医療ガバナンス学会 (2022年10月17日 06:00)
相馬中央病院
齋藤宏章
2022年10月17日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
私は消化器内科を専門としているが、診療の合間に、がん検診を受けたことはありますかと患者さんに尋ねてみることがある。がん検診を受けた方がいいですよ、という意味合いを含んだ質問だが、検診に参加してもらうことはなかなか難しい。検診に参加してもらう、ということはがん検診事業においては非常に重要な課題だ。
今回私は、中国上海市松江区(しょうこうく)で実施されている大腸がん検診プログラムの研究に関わる機会をいただいた。研究は特に、検診に参加するあるいはしない要因に焦点を当てたもので、復旦大学の先生方と松江区の疾病予防管理センター(CDC)のスタッフと共に共同で行い、2022年の8月12日にMedicine誌に掲載された。今回はこの研究結果について紹介したい。
研究のきっかけは2019年9月に松江区のCDCを訪問したことだ。日本の医療ガバナンス研究所の上昌広先生や、谷本哲也先生は10年来に渡り、上海の復旦大学公衆衛生大学院との共同研究を続けている。私もその会合に同席させていただいたのだ。10年以上にわたって続くこの交流には、上海在住の梁栄戎さんの尽力が大きい。日本語が堪能で両国サイドの調整を担当してくれている。9月に上海空港に降り立ったときにも 「よく来たね」と笑顔で歓待してくれたことを今でも覚えている。
会合では、上海、松江区の公衆衛生・医療の課題について紹介してもらえた。その中で、松江区CDCスタッフで大腸がん検診を担当している呉氏が、松江区での大腸がん検診の状況について発表され、その後共同で大腸がん検診に関する研究に取り組むこととなった。
●中国沿岸部の発展がもたらす大腸がん対策の必要性
上海松江区は上海中心から車で小一時間ほど郊外に位置する、人口約178万人の上海中心部の衛星都市である。面積は約600km2で、人口密度は2900人/km2であり、ちょうど日本の神戸市と同等の規模である(557km2, 2760人/km2)。唐の時代に設置された華亭県を前身とした千年以上にわたる歴史のある地域であるが、近年になって急速に開発が進み、大学やハイテク産業が立地し、先進的な取り組みのモデル地区となっている。この地域では、都市の発展に伴って、住民の健康の課題にも変化が現れている。特に近年の課題は“がん”である。1970年代に松江区の住民の死因のうち“がん”は2割弱でしかなく、肺炎などの感染症対策が優先されていたが、2015年には3割以上の死因を占め、全死因の第2位である。発生部位別にみると2015年のトップは肺癌、次いで大腸癌と続く。松江区を含む上海市では、大腸がんの死亡数を減らすために、2012年から便中の血液成分を検出する検査とアンケートを組み合わせた無料の大腸癌検診を開始している。
松江区での大腸がん検診が上手くいくこと、あるいは検診プログラムから見える課題を明らかにすることは非常に重要である。何故ならば、今後の中国の大腸がん対策の指標となる可能性があるためだ。中国は大腸がん患者数が非常に多いことで知られている。国際がん研究機関(IARC)の統計によると2020年には中国全体で55万人が新たに大腸がんと診断されたと推定されているが、これは同年の全世界での大腸がんの罹患者数(193万人)の実に28%を占めている。
特に、中国は内陸部よりも沿岸部で都市化が進んでいるが、こうした沿岸部や都市部の方が大腸癌の罹患率が高く、死亡率が高くなっていると報告されている。これは、農村部に比べて食事生活がより欧米化するためではないかと推定されている。したがって、今後も急速に発展する中国の沿岸地域の都市では、上海や松江区と同様に住民の大腸がん対策が課題となることが想定される。人口規模の大きな中国の都市で、どのような検査をどのような形で、どのような仕組みで住民に提供するかを検討することが重要だ。この点で、早くから発展し、大腸がん検診を打ち出した松江区はそのロールモデルと言える。
●研究はオンラインでのミーティングを行いながら
上海松江区のCDCの大腸がん検診を担当している呉毅凌氏とは2019年訪問以降、zoomや中国のメッセージチャットアプリWe chatなどを用いて、オンラインでのミーティングを繰り返し行い、研究について討論を行った。上海市とは時差は約1時間であり、オンライン環境でのミーティングは非常に便利である。英語で会話しながら、これまでの松江区の大腸がん検診実施状況や、日本での大腸がん検診の課題などについて意見交換をしながら進めていった。
いつも会議は22時(現地時間で21時)頃に行っていたが、仕事終わりの他のCDCのスタッフの方々も参加してくれた。呉氏は非常に粘り強く、松江区の大腸がん検診の仕組みについて説明してくれ、私たちの質問にも答えてくれた。初めの研究のテーマを設定する部分や具体的な解析の方法を議論するところでは、専門的かつ、細かな話となるために、何回も同じテーマに関して会議を行ったこともあったが、いつも追加の解析や作業などを「No problem」と笑顔で答えてくれた。私の至らぬ英語力と会話力を受け入れてもらえたことには感謝しかない。特に新型コロナ感染症流行以降は通常の業務も激務であったようだが、いつも迅速に対応してくださり、頭が下がるばかりである。
さて、欧米では大腸がん検診自体の効果についての研究結果は多く存在するが、一方で、そもそも大腸がん検診プログラムに参加する人、しない人の違いを検証したものは比較的少ない。これは検診に参加していた人の情報は集めやすいが、参加しなかった人の情報は集めにくいためと考えられる。この点で、松江区は人口規模が大きいことと、検診に関するデータの整備がなされていること、過去に公衆衛生課題の解決のためのコホート研究が設定されていることが強みである。そこで、今回の研究では、検診の非参加者の解析もしやすいことから、過去に松江区で設定されたコホート研究に参加した4つの地区の住民を対象に、1次検診の参加に焦点を当てて、調査を行うこととした。
●上海での大腸がん検診プログラム 3年1ラウンドで多くの人口に対応
松江区を含む上海市で行われている検診は便潜血(FIT、2日法)と症状や癌の既往などを問うアンケートの組み合わせからなる。アンケートは項目が集計されてポイントがつけられる。便潜血法が陽性となるか、アンケートが一定の点数を越えると要検査(大腸内視鏡検査)が勧められる。ここまでの1次検査は無料である。松江区では2012年に住民に対する大腸がん検診を開始したが、3年で1ラウンドという体制を取っている。各ラウンドの初年度はそれぞれ50歳から74歳の対象となる住民全員に参加が呼びかけられる。2年目、3年目に関しては前年に1次検査が陽性であった人(2次検査を受けていても)や、前年に検診不参加だった人に参加が呼びかけられる。
ちなみに日本や欧米などでは毎年の便潜血法への参加を呼びかける検診プログラムを提供しているところが多い。3年1ラウンドとしている理由を聞いてみたところ、対象となる人口が多いため、全体に検診プログラムを提供でき、かつ、よりリスクの高い人に効率的に行うためにこのような仕組みを取っているのだという。この辺りは中国の人口規模ならではの課題と対策である。
●高い検診への参加率の一方で男性や非婚姻状況は検診に参加しづらいことが明らかに
2015年から2017年の1ラウンドの検診プログラム期間に、合計20,863名が大腸がん検診に参加していた。これは対象として参加が呼びかけられた27,130名の76.8%にあたった。この期間に一度も検診に参加しない人と、参加した人の特徴を多変量ロジスティック回帰分析で解析すると、年齢、性別、婚姻状況、教育水準、持病の有無、居住区が関連していることが明らかとなった。具体的には、女性に比べて男性(オッズ比 0.874)、60-69歳の人に比べて50-59歳の人(オッズ比 0.873)、結婚している人に比べた未婚や離婚後、未亡人などの婚姻状況の人(オッズ比 0.711)、初等教育以下の学歴の人に比べて中等教育、高等教育以上の人(それぞれオッズ比 0.818, 0.644)、持病がある人に比べて持病がない人(オッズ比 0.904)が検診に参加しにくいと判明した。また、4つの地区のうち1つの地区に比べると2つの地区が統計的に低い参加率に関連していた(オッズ比 0.717, 0.286)。
若い人、非婚姻者が検診に参加しづらいことは過去の研究でも指摘されている。労働年齢よりも年齢を重ねた方が健康への関心も伴って検診に参加しやすく、家族の繋がりがある方が検診に参加しやすいということと推察されている。一方で、教育水準に関しては、他の地域の研究結果とは少し異なった結果となった。複数のアジア地域の国を対象とした研究や、米国で行われた研究では、大腸がん検診には学歴が低い方が参加しにくいという結果が示されている。これは、高等教育を受ける機会がある方が大腸癌や検診についての知識を獲得する機会が増える可能性が高いからと解釈されている。
一方で、今回の松江区の結果では受けた教育の水準が高い方が検診に参加しづらいという結果となっている。考えられる理由としては、学歴の違いに所得の違いなどが相関し、区が提供する検診以外の形で検査を受けているのではないかと推察される。上海全体の大腸がん検診の結果を解析した以前の研究では、同じように教育水準が高い人の方が、2次検診(大腸内視鏡検査)を受けにくい傾向が示されていた。この研究でも著者らは市が担当する検査以外の形で検査を受けている可能性を指摘している。日本でいう市民検診と人間ドックのような関係なのだろう。
●住民へのアプローチの方法が参加率の違いに繋がっている可能性も
また、地区毎の違いに関しては、呉氏は興味深い考察を与えてくれた。それは、地区によって検診への参加の勧誘方法が少し違うのではないか、というものである。人口の多い松江区では、検診はさらに細かい地区の担当者(コミュニティセンター)に周知が任される。研究の結果を受けて、各コミュニティセンターに呉氏が聞き取りをしたところ、参加率の高い地区ではその年の検診対象者のリストを作成し、電話などの形で個別にアプローチしていたのに対して、参加率の低い地区ではチラシ等の告知広告を配ったのみの方法が行われていたという。
私は、寧ろ、個別のリストを作成しアプローチする方法を取っている地区があることに驚いた。日本では市民検診の多くは、市報などの形での全体への告知、個別の郵送などの形で周知することが多い。丁寧な地区では保健センターの職員が個別にアプローチすることもあると思われるが、人口全体をカバーすることは難しい。単に検診といってもどのような体制でサポートし、システムを構築するかが大事だということの良い例だと思う。
私たちは、今回の研究の結果を受けて、次なる課題は参加率を増やす対策や、実際に参加した人の大腸がん発見率や、検診の効果の検証でありと結論している。先進的な取り組みをすぐに実装する松江区の対応は素早く、人工知能による自動通話を用いた非参加者へのアプローチなどの取り組みを実装する予定という。この辺り、どのような効果が得られるのか楽しみである。
今回の研究は、統計解析、図表作成、原稿作成などを各自分担して担当した。私も原稿作成の機会を頂きながら、上海松江区の大腸がん検診の仕組みから課題を勉強することができた。貴重な機会を与えてくださった、復旦大学の姜慶五教授、趙根明教授、松江区CDCの姜永根医師、呉氏、梁氏、原稿作成に協力していただいたそれぞれの地域のコミュニティセンターのスタッフの方々にこの場を借りて篤く感謝を申し上げる。
掲載情報
Colorectal Cancer Screening Program in Songjiang district, Shanghai between 2015 and 2017: Evaluation of participation rate and the associated factor
掲載誌;Medicine
掲載日;2022年8月12日
著者:Wu, Yiling; Saito, Hiroaki; Ozaki, Akihiko; Tanimoto, Tetsuya; Jiang, Yonggen; Yang, Peng; Li, Jing; Zhou, Zhiming; Zhu, Xiuguo; Lu, Fei; Kanemoto, Yoshiaki; Kurokawa, Tomohiro; Tsubokura, Masaharu; Zhao, Genming
掲載URL;https://journals.lww.com/md-journal/Fulltext/2022/08120/Colorectal_Cancer_Screening_Program_in_Songjiang.84.aspx