprofessional autonomyとまったく「似て非なるもの」である。その違いの元は「患者の人権擁護を医療倫理の第一」とするかどうかである。

時の権力・その他からの「患者の人権侵害」を擁護するために必要とされるのがprofessional autonomyである。「患者の人権擁護を医療倫理の第一」とすることによりprofessional autonomyを維持・実践することが医療倫理となる。それを維持・実践しなければ医療倫理違反となる。医療倫理は「個人の努力まかせ」では守れなかっ た。「個人の努力だけでなく、システムで補完」するための医師集団内のシステムがself-regulationである。「個人の努力だけでなく、システ ムで補完」しようという考え方は医療安全と同じである。

日本の医療界は「患者の人権擁護を医療倫理の第一」とすることを宣言(profess)していない。だから日本のプロフェッショナル・オートノミーは「患者の人権擁護」のためではない。だから国民や患者から支持されない。そして日本の医療界は閉塞状態から抜け出せない。

なぜこうなったのか。それはつぎの構図による。
日本医師会の国内向け情報操作→日本語という壁による「世界の常識」からの鎖国状態→日本の医療界の「ガラパゴス化」→日本の医療界の閉塞状況(医療不信、医療崩壊)、である。

インフォームド・コンセントやセカンド・オピニオンを知らない医師はいないだろう。しかし世界医師会(WMA)のいう「professional autonomy and self-regulation」が「患者の人権擁護のためのシステム」、「医療倫理の遵守のためのシステム」だということを日本の医師は知っているだろ うか。「世界の常識」を知らない(あるいは知らされていない)日本の医療界、これこそが「鎖国状態」と呼ぶべき状況である。そして独特のプロフェッショナ ル・オートノミーを発展させている。これが「ガラパゴス化」である。そして、閉塞状況から抜け出せないのだ。

「医療倫理は個人の努力で守ればよい」、「私は倫理違反をしていないので問題ない」というところが、多くの日本の医師の考えであろう。すなわちこれが医療 倫理観についての「日本の常識」である。ところがである。この「日本の常識」が医療界の閉塞状況をもたらしているということに気づいていない。日本医師会 の国内向け情報操作を止めさせ、日本の医療界は「ガラパゴス化」から脱却しなければならない

(その1)では、「世界の常識」とその背景を見てきた。
(その2)では、「世界の常識」の成立過程を見てきた。
(その3)では、日本医師会の医療倫理観と、日本医師会の「国内向け情報操作」のルーツを見てきた。
(その4)では、日本医師会の翻訳に見る「情報操作」の実際を見てきた。

本稿では、日本の医療界の「ガラパゴス化」の状況を見てみよう。

【1】「日本語という壁による、世界の常識からの鎖国状態」から「ガラパゴス化」へ。

日本語という壁に閉ざされている日本。その壁に守られるという利点もあるが、考えが世界から孤立しやすいという難点を抱えている。それを忠告したのが竹 村健一氏の「日本の常識、世界の非常識」(幻冬舎、2005)である。その序文で、氏は「日本は、広い世界のなかでも特別ユニークな国である。多くの日本 人の考えはしばしば他の国の人々と大きく食い違う少数意見となり、日本人の常識は世界に通用しない非常識となってしまうことが多い。(中略)そのすべてを 直す必要はまったくないが、違っているということだけははっきり自覚したうえで、外国人とつきあい、外国の様々なことを知ったほうがいい」と助言している のである。

日本語という壁による「世界の常識」からの鎖国状態、その結果は日本特有の進化である。「世界の常識」とは異なる「日本の常識」の形成である。世界標準 から懸け離れた日本市場の現象をあらわす言葉に「ガラパゴス化」がある。「ガラパゴス化」をインターネット(Wikipedia)で見ると、「生物の世界 でいうガラパゴス諸島における現象のように、技術やサービスなどが日本市場で独自の進化を遂げて世界標準から掛け離れてしまう現象のこと」、また「技術的 には世界の最先端を行きながら全く国外では普及していない日本の携帯電話の特異性を表現する為に作られた新語である」と記載されている。

「非常に限られた環境に適応するかたちで進化した生物は、多くの場合は他の環境に対する適応性が限られており、最適化を至上とする進化において不適切な生 物であるとみなすこともできる。そのような生物がみずからの環境の変化(破壊)とともに新しい環境に再適応できず絶滅する、あるいはより広範囲の環境に適 応してきた外来種が土着の環境に導入され繁殖するとともに駆逐され消滅するのは進化論においては自然の摂理であり、これによしあしは存在しないが、絶滅の 危機にさらされている種の観点からすれば深刻な問題であることはいうまでもない。同じように、日本で独特の進化を遂げた商品が最終的には淘汰されることは 市場原理からすれば「当然」であるが日本という観点からみれば問題であるのもあきらかである。」とも解説されている。

例として、携帯電話のほかに、カーナビゲーションシステム、パソコン、デジタルテレビ放送、ミニディスク、コンピューターゲームなどが挙げられている。 しかし「ガラパゴス化」とは、「小さなところに閉じこもっていると、抜け出そうと思った時には抜け出せないよ」との警告でもあり、商品市場に限られた話で はないだろう。

日本医師会の国内向け情報操作

日本語という壁による、「世界の常識」からの鎖国状態

日本医療界の「ガラパゴス化」

日本の医療界の閉塞状況(医療不信、医療崩壊)、
この構造が現在の日本の医療界の閉塞状況(医療不信、医療崩壊)をもたらし、閉塞状態から脱却できないでいるから大変だ。

【2】日本の医療界の「ガラパゴス化」。

日本の医療界は「患者の人権擁護を医療倫理の第一」とすることを宣言(profess)していない。だから日本のプロフェッショナル・オートノミーは 「患者の人権擁護」のためではない。それでは何のためか。その「何」を求めてプロフェッショナル・オートノミーは進化し、ガラパゴス化が進む。

(1)「司直の手」に対する対抗手段。

プロフェッショナル・オートノミーとは「司直の手から医師を守る」ために必要なものという認識である。この点をもっとも的確に示しているのが、財団法人生存科学研究所、医療政策研究会の記述である。

「医療安全のプロフェッショナル・オートノミーへの一歩:医療事故原因究明の第三者機関(私たちの提言における医療安全委員会)構想は、厚生労働省補助事 業「診療行為に関連した死亡の調査モデル事業を経て具体化した。(中略)わが国ではかつてないことだが、学会すなわち医療界が自律的に中立の立場の専門家 による調査の仕組みを構築し始めたものである。(中略)その動機となったのは、医療過誤が刑事事件として司直の手に委ねられ、再発防止や医療安全とは程遠 い業務上過失致死の構成要件を固める目的で調査が進められている現状に対する強い危機意識であった。(後略)」(財団法人生存科学研究所、医療政策研究会 より)

ベストセラーとなった「医療崩壊;立ち去り型サボタージュ」の著者である小松秀樹氏の理由も同じである。「医療制度研究会;21世紀の医療を共に考える会」のホームページにある氏の論文より拾ってみた。

「厚労省は07年10月17日に、『診療行為に関連した死亡究明等の在り方に関する試案』いわゆる『第二次試案』を発表した。(中略)第二次試案の考え方 をもとに法律が作られると、日本の医療が混迷に陥ると危惧した。」そこで、「現場の医師による自律的な集団が必要である。」と考えた。これは「国の力を借 りずに自浄のための制度」である。

歯科医師・歯科矯正医の団体であるNPO法人みんなの歯科ネットワークでも同様の考えである。「プロフェッショナルオートノミーとは何か」より拾ってみ た。(注;マドリッド宣言を要約しているが、ここに示されていない第2項を十分に理解していないためにprofessional autonomyの意味を取り違えている。この編集責任者には、なぜ第2項で、re-affirm、re-dedicateとどちらも”re-”が付いて いるのかをもう一度考えていただきたい。その2.を参照されたい。)
「ただ『プロフェッショナルパラダイス』ではいけない。なぜいけないかというと国家権力(行政機関)の介入を招くからです。例えば『診療関連死とプロフェッショナルオートノミー』の場合は、警察権力の介入を防ぐことが重要なのです。」
「国家権力(行政機関)の介入を防いで、自律してこそプロフェッショナルオートノミーが有り得るわけですが、最初からルールによって行政府に縛られている保険医にはオートノミーという権利は有り得ません。」

このような「司直の手から医師を守る」ためのプロフェッショナル・オートノミー、すなわち医師による医師自身を守るためのプロフェッショナル・オートノ ミーが国民や患者から支持されるはずがない。そこで患者のための「何か」を考えねばならない。それがつぎに述べるcompetence(能力)の考えであ る。(注;時間の流れからは逆である。さきに日本医師会がcompetence(能力)を持ち出すことによってautonomy(自律)をプロフェッショ ナル・オートノミーに変身させていた。そこへ「第二次試案」という「司直の手」が伸びてきた。そこで出てきたのが上述の医療政策研究会の記述であり、小松 氏の発言である。)

(2)医師としてのcompetence(能力)向上のために。

医師としてのcompetence(能力)が上がればそれだけ患者のためになるだろう、という考えである。以下に示すように、日本医師会は competence(能力)を持ち出すことによってprofessional autonomyを変身させてプロフェッショナル・オートノミーにしたのである。

「日本医師会教育制度は、医師としての姿勢を自ら律するという、プロフェッショナルオートノミーの理念のもと、医師の生涯教育が幅広く効果的に行われるための支援体制整備を目的として、昭和62(1987)年に発足しました。」(ホームページより)

「『いわゆるリピーター医師』への再教育については、日医が、プロフェッショナル・オートノミー(医師の職業的自由)を果たさねばならない責務と考えてお り、一定の基準を作成のうえ、本年度中の開始に向けて準備中であることを明らかにした。」(日医ニュース、第1048号、平成17年5月5日、橋本常任理 事の定例記者会見より)。

他の医療関連機関も日本医師会の考えに「右に倣え」である。
「プロフェッショナル・オートノミーは、専門家である薬剤師が、専門領域のなかで今の自分の能力を自ら判断し、今できないことは自己修練を積むまで自粛す るという自律的な自己規制をすることも含まれ、それができてこそプロフェッションであるといえます。」((財)日本薬剤師研修センターホームページよ り)。

「患者さんにとっては、良質なプロフェッショナルオートノミーを持つ歯科医師が保険から去ることは損失です。」「『治療の指針』を縛りとしてだけのとらえ 方は、プロフェッショナルオートノミーに実効性を付与しません。(中略)『治療の指針』を質の高いものとするために、同じプロフェッションとして誰もが策 定に関わり、患者と直接向き合う歯科医師自らが、積極的に専門家として意見を述べて行くべきなのです。」(歯科医・歯科矯正医の団体であるNPO法人みん なの歯科ネットワーク「プロフェッショナルオートノミーとは何か」より)。

小松秀樹氏の考えも同じである。「医療制度研究会;21世紀の医療を共に考える会」のホームページにある氏の論文より拾ってみた。
「国民と患者のため、医療の改善と向上のため、現場の医師による自律的な集団が必要である。」「国の力を借りずに自浄のための制度を立ち上げたい。これは国民に提供する医療の水準を向上させ、医師が誇りを持って働くことにつながる。」

日本医師会発行の「WMA 医の倫理マニュアル」にあるように、「医師には、他のほとんどの専門職よりも、高い次元で示すことが期待」されているものが三つある。それは compassion(共感)、competence(能力)、そしてautonomy(自律)の三つである。「世界の常識」では competence(能力)とautonomy(自律)は別物である。日本医師会はcompetence(能力)を持ち出すことによって autonomy(自律)を変身させてプロフェッショナル・オートノミーにしたのである。それに追随したのが他の医療関連機関であり、また小松秀樹氏であ る。そこに、日本医師会の国内向け情報操作→日本語という壁による、「世界の常識」からの鎖国状態→日本医療界の「ガラパゴス化」の構図があるからであ る。

(3)日本医師会主導のガラパゴス化、「医療倫理は個人の努力で守ればよい」。

「患者の人権擁護を医療倫理の第一」とすることによりprofessional autonomyを維持・実践することが医療倫理となった。医療倫理は「個人の努力まかせ」だけでは守れなかった。Professional autonomyの維持・実践という医療倫理を遵守するため、「個人の努力だけでなく、システムで補完」するための医師集団内のシステムがself- regulationである。Self-regulationが機能しなければautonomyは保てない。そこで「世界の常識」は professional autonomyとself-regulationが一体となって、「患者の人権擁護のシステム」、「医療倫理の遵守のシステム」となっているのである。
Professional autonomyをプロフェッショナル・オートノミーに変身させた日本医師会は、医療倫理の遵守でも「個人の努力まかせ」に留まっている。それをもっとも よく示しているのは、日本医師会の「医師の職業倫理指針」の序文に見られるつぎの記述である。
「倫理は社会的ルールであるが、基本的には個人的、内省的、非強制的なものであり、各個人が自覚を持ってルールを認識しそれを遵守することが最も大切であることは言うまでもなく、この倫理指針がそのお役に立てば幸甚である。」

これは個人の倫理(万人に適用される一般倫理)と、組織の倫理指針(医の倫理)の混同である。倫理指針を公表・宣誓(profess)する意味を曲解し ているのである。「WMA医の倫理マニュアル」のなかにある「医の倫理は、たとえばWMAのジュネーブ宣言や綱領のような宣誓の形で、公に発表されている (professed)という点で、万人に適用される一般倫理とは異なっています。」という「世界の常識」を、日本医師会は無視しているのである。公表・ 宣誓(profess)した内容を遵守しない組織員を制裁しない日本医師会の「倫理指針」は、単に「ひとりよがり」に過ぎない。患者も社会も信用しないの である。

医療倫理の遵守を「個人の努力まかせ」にしてきた日本医師会のもとで「和田心臓移植事件」が起こり、大きな医療不信を生んだ。それにも拘わらず、いまだ に医療倫理の遵守を「個人の努力まかせ」にして、日々医療不信を増大させているのである。「医療倫理は個人の努力で守ればよい」、「私は倫理違反をしてい ないので問題ない」というところが、多くの日本の医師の考えである。すなわちこれが医療倫理観についての「日本の常識」となっているのである。だから閉塞 状況から抜け出せないでいるのである。

戦後、professional autonomy and self-regulationの考えを進めてきたのは世界医師会である。日本医師会は1951年以来、世界医師会の会員である。一度ならず日本医師会会 長が世界医師会会長も務めている。しかし日本のプロフェッショナル・オートノミーは「世界の常識」から懸け離れて、独自の進化を辿っているのである。日本 医師会の国内向け情報操作→日本語という壁による、「世界の常識」からの鎖国状態→日本の医療界の「ガラパゴス化」の構図が出来上がっているのである。そ して、その結果は医療不信であり、よき医師・患者関係の構築を阻害し医療崩壊への道である。

【3】もう一つの情報操作あるいはガラパゴス化。

「1990代半ば以降、インターネットや携帯電話の普及に伴い、情報社会や情報化社会の語、概念は広く用いられるようになった」(Wikipedia「情 報化社会」より)。そこで世界医師会の宣言や綱領がどのようにWikipediaで解説されているかを検討した。結論は、(その4)で見た日本医師会の翻 訳に見る「情報操作」に沿った解説が見事になされているのである。

「世界医師会」(Wikipediaより);「『医学教育・医学・医術および医の倫理における国際的水準をできるだけ高め、また世界のすべての人々を対象 にしたヘルスケアの実現に努めながら人類に奉仕すること』を目的としている。(中略)これまでにジュネーブ宣言・ヘルシンキ宣言・リスボン宣言・マドリッ ド宣言等をはじめとする数多くの政策文書を採択し、公開している」。この解説は問題ない。つぎにリンクされているそれぞれの宣言を見てみた。まず、「マド リッド宣言」は現在編集中となっていて、professional autonomy and self-regulationについての解説を見ることができない。つぎに、「ジュネーブ宣言」を見た。「ヒポクラテスの誓いの倫理的精神を現代化・公 式化したものである。」、「現在のジュネーブ宣言の主だった内容は、1.全生涯を人道のために捧げる。2.人道的立場にのっとり、医を実践する。(道徳 的・良識的配慮)3.人命を最大限に尊重する。(人命の尊重)4.患者の健康を第一に考慮する。5.患者の秘密を厳守する。(守秘義務)患者に対して差 別・偏見をしない。(患者の非差別)、といったことが定められている。」

ジュネーブ宣言で重要なことは、(その2.)で述べたように、「私は、たとえ脅迫の下であっても(even under threat)、人権や市民の自由を侵害するために私の医学的知識を使用しない。」を述べたことである。すなわちprofessional autonomyの重要さを最初に宣言したことである。しかし解説のなかの「主だった内容」にはこれが含まれていないのである。このようにして、情報社会 においてよく利用されるWikipediaにおいても、professional autonomyに関する解説は見られない、あるいはprofessional autonomyは重要とされていないのである。すなわち日本医師会の「情報操作」に沿った解説になっているのである。これも医療界の「ガラパゴス化」な のであろうか、あるいは「情報操作」なのであろうか。

戦後65年、日本の医療界はもうそろそろ、「戦時下をはじめとする、医師による人権侵害」という医療倫理違反を反省し、「患者の人権擁護を医療倫理の第 一」とすることを宣言(profess)しても良いのではないだろうか。それが医療不信・医療崩壊という閉塞状況から抜け出す唯一の道である。
(2010. 8. 8. 脱稿)

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