医療ガバナンス学会 (2022年11月7日 06:00)
この原稿は月刊集中11月末日発売号に掲載予定です。
井上法律事務所所長、弁護士
井上清成
2022年11月7日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
院内での医療安全を推進していくために、その手立てとして法律的に用意されているものは諸々ある。たとえば、医療法に「医療の安全の確保」という章(第3章)があるのも、その1つであろう。その第1節は「医療の安全の確保のための措置」として「医療事故調査制度」や「リスクマネージメント」に関する各種の定めがある。第6条の12の定めも、後者のうちの1つと言ってよい。「病院等の管理者は、前2条に規定するもののほか、厚生労働省令で定めるところにより、医療の安全を確保するための指針の策定、従業者に対する研修の実施その他の当該病院等における医療の安全を確保するための措置を講じなければならない。」と法律に定められると共に、厚生労働省令(医療法施行規則)の第1条の11では、医療安全管理指針の整備、医療安全管理委員会の設置とその業務、医療安全の職員研修の実施、事故報告等の改善の方策が定められた。
しかしながら、もしも仮りに、院内の医師・看護師その他の職員がそれらの措置になじまずに反発し、別々の医療安全の理屈を述べて従わなかった場合に、病院として当該医師らに直ちに従わせるための手立てに乏しい。つまり、具体的に実効性を確保するための手立てが薄いように思われる。
たとえば、危険とも感じられる手技を、専門診療分野の当該医師が他の分野外の医師の制止を聞かずに暴走して実施しようとした場合に、即時に実効的に抑止する手段は、管理者たる院長にも無いように思う。このままでは、ガバナンス(院内統治)に欠けると言わざるをえない。
2.管理者による具体的医療安全指示命令権の新設
管理者たる院長の権限について、一般的には、第4章「病院、診療所及び助産所」の第2節「管理」にその定めがある。ただ、第15条第1項は、「病院又は診療所の管理者は、この法律に定める管理者の責務を果たせるよう、当該病院又は診療所に勤務する医師、歯科医師、薬剤師その他の従業者を監督し、その他当該病院又は診療所の管理及び運営につき、必要な注意をしなければならない。」と規定したのではあるが、少し一般的・抽象的であって、かつ、「指示・命令」でなく「注意」に留まっていると言えよう。
そこで、医療法第15条第1項をベースとしつつ、第6条の12のように「医療安全確保措置」として個別・具体化し、かつ、指示・命令権の新設をすべきところである。たとえば、第6条の12に第2項を新設し、「病院等の管理者は、医療の安全を確保するために必要と認めるときは、当該病院等に勤務する医師、歯科医師、薬剤師その他の従業者に対し、一定期間の診療行為の禁止、一定の類型の診療行為の禁止、一定の診療態様の改善、一定の医療安全研修の要請その他医療安全の推進上必要な措置を命ずることができる。」と定めるのも適切なように思う。
3.医療安全推進の成熟化
医療安全の文化が乏しい時期においては、何よりも医療安全の推進が重要であり、まさに原理的にも強く進めて行かねばならなかった。しかしながら、医療事故調査制度が発足し、それが施行後7年を経てなじんで来ている昨今、いつまでもただ単に原理的に医療安全を進めるというだけでは、不十分だと言えよう。
つまり、医療安全を基軸としつつも、諸々の他の社会的要請を取り込んで、さらに複合的に発展させて行かねばならないのである。諸々の他の社会的要請にただ妥協しているのでは何をか言わんやであるが、それらの社会的要請をただ全て排除してしまうのでは、原理主義に陥ってしまうのと同じであり、やはり妥当でない。
諸々の他の社会的要請を取り入れつつ、医療安全を複合的にさらに発展させることこそが、「成熟化」と言いうる。むしろ、「成熟化」を内包させた「医療安全」こそ、真の「医療安全」と考えるべきであろう。
4.成熟化へ向かうべき1つの例
医療法上で認められているはずの助産所の例であるが、昨今は産科医不足が進み、そのため開業助産所の嘱託医療機関や嘱託医(医療法第19条により助産所にとって必須の要件とされている。)が無くなってしまい、助産所での分娩が停止する非常事態が全国各地で相次いでいる。そして、その医学的な理由の1つとして、「お産はすべて異常分娩なので、開業助産所のお産は医療安全の観点からして危険であり、よって、『嘱託』は受諾できない。」という産科医の意見が述べられていることもあるらしい。
地域住民の中には自然分娩に近い分娩を望む一定数の声があり、停止した助産所分娩が再開できるようにと、地方自治体に対して多くの署名を集めて要望する動きも高まっている。確かに当該地域の大学病院や公立病院・公的病院としては、このような公共的な需要を無視はできない。しかしながら、病院の産科部門自身の窮状もあり、前向きに「嘱託」を受けられない事情もあろう。その事情の1つとして、「お産はすべて異常分娩で危険」という前述の産科医の意見もあるらしい。
しかしながら、全国各地で助産所分娩の停止の動きが進み、分娩停止によって、開業助産所が閉鎖したり、産後ケアだけにシフトして特化したりして、分娩体制そのものの空洞化も進行しているようである。現状は、自然分娩的な助産所分娩の社会的要請よりも、医療安全の原理の方が明らかに一方的に優越してしまっているように見えかねない。と言うよりも、むしろ社会全体的に見ると、アンバランスの度合いが一層、強まっていると言えよう。
このような現状に鑑みると、医療安全の推進が重要であり、まさに原理的にも進めていくべきではあるが、社会的な要請とも調和させていく時期に来ている。医療安全文化にも、いわば成熟化が求められていると言ってよいところであろう。
5.成熟化も含めた上での院内統治
成熟化に逆行し、原理的に凝り固まっている医師が院内にいた場合には、管理者たる院長はどうしたらよいのであろうか。
この点は、「医療の安全を確保するために必要と認めるとき」とは、単に原理的な医療安全(例えば、全ての分娩は異常分娩)の推進だけでなく、他の社会的要請(例えば、自然分娩的な助産所分娩の適切な実施)も取り入れた上で、複合的なさらなる医療安全(例えば、嘱託医療機関としての正常分娩と異常分娩の適切な区分けと、それらの間の密接な医療連携)を追い求めて行く場合も、含まれると考えられよう。そうだとすると、管理者たる院長としては、さらなる「医療の安全を確保するために必要と認め」て、「嘱託医療機関を受託」した上で「適切な医療連携を図る」ように、一定の嘱託拒否・診療拒否などの「一定の診療態様の改善」をして、適切な医療連携をするよう「医療安全の推進上必要な措置」を、院内の当該産科医に対して「命ずる」ことができるものと考えてよい。
以上のようにして、管理者たる院長による具体的医療安全指示命令権は、医療安全の原理的な推進のみならず、医療安全の成熟化(マチュリティ)も含めた上での院内統治(ガバナンス)にも及ぶものと言えるであろう。このような広い意味での医療安全が院内で推進されていくことが期待される。