医療ガバナンス学会 (2023年4月19日 06:00)
野村ヘルスケア・サポート&アドバイザリー株式会社
シニアアドバイザー
吉田 啓
2023年4月19日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
書名:Unaccountable 沈黙する医師たち
原著者:マーティ・マカリー
出版社:ロギカ書房
この本はアメリカの医療が抱える問題を告発する書です。
薬物乱用等によって治療を委ねるには危ない医師の存在、製薬メーカー・医療機器メーカーと医師との不透明な金銭のやり取り、非営利法人組織のトップが受け取る高額報酬、評判と実態との間で乖離した治療成績、秘密主義・・・。
こうしたことが具体的な実例をあげて、ときには実名で、物語のように一般の人に分かりやすく書かれています。
著者は前書きで次のように書いています。(前書きからの抜粋です。)
「友人たちにこの本を書くつもりだと伝えると、ほとんど全員が「医師仲間から恨まれるよ」と反対しました。しかし、実際に起きたことはそれとは全く正反対のことでした。私の原稿を読んだ医師は誰もが皆、これは出版すべきだと言ったのです。
メディカル・スクールの3年生だった時、私は現代の医療に幻滅を感じて学校から離れました。現代の医療は神業のようであり精緻なものであると同時に、危険で不誠実であるように見えたのです。私が精一杯のケアをしていた穏やかな老婦人が、彼女が必要とせず、望みもしなかった手術の後に死ぬのを見た時、その瞬間はやってきました。
彼女の担当医師たちは、その手術を受けるようにと彼女に圧力をかけていたのです。彼女が心の底からその手術を望んでいないこと、そしてその手術を受けなかったらどうなるか彼女が医師から聞いた説明に怯えていること、そうした懸念を私は担当している医師たちに伝えました。患者は誤った情報を伝えられている、手術を辞退したいと思っている、先輩医師たちへの私からのそうした抗議にもかかわらず、外科医が彼女を説得しました。そして手術は行われ、悲劇的な苦痛を伴う合併症によって3か月後に彼女は亡くなったのです。それが全てです。
私は結局メディカル・スクールから去ることとなり、指導医師には真実を患者に伝えない医療文化は私には正しいものと感じられないと伝えました。私はハーバード大学公衆衛生大学院に入学し、そこで医学の新しい分野、医療の質を評価するという領域を開拓する世界各地からやって来た医師と出会いました。
その後、私は再び患者を治療したくなり、結局1年後にメディカル・スクールは卒業しようと決めました。それから私は、がんを専門とする外科医となるために6年間のレジデント研修の道に進みました。
忙しく働く医師として、誤った動機に満ちて崩壊した医療システムに患者が日増しにうんざりしてくるのを見てきました。他の産業では当たり前となっている、出来不出来に対する説明責任という原則を守らない産業です。それどころか、私たちの医療制度は顧客に目隠しをして手探りで歩かせるようなものです。そうしておきながら、医師は単に多くのことをすればしただけの報酬を得るのです。
医学生としてスタートした初めの頃から、ヒューストンでは心臓バイパス手術を受けることとなる患者でも、もしこれがサンフランシスコだったら単にアスピリンを処方されるだけになるかもしれないというのは一体何故だろうかと不思議に思っていました。良い医療というのは場所によって変わるものではなく、ベスト・プラクティスは普遍的であると当然のように考えていました。パイロットが飛行機を離陸させる前にするように、医療処置もチェックリストから始まるべきという強力なエビデンスがあるにもかかわらず、ほとんどの医師はこれまでチェックリストを使用してきませんでしたし、現在でも使わない医師は大勢います。
同様に、一部の著名な病院では夜間の集中治療室(ICU)に医師を配置しません。さらに危険なことですが、病院は提供する行為から発生する合併症の率が常に高いと十分に自覚しながら、それに対処するインセンティブがほとんどないか全くないということもあり得るために、結果として一般の人々がその「危険地帯」について何も知らされないままでいることもあるのです。治療成績に関する病院の数値が公表されていなくて、国民はどこに行けば良いか、どうしたら選択できるのでしょうか。ほとんどの人が比較している唯一のものは、駐車場です。
医師としてのトレーニング期間を修了して何年もしてからですが、全国外科医会議で私の大好きな公衆衛生学教授の1人であるハーバード大学の外科医ルシアン・リープ博士に出会いました。博士は会議の基調講演での冒頭、何千人もの聴衆を見渡して、「危なくて医療をやらせてはいけないと思える医師が自分の同僚の中にもいると思う人は手を挙げてください」と発言しました。
すると、全員が手を挙げたのです。
医師は害を与えないことを誓います。しかし、仕事を始めるとすぐに別の暗黙のルールを身に付けることとなります。同僚による医療ミスを大目に見るというルールです。医師は一般的には善意の持ち主であり、自制心があり、よく訓練されています。メディカル・スクール志願者のほとんどは患者への過剰治療や費用のかかる治療を処方することを仕事の目的とするのは忌み嫌うでしょう。
しかし、こうして医師は社会に順応していくのです。私たちは治療を控えるよりも積極的に治療する方へとバイアスがかかった教育を微妙に受けています。万能のドル紙幣が私たちの医学的判断に影響を与え得るとは認めたくないですが、実際にはそうであることは素直に認めます(ただし、自分のことではないですが)。私の推測では平均的な医師の場合で金銭的インセンティブの誘惑は1日に2〜10回程あります。特に、治療するかどうかの境界線上にある場合(ほとんどの患者がそうなのですが)、この誘惑に時には負けてしまいます。
いつ治療するかというグレーゾーンは、忍耐よりも行動を優先する医療文化のために曖昧となっています。医師は「何かをする」ことで報酬を受けます。製薬会社や医療機器メーカーが医師に高額のキックバックを支払うこともあります。これが患者に情報開示されることは滅多にありませんが、実際には開示するべきでしょう。治療を勧める背後に隠された経済的インセンティブがあることで、アメリカの医療は不正で標準化されていない医療の寄せ集めとなっているのです。」
本書を訳し終えて、これはアメリカだけが抱える問題だろうか?という疑問を持ちました。
アメリカでは、こうした問題が深刻なだけに、本書で紹介されているように、治療成績の公表など、これを正そうとする動きにはアメリカらしいダイナミックさがあります。日本にはこうしたダイナミックな動きはあるのだろうか?そんな疑問も持ちました。
調べたところ、アメリカで「To Err Is Human」が出版されて世界中の注目を集めた頃、欧州などでもアメリカに続いて同様の調査が行われました。
日本でも厚生労働省の予算を使った調査・研究が行われましたが、調査対象となった病院の半数近くの病院(30病院中の12病院)が具体的な理由を明らかにしないまま調査への協力を拒否したことから、医療事故を防止するためのデータや国際的に医療事故の発生頻度を比較する正確なデータが出せなくなったと当時のニュースが伝えています。研究班は、これだけの協力拒否が出たケースは他になく、異常な事態だとも言っていたそうです。(2005年3月18日NHKニュース)
本書に書かれている内容は全てアメリカの医療事情ですが、学ぶべき事柄は多くあるように思います。
日本語に翻訳して一人でも多くの人に読んでもらい、疑問や問題感を共有する人が増えて欲しい。そのような思いで訳しました。