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Vol. 344 院内感染は業務上過失致死に相当するか?

医療ガバナンス学会 (2010年11月10日 06:00)


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済生会宇都宮病院・医療制度研究会
中澤堅次
2010年11月10日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


院内感染について誤解が激しい。耐性菌の蔓延が過失なのか、弱毒性の細菌による死亡が何故殺人なのかと思っていたら、業務上過失致傷罪が管制官のニアミスにも適用された。院内感染を、伝統的な上から目線の悪法である業務上過失罪と関係させて論じてみたい。

■ 病院がある限り存続する院内感染

院内感染の歴史は、病院の起源である4世紀にさかのぼるが、今後も亡くなることは無く、病院がある限り付き合わなければならない難行の一つである。住む 家がない病人を収容する、キリスト教会の救済活動から病院は始まった。路上には、飢えや寒さで動けない人、戦傷を負った兵士、それにペストなどの疫病にか かった人もいたにちがいない。病気の人々を保護し救済するのが病院の使命だが、科学的知識が普及しない当時は、伝染病の人も怪我人も、看護する人たちも同 じ建物の中におり、院内で伝染病が広がれば病人も奉仕者も区別無く、多くの人が死亡する事態があったと想像される。
現代でも病院の現状は当時とたいして変わらない。インフルエンザや新型肺炎(SARS)のような伝染性の強い病気でも、重症となれば入院となり、同じ病 院に交通事故の怪我人や、白血病・リンパ腫など免疫が極端に弱い人達も、人為的に大きな切開を加えて行う手術を受ける人も入院する。近年、細菌学や感染防 御の研究が積まれ、防御策が以前より徹底したが、それでも見えない敵との神経戦は、病院で働くものの緊張を増加させている。

■ 人体には多くの細菌が常在するが、免疫の恩恵で大きな害をなすことはない

人体は無数の細菌と共存している。腸の中には消化を助ける腸内細菌があり、人体のいたるところに常在菌が生息している。それでも人間が生きられるのは、 絶えまなく起きている細菌の侵入を、免疫機能を持つ細胞や分泌物、皮膚や粘膜などの防御壁が防いでおり、細菌との間に繰り広げられる見えない戦いを勝利す る免疫の恩恵があるからある。
普通の家庭では御手洗いと食堂は別れているが、病気で動けない人は排泄も食事も同じベッドで行わなければならない。便の中にいる細菌が、介護者の手を介 して次のベッドに寝ている人に移行することも容易に起こりえる。介護のたびに、手洗いや手袋を使用することで感染の広がりを押さえているが、細菌は手すり や聴診器やキーボードにも存在し、共有する器具についた細菌が、次に触れた人に移行することはあると思わなくてはならない。しかし、環境にいる細菌は弱毒 菌が多く、生来備わっている免疫機能を有する人であれば、もれなく人体が保護され、病院でも自宅でも常在菌で命を脅かされることはない。

■ 弱毒常在菌アキネトバクターはなぜ人を殺せたのか

帝京大の事件では、病院がアキネトバクターを入院者に感染させ、死にいたらしめたという想定で業務上過失致死が問われている。何故弱毒性の常在菌が殺人 を犯すことが出来たか、これが第一の疑問である。凶器を持たず、力も無く、殺人の意図も無い、ただそこにいただけの犯人がなぜ人殺しが出来たのかというこ とである。
常在菌の侵入は、普通は免疫作用によりすぐに食い止められるはずだが、侵入を許し体内で繁殖したことから推測すると、感染者に血液疾患など、免疫機能に 異常をきたす病気があったかどうかが問題になる。免疫が極端に落ちた状態では入り口に鍵はかからず、中に侵入しても抵抗を受けず、弱毒の常在菌が人の命を 壊すまで繁殖することはありえることである。免疫を落とすことで行う治療や、防御壁である皮膚が損傷される疾患などでも同じことがおきる。亡くなった人に このような免疫系に異常をきたす病態があったかどうかは大きな焦点である。

■ 抗菌剤は侵入する細菌の攻撃に有効だが耐性菌には通用しない

免疫が働かない状況では、どの細菌も同じように侵入と増殖が可能だが、なぜ他の菌は増殖しなかったのだろうか、そこで抗菌剤の多剤耐性が問題になる。免 疫という防御の軍隊が働かない極端な免疫不全の状態で、細菌の侵入を防ぐただ一つの手段は抗菌剤である。最近ではカルバペネム系という、殆んど全ての菌種 を殺すことの出来る抗菌剤が使われる。アキネトバクターは特定の抗菌剤が効きにくい性質があり、抗菌剤が使われる環境では残りやすい菌だがカルバペネムに は歯が立たない。しかし、カルバペネムに耐性が出来ると他に効く薬はないということになる。免疫という主力を欠く戦況で最大限の応戦をしたが耐性を持った アキネトバクターだけは殺せなかったということである。

■ 耐性菌は抗菌剤使用により発生し、高度な難病治療の分野で事件となった

殺人捜査は、今度は多剤耐性菌の発生と、院内伝播に対する病院の責任を問うことになる。カルバペネムはどんな菌にも効く抗菌剤として開発され、世界中の 製薬会社がこぞってこれに飛びつき、すごい勢いで宣伝された。耐性菌が出ることは当然予測されたが、病気が複雑で高度な技術を要する治療の分野でこのよう な事件がおきることまでは予想が付かなかったと思う。耐性菌の存在は日本ではあまり聞かず、私達のような地方中核病院では複雑で高度な難病医療を扱わない からまだこのような事件は起こらない。

■ 耐性菌発生に関与した犯人と、運搬した真犯人はだれか?

多剤耐性のアキネトバクターは欧米に報告が多いからといって、日本に発生していないとはいえないが、外国の医療機関の受診者から持ち込まれた可能性が高 い。仮に受診者が菌を持ち込んだことが証明されたら、その人の責任は問えるのかとなるが、病人は医療職ではないから罪を問われることはない。耐性菌が出れ ば後がない薬を市場に流通させた製薬会社が、事前に耐性菌の出現を予測していたとしても、彼らも利益追求の正当な企業で、医療者ではないから、業務上殺人 の責任を負うことはない。

■ 業務上過失罪は封建時代の遺物

アキネトバクターは環境に常在し、通常は人の目に触れることはない。人間に感染し発病して始めて検査が行われ、やっと医療者の目に触れることになる。隔 離策がとられるのはそれ以後だが、そのときはすでに環境に耐性菌がいる。治療現場への侵入は、人か空気か食べ物からか、ルートは様々で病院が責任をもてる 状況ではない。それでも管理責任が問われる理由は、だれかが責任を取らなければ満足しない国民感情によるものだが、元をただせば、お上の権威を傷つけたと いう理由で家来の失敗を処罰した封建時代の名残であり、現代ではお上の位置に国民が座り、安心安全のために命を扱う職人の失敗を処罰するようになっただけ である。今回の管制官のニアミスは被害が怪我でも罰が与えられた。職人にとって命をかけた職を奪われる刑罰は重い。

■ 業務上過失罪は事故を未然に防いでも処罰対象になる

命が関係する現場では、人間であるがゆえに犯す過ちを想定し、異なった防御策を重ねて回避するシステムを作る。報道された事件でも管制官のミスはパイ ロットにより回避された。管制官はミスを慟哭して詫び、乗客は怪我で済んだことに安堵し、共に大惨事を防いだパイロットの技量を賞賛する。パイロットは自 らの命をかけて乗客の命を救ったことに涙する。経験はこうして積まれ、安全が確保されてゆくものなのだが、どこまでが犯罪でどこまでが経験なのか、過失の 存在を許さず刑事罰が重すぎると、貴重な経験は封印され、命が関係する高度な技術を担当する技術者は減ってゆく。経験したミスを明らかにする責任感は薄 れ、戦況の判断はどんどん遅れ、何度も失敗が繰り返される。業務上過失罪の悪法たる所以はここにある。

■ 業務上過失罪はお上目線の悪法

科学技術がもたらす夢の世界は、昔とは比較にならないくらい複雑で、予期せぬ危険の上に成り立っている。目に見えない細菌や、限度を超えて拡大する航空 路線、予期せぬ事態で起きる失敗は犯罪か、困難な事態での失敗は処罰の対象か、過失致死罪の調査からは、対立と逃避と見せかけの安全しか生まれない。複雑 化した現代、命に関わる者の失敗を、昔のお上同様、腹切りと打ち首でしか考えられない日本人の心を悲しいと思う。

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